私はいつも一発逆転を狙うと失敗してしまいます。なぜでしょう?
タイトルの通りなんですが私はいつも現状に満足できない状況
が続くといつも「次。こそは」と一発逆転を狙うんですがいつも
なぜか失敗してしまいます。
この原因を仏教的に分析するとするならば、仏教では現在の
状況をもっとも重要視しているので未来の状況をよくすることを
考えるということによって今、現在のことがいい加減になってしまうから失敗してしまうという分析になると自分では思うんですが、仏教に詳しいお坊様はどう解釈しますか?
後悔してばかり
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
未来をみつめて今を行動します
仏教は奇跡、偶然を完全に否定し、
因縁果報を説きます。
積み重ねの結果として今があり
これからの積み重ねが未来を作る。
このような教えです。
一発逆転は考えず目標に向かってコツコツと地道に歩みを進めることです。
踊りながら歩く
こんにちは。今回の問いは、6月の「レールの上を歩きたい」と繋がっているのかなぁと想像します。
私はお寺に生まれて坊さんをしていますので、まぁ「敷かれたレールの上」にいるのだと思います。で、敷かれたレールというと、「ちゃんと未来に繋がっている、歩いていれば人生間違いない」というイメージがあるかと思うのですが、そうもイージーな道でもありません。小さい頃は何かと「お前のウチはお寺だからな」と言われ続け、大学後半は周りの就職話から全く浮いた存在でした。現在のお寺は、いろんな月刊誌などでも取り上げられるように、決して将来安泰でもありません。東京にいますが、次の関東大震災が来たらその先どうなるか?きっと移住することはかないませんし。
ですから、前回のお答えにあったように、「歩かされるのではなく、自分の意思で歩く」ということ、もっと進めて「歩くペースは自分で決める。何をしながら歩くかも、どんな風に歩くかも、自分で決める」という決心はしていました。
お坊さんとしては、宗派の許可を受けて「お葬式を出すことができる、仏教の・宗派の教えを伝えることができる」というのは下限の話で、その上の加減は結構イロイロあるのです。
だから、一発逆転!というより「基本はキープでやり方次第」という志向になっていると感じます。自分を根底からひっくり返すことはしない。恐らくあなたは「どんな逆境からでも、這い上がってみせる!」というような枠組みより、「ちょっと変えてみよう」というトライの方が合っているのではないでしょうか。「根底から変えたい」というのは「何もかもうまくいかない」と感じてのことでしょうが、もう少し我慢してよく見ると、糸口が見つかることは良くあるはずです。粘りの問題。
ということで、「あーもう一発逆転しかないか」と感じたときに、「いや、何か抜け道あるんじゃね?」と、取り敢えず問いを立ててみてはどうでしょう?
ま、玉砕してスクラッチしていくのも、若いウチには可能だと思うし、寧ろ若いなら勧めたいところでもありますが。
花火ではなく、線香のように
マッピーさん、はじめまして。
一発逆転を目指しても失敗してしまうのですね。
それは、一瞬で消えてしまう花火を打ち上げようとしているのです。一瞬のきらめきのために、何ヶ月も準備します。そしてやっと一瞬のきらめきを見せるのです。
一発逆転を目指すマッピーさんは、花火だけを見ています。それでは失敗します。
線香のように、積み重ねることで成功にたどり着くのです。
質問者からのお礼
さまざまな回答ありがとうございました。