救われるとは?
お世話になります。
救われるや、救われたいなど、それは
どういう状態なのでしょう。
私が救われた状態って、どんな状態?
今の苦しみは、逝ってしまった娘の事。
もし、目の前に現れてくれたら
もし、あの日の続きができたなら
だけど、その「もし」はありません。
私が死ぬまでありませんよね。では、生きてるうちは救われないのでしょうか。
時々惨いニュースを見ると、もしあの日
娘の自死を思い止める事ができていたなら、それは、娘を救った事になったのだろうか。
こんな生きにくい世の中で、生きたくないと願った娘を、無理やりこの世に留めることは、娘を苦しめただけ。生きて欲しいと願うのは、私のエゴだったのかもと思えるのです。
私はこれまでに、病気や事故に合いそうになり、回避できたことを、ラッキーだと思っていました。私って運がいいって、感謝していました。
でも、あの時死んでいれば、こんな辛い思いをしなくてすんだのにと、悔やんでしまいます。
動物や草花のように、生きる意味とか、理由とか考えないで、その日その時が来るまで、自分のできることをして、過ごせたらなあと思います。そう思うのに、この頭はごちゃごちゃ、考えて苦しんでしまうのです。
生きてるうちに、楽になる方法。
娘に会えなくても、悲しくない方法。
何かないですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
トンズラと救いは違うよ。
”私が救われた状態って、どんな状態?”
救いの真っ只中にいるウチは、救われている実感など持てません。
そういう意味では、あなたはすでによくご存知のはずです。
”でも、あの時死んでいれば”
ご自身でも述べておられますように、「もし」がないのはすでにご承知のはずです。
”生きてるうちに、楽になる方法”
それはズバリ、娘さんの事をキッパリ忘れる以外に無いでしょう。
もう娘さんのご供養はウンザリですか?娘さんを想う気持ちは放棄されますか?
”娘に会えなくても、悲しくない方法”
そんなことより、先立っていかれた娘さんに心配をかけない生き方を考えませんか?
あなたのうろたえる姿を見て、きっと今頃、あなたの娘さんは草場の陰で責任を感じて泣いていらっしゃることでしょう。文字通り死ぬほど苦しんだ娘さんに、さらにあなたが追い打ちをかけるようなことは止めませんか?
嘘でもハッタリでも、明るく楽しく笑って生きてよ、お母さん!!
娘が死んでも、親が笑顔で生きることは悪い事でも恥ずべき事でもなんでもない。このままでは、まるで娘の私がお母さんを苦しめる悪霊にみたいじゃない…
あなたの娘さんのそんな声が聞こえてくるようです。
娘さんが、あなたのもとに生まれてきてくれたあの日、それから一緒にいて楽しかった日々の思い出を大切に、あなたはあなたの人生をしっかり地に足をつけて生きていってください。
<追記>
そうでしたか。
とりあえず、あなた様がお元気ならそれに越したことはありません。
<追記2>
”トンズラ”気に入っていただけましたか?(笑)
もちろん、”救い”の完成というか、問題の完全解決とは区別するという意味で回答しました。
でも、何事も根治以外は無意味だというつもりは毛頭ありません。医療でも麻酔や透析のような対処療法も重要な意味を持つことは言うまでもありません。”トンズラ”つまり敵前逃亡というような意味の言葉が、あなたにとって危険回避、危機管理という意味になってプラスの作用になったのなら、まさに怪我の功名ですw
ある意味、あなたの求めた法に辿り着けたのかなぁ〜?
娘さんの死からのメッセージは、救いのメッセージ
こんばんは。亀山純史と申します。
残念ながら、悲しみが消えるような、魔法の祈りも信仰も、私にはありません。ただ、救いというものがあるとすれば、それは、故人の死を自分の中に受け入れることが出来る時に感じるのではないでしょうか。
故人の死を自分の中に受け入れることが出来るとは、故人の死を、あなた自身、無駄にしないことです。
故人の死を無駄にしないこととは、故人の死に意味を見いだすことです。
故人の死に意味を見いだすこととは、故人の死があなたに語りかけてくるメッセージを受け止めることです。
自ら、自分の命に別れを告げなければならなかった故人は、あなたに何を語りかけてくれますか?死を通してしか解決の糸口を見いだすことが出来なかった娘さんが、あなたに教えてくれていることは、何でしょうか。必ずや、あなた自身のこれからの人生に深く関わってくるような娘さんからのメッセージがあるはずです。それを受け止めて、あなた自身がこれからの人生を生きていくところに、あなたへの救いの光は差し込んでくることでしょう。娘さんの死からのメッセージは、あなたへの救いのメッセージです。
質問者からのお礼
転落院様、ご回答ありがとうございました。
私も四六時中、娘の事を思って泣いているわけではありません。笑顔必須の仕事をしているので、笑っている時間の方が長いでしょう。
事情を知らない人には、たいして悩みのないお気楽な人間に見えていると思います。
娘は今の私を見ても、責任を感じて泣くような子ではありません。多分、なにやってるん?しっかりしいやって、あきれているのでは?
いろんな事、わかっていても辛くてやりきれない時がある。少しでも心が楽になる方法かあれぱ教えてほしかっただけですよ。
トンズラ…、できるものならしてみたいかも。
亀山純史様、ご回答ありがとうございました。
娘の死からのメッセージ。難しいですね。
そんなこと、考えたことなかったです。
娘の遺品を見ていると、自分というものを持っていた子だなと感じます。初めの頃は可哀想で仕方がなかったけれど、本人も悩んだ時は辛かったでしょうが、決心した後は胸を張って旅立ったように思えます。
それでも、残された家族は悲しいです。
悲しみが消える魔法の祈り、あればいいですよね。
転落院様、追記ありがとうございました。
「トンズラ」という言葉が、妙に心を軽くしてくれることに気づきました。
悪い意味で使われたのでしょうが、今の私にしっくりきます。
悲しむことからトンズラ。泣きべそからトンズラ。後ろ向きからトンズラ。
こんな感じで生きていこうかな。
転落院様、再度の追記ありがとうございました。
亀山様のご回答にもあったように、この先も悲しみが消えることはないと思います。
ふとしたことで、悲しみに包まれてしまう時があり、また普通の精神状態に戻れるような
切り替えができればいいのです。
今日もラジオからの歌を聴き、涙がぶわーっと出そうになりましたが、「トンズラ、トンズラ、トンズラ」と唱えると不思議と笑えました。お坊様としては、唱える言葉が違うよと思える所でしょうねえ。
でも、念仏よりも私らしい。仏様にはあの世で「あんな母ですみません」って娘が代わりに謝ってくれると思います。