他人との距離
はじめまして。
私はシングルマザーで自営業をしています。
何でも私自身が決断しなければならない立場です。
良く言えば、自由になります。
そのせいなのか、お金の絡む事を頼まれる事が多いです。
一番多額だったのは中学時代の同級生が借金があり、どうにか助けてくれと。
当時子供達は学生だったし、我が家にゆとりがないのを誰よりも知っていました。
彼女はご主人もいて、彼女のご両親、子供達も社会人になっていました。
状況を知って私に頼むのだから、よっぽど困っているのだと思い、生命保険から借りて彼女に貸しました。
返済前、彼女が『歌舞伎に行くから髪をセットして』と。仕事ですから、しました。
ですが、何か納得がいかず返済を急いでもらいました。
返済はしてくれました。
私も返済してくれたんだし、これまで通り友達って思っていましたが、彼女はそれっきり。
近所にいますが、音沙汰なしです。
年賀状も私が出すから返事が来る感じなので、今回出さなかったら来ませんでした。
完全に利用されたんだと。
また、違う人はネットワークビジネスで。
何度もお付き合いでお金出しましたが、もうやめようと思い断ったら、それっきり。
他にもいます。
私は見返りを求めている訳ではなかったのですが。
この頃は人付き合いが嫌になって来ました。
誰かの為に自分の出来る事をするのは、普通の事で、せめて『ありがとう』の気持ちはあって欲しいと思ってしまいます。
相手を仲の良い関係の人と信じているから、私に出来る事をする。
これからもその関係が続くと期待してる。
それが変わってしまったら、裏切られたと感じる。
やってくれるのは当たり前と思うものですか?
私は心が狭いのでしょうか?
長々とわかりにくい文章で申し訳ありません。
宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
世の中、いろんな人が居ますよ
お気持ち、わかりますよ。一生懸命、誠意を込めてお世話してあげたのに、相手からは感謝の気持ちが帰ってこない。そういうこと、有りますねえ。恩着せがましいことは言いたくないけど、言いたくなっちゃいますよね。まあ、相手の方は所詮その程度の人間なんだ、と受け止めるしかないと思います。
でもね、ちょっと言葉をかけてあげる。困っている時に手を貸してあげる。些細な行為であっても、そのことに感謝の念を忘れず、感謝の気持ちを返してくれる人もいっぱいいますよ。大事なのは、ハイジさんがちゃんと感謝の気持ちを伝えられる人間であることであり、恥知らずな人間とならないことです。他人の気持ちを変えたり、行いを正したりするのは容易なことではありません。他人の行動を時には教訓とし、時には反面教師にしていくしかないと思います。
相田みつをさんの詩に
『花はただ咲く ただひたすらに ただになれない 人間のわたし』という詩があります。相田さんは曹洞宗の寺の檀家さんではありませんでしたが、曹洞宗の高名な指導者について参禅されました。道元禅師の只管打坐の坐禅に精進されました。一生懸命、坐禅をし自らの煩悩にも向き合ったのだと思います。「花はひたすらに咲くんだけれど、自分という人間はいろんな思惑や欲望を抱え込んでしまうんだなあ。」という深い内省の詩である、と私は解釈してます。
>
やってくれるのは当たり前と思うものですか?
私は心が狭いのでしょうか?
>
今回、このような質問をされたこと自体が、ハイジさんの素晴らしい「気づき」だと思います。このような回答を書いている私自身も「ただになれない 人間のわたし」です。「仏様のような心で受け留め、仏様のような心で生きる」のは、なかなか難しいものです。今回のような「気づき」を繰り返す中で、少しずつ「仏様のような心」に近づいて行きますよ。
尚、前に「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め。」という題の回答をしたことがあります。 https://hasunoha.jp/questions/23734
こちらの回答もご参照下さい。
質問者からのお礼
お忙しい中、ご回答ありがとうございました。
見返りを求めてはいけないと思っていても、無意識に求めていたのかな?
『ただの私』ではないってことはですね。
その後も、ただ友達でいたかっただけなのですが。
難しいですね。
でも、一人でもやもやして孤独感を感じていましたが、スッキリしました。
ありがとうございました。