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激務の夫にしてあげられること

回答数回答 4
有り難し有り難し 37

こんばんは。またよろしくお願いいたします。

私の夫はとても激務で終電はあたりまえ、泊まりもあります。精神的にもプレッシャーが多い様子です。(数年限定の職務です。転職は考えてません)

そんな夫を家事などで精一杯の範囲で応援しています。

お坊様がたは、ご自身が激務の時期に奥さまやご家族にしてもらって嬉しかったことは何ですか?

ぜひ参考にさせて下さい!!


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

女性には面白くないと思われるでしょうが…

限られた時間で趣味の世界に打ち込んでいる間は話しかけないで欲しいということですね。妻にこれを協力してもらえるととても嬉しいです。(男側にも申し訳ない気持ちが無いわけではないのですよと念書しておきます。)
同感していただけた男性の「有り難し」をお願い申し上げます。私だけではないです…よね?

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

応援しないのが一番

今の生活に不満がないなら
応援しない方がプレッシャーがひとつ減ることでしょう。

心お静かに。
特別なことをしないことです。

そしてお疲れ様とは言わないこと。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

夫は戦場から帰ってきた状態なのだから…

だから、あまり夫に何かを要求するような事は控えてあげればよいのではないかと。
疲れて帰ってきて、あれしろこれしろが一番勘弁してくれや状態だと思います。
戦士には休息と癒しが必要です。
一番イイいのは直接、ダンナに聞くことですよ。
我々は旦那じゃないですし、してもらいたいことも違うと思いますけん。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

そうした気持ちが何より嬉しい

とてもお優しい方ですね。旦那様は幸せ者です^_^
大変な時に家族、奥様の愛を感じられることはとても励みになることでしょう。
お仕事の間は、影で応援。
おうちに帰ってきたら。毎日ご苦労様といってあげ、寝る前にマッサージでもしてあげたら、嬉しいのではないですか。

何より気持ちを言葉や態度で表現できればだいじょうぶでしょう。
もしかしたら、もうすでにできているのではないですか。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

「もうすでにできているのでは」というお言葉とても光栄です。
これからもこの調子でがんばりたいです。

応援されすぎてもプレッシャーでしたね。
過剰反応しないように気をつけます!

追加でご回答いただきありがとうございます。

いい意味でほって置くのもありなのですね。
つい何かを押し付けがちになりそうですので自重します。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ