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歴史で有名な人のお墓

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有り難し有り難し 35

紅葉の質問ありがとうございました。続いて気になってる質問です。

数年前にNHK大河ドラマで龍馬がゆくをやってましたが、その中で龍馬の許嫁?のおさなさまのお墓に歴女が殺到みたいなニュースをみましたが、歴史上有名な人のお墓めぐりをいつかしたいです。
お坊さんから見たこの有名人のお墓はおすすめというのはありますか?
京都の坂本龍馬と日光東照宮は行ったことあります。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お墓紹介のサイト

初めまして、広島市の和田隆恩と申します。

そのようなお墓は全く存じ上げないので、
参考になりそうなサイトをご紹介いたします。

http://www.hakaishi.jp/tomb

http://10jiku.sakura.ne.jp/wordpress/world-grave/category

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

お墓参りとともに立てるべきもの

か、か、変わったご趣味をお持ちですね(^<^) イイと思います。
私はしょっちゅうお墓参りで見慣れてしまっているせいか、そのように考えたことはありませんでした。
今回のお話とはあまり関係ないと思われるかもしれませんが、
お墓参りの際に、お勧めしていることがあります。
それはお墓にせよ、塔婆にせよ、そこに建てる、立てるべきものは単に供養の石塔、木の板、お線香ばかりではなく「菩提心をたてる(発する)」ということです。
ともすると人間は、墓石を唯の石にしか見ません、供養の記念碑にしか見ません、いわゆるお墓、程度にしか見ません。
ですが、お寺関係の墓石やストゥーパはそもそも、お釈迦様が亡き後も、その塔をお参りすることで、永く三悪(貪欲 怒り 無明)を離れん、お釈迦様と同じ心を成就せん、という菩提の誓願とともにお参りされる「べき」ものなのです。
知り合いの和尚さんがインドの聖地にお墓参りに行かれたのですが、観光の話ばかりでした。
仏心、菩提心、求道心がなかったらお墓参りは無宗教の霊園経営の管理下で観光がてらになされればよい、ということになってしまいます。
では宗教心とはなにか。故人を愛する気持ちとともに、生きている私たちが、迷いや苦しみから離れる生き方を何度も何度も奮い起こす。菩提心を百万遍、百万発、奮起ふるい起こして「悟りを成就せん」との大きな誓願(ちかい・ねがい)を手を合わせるとともに誓いの心を立てるべきです。
あまりカタいことを申し上げるつもりではありませんが、誰のお墓にお参りするにしても、何れ我が身です。このことは胸の片隅に置いておいてください。(^ム^)生きているうちにこそ菩提を成就しましょう。
人の墓に参るとき
いずれ我が身と思いつつ
生あるうちに
悟りを得んと 願う心を強くして

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

力道山

もみじさま
なごみ庵の浦上哲也と申します。もみじの美しいお寺は存じ上げませんでしたが、こちらはひとつお答えをさせて頂きたいと思います。

それは、東京都大田区の日蓮宗 池上本門寺です。
往年のプロレスラー 力道山のお墓がありますよ。インパクト大です。
http://hasunoha.jp/questions/18

どんなお墓でも、そこに弔われている人に興味がなければ、深く感じ入ることはないと思います。もみじさんが尊敬している人物、好きな人物のお墓に参ってもいいかもしれません。
また都内でしたら、青山墓地や多磨霊園などの大きな霊園に行くと、有名人のお墓もありますし、凝った造りのお墓もあります。秋晴れの日に散歩がてら行くのも良いかもしれませんね。

下記リンクは、力道山のお墓について私が書いたブログです。実物を見たいのでしたら、クリックしないで下さいね (^_^;)
http://753an.blog.so-net.ne.jp/2012-08-21

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有り難し
おきもち

横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗の教えが好きで、それを人に伝えたいと思い、自宅で法話会を始めてご縁の輪が広がりました。
相談の日程や時間はご相談ください。

探してみては・・・

もみじ様へ

歴史上の人物に関しては
なんらかの形、墓が残されている印象があります。
ぜひ興味をもった歴史上人物の墓を探して行ってみるのはどうでしょう。

ぜひその際に
その方について十分理解して
何か墓前などに向かってお話ができたらいいですね。
ただ訪れるだけでなく、そういう楽しみ方もあるようです。合掌

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有り難し
おきもち

「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を基とし、より多くの方々に御参拝いただき、御本尊様などから御利益を授かることを願っております。 また、本来お寺の持つ機能として、「学び」「癒し」「楽しみ」などがあったとお聞きします。 あらゆる可能性に対して、日々精進しながら日々模索しながら、多くの方々との御縁がつながっていくことを願っております。合掌

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ