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孤独感に勝ちたいです

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職場で問題を起こし、多くの責めを受けました。
家族にも辛い思いをさせてしまいました。
二度と同じ過ちを犯さないよう、家族に迷惑をかけないよう、職場では他者とのコミュニケーションを一切断ち、日々業務に没頭しています。
問題を起こした事で周囲から好奇の目に晒されるのが辛く、仕事以外での人との関わりを無くしました。
そして、コミュニケーションを絶ったため、職場ではすっかり浮いた存在になりました。
職場では私以外の全員で情報共有。知らないのは私だけ。
私を通り越してさらに上の上司との指示のやり取りを行うことはザラです。
自分の行動に問題があるのは自覚しているので、仕方ないと割り切るものの、孤独感は予想以上に辛いものでした。
孤独と向き合って、気持ちを強く持ちたいです。
こんな時の何か生きるヒントをいただけませんか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

孤独に耐える前に

ご質問の内容から、部下をお持ちのそれなりの立場の方だとお見受けします。
「職場では他者とのコミュニケーションを一切断ち」とのことですが、「私を通り越してさらに上の上司との指示のやり取りを行うことは『ザラ』」ということは、やり取りをしてくれようとしている部下もゼロではないということでしょうか?
私の見当外れでなく、仮にそんな部下がいらっしゃるとしたら、コミュニケーションを一切断つつもりの上司にも関わろうとしているその方はとても稀有な、本来の意味で有難い存在かと思います。

コミュニケーションは言葉だけ行うものではありません。
姿も、振る舞いも、態度も、そこにいるだけで何らかのメッセージを発信するものです。
「一切断つ」なんて極端な考えはやめましょう。そもそもが同じ空間にいて全てのメッセージを断つことはできないのです。
言葉が災いすることが多いならば、いま実行されているように「ある程度言葉を慎みましょう」。その代わりに使えるのは「感謝の言葉」と「笑顔」です。(「無畏施」と呼ばれる施しのありようです)
冗談を言うでも文句を言うでもなく、『ありがとう』『助かっているよ』といった言葉を使う機会を探しましょう。人と目が合ったら笑顔を向けましょう。それが、互いが楽になる秘訣です。

最初はきっと相手の反応もぎこちないでしょうし、変化には時間がかかります。
それでも試す価値があるとは思うのですが、いかがでしょうか?

与えられることではなく、与えることで、吾唯足知さんが楽になっていくことを願っています。

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個別相談可能
本立寺の住職をしながら、臨床心理士として医療・教育現場で活動しております。 仏教も心理学も、智慧は生かさなければもったいない。 より生きた智慧を伝えるためにどうしたらよいか、日々思考する毎日です。 kosaza_honryuji@yahoo.co.jp
法務や外部の仕事が不定期に入っているので、ご相談日時を調整していただくことは多いと思います。

知足の真意

知足とは「分際をわきまえる」とか「今足りているから他を欲さない」という道徳的な説かれ方がなされることが多いですが、本当はこの身心というものは何を受けても聴いても「それを感知した時は❝限定的❞である」ということが知足の真意です。
他のことが一切割り込まないということ、混ざり込まないということ。
あなたは職場でシカトされたにせよ、そこで自分の思いをガツンガツン私見として混入・ミックスさせていることに気づいてみると良いでしょう。
人って仮に人から「バーカ」とか馬鹿にされたにせよ、この身心の上においては「バーカ」ということが「聞こえただけ」「知覚されただけ」なのです。そこにジャッジが入らない。そこに自分の主観や私見が入り込まない。ただその事だけが「限定的に」行われているものです。
これを今自分が見たり聴いていることの中から感じ取ってみましょう。
ゼッタイに他のものは何も生じていません。
それが富楽安穏の所といいます。
この自己の本来性を悟ると、物事が知覚されるときというものは、何かが起こった時に絶対に「そのことだけ」だということです。
こんな幸せな体を私たちは生まれながらに生活しているのです。
ところが思考が盛んであると、瞬時に他のものを盛り込む、持ち込む、ミックスする。
その結果「おれはアイツからハブられた」「いじめられている」「総スカンだ」「邪魔者扱いされてる」「ああ、会社辞めよう」とかアレコレ副産物がどんどん沸いてくるのです。

ものを観る時、聞く時、処する時、「何も考えずに」とか「余計なこと考えないように」ということではありません。あなたの法身、本来性、人間の元々の様子はだれでも、何を見ても聞いても「余分なこと」が起こらないようにできているのです。ここを感じ取ってここで言わんとすることの真意を読み取ってください。
本当に「韓進のまたくぐり」「人にはバカにされていろ」という教えが世間にもあるように「バカにされていられるようになる」のです。
そういう大人物は本当に本気になったら素晴らしい働きになるのです。
ぜひ、これを機に知足の真意をマスターしてみてください。
事が起これどそのことが起こる時はそのこと以外に何があるでもなし。わが思いが立つことでものの真実真相を見誤る。真実真相を見極めた目で処する時、人は失われや損ないの心が一切生じなくなるのです。それが知足の真意です。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

高野様、貴重なアドバイスありがとうございます。
好奇の目に晒される事ですっかり人間不信や疑心暗鬼になり、今は人と接するのが怖いです。コミュニケーションを断つなどという愚かな行為はしないに越したことはないのはわかっていますが、恐怖心という自分の弱い心がこの暗く長いトンネルから抜け出させないでいます。
昔は楽しく過ごせていたのに、一つの過ちで自分はすっかり変わってしまいました。
でも、こんな態度の自分にでもまだ仕事の話をしてくれる人もいるいます。
嬉しくて泣きそうになります。そんな時は笑顔で「ありがとう」と素直に感謝の言葉を伝えます。
でも、恐怖(疑心暗鬼)はまだ私を他者から遠ざけてしまいます。
私の弱い心が産んだ孤独感なので、私自身が恐怖に勝てない限り、どうしようもないですね。
高野様、貴重なお時間を割いてアドバイスいただき、ありがとうございました。

丹下様、ありがとうございます。
良薬口に苦しと言いますが、丹下様の厳しくも暖かいお言葉は難しく真意を汲み取れたかどうか、まだ自信はありませんが本質は感じることができたように思います。
韓信のような国士無双の大人物のようには逆立ちしてもなれませんが、おっしゃる通り私には余計なプライドが邪魔して上手くいかない事もしばしばあります。
小心者のあまり、人から拒絶されるのではという恐怖心と余計なプライドが私を人から遠ざけているのかもしれません。
お言葉で目が覚めた気がします。
しっかりと噛み締めながら、真の知足を体現できるよう考え直してみます。
ありがとうございます。

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