死別受容と他者への関わり方回答受付中
僕は両性愛者です。高校時代に同学年の同性パートナーを自死で亡くし、以降他人との関わり方を模索しています。
当時僕と彼は恋愛関係にありましたが、希死念慮を時折相談されていました。動機を聞いても答えてはくれず、ただ生から逃れたいと。彼にしか真相はわかりませんが、彼は持病で身体が弱く、性格は自己犠牲という言葉の体現のような人でした。僕は受け皿を増やしたいと思い、彼がこういう事を言っている、相談されたら聞いてあげてくれ、と周囲の人間に話してしまった。それが本人の耳に入った様で、以降彼は僕に何も相談をしてくれなくなりました。次第に話は彼の中で具現化していき、とうとう自宅で自ら逝きました。逝く3日前に彼を引き止めようと二人で話しましたが、貴方に話した私が悪いから、後は追わないで下さい、と謝罪することすら出来なかった。
彼の幻影を追って日々を過ごし、おおよそ2年になります。現在心療内科にも通っていますが、未だに枕を濡らしています。
彼の後に隣に居てくれた人達は、彼の代わりにされているようで辛い、貴方の傷を癒すのは私でなくても良いのでないか、と皆僕から離れていきました。知らず知らずの内にその人達をも傷つけてしまっていたようです。
どうにも自分には潜在的に加害性があるように感じられてなりません。実際問題、僕は一人の男を殺めてしまったようにも思います。いっそ、もう隣に居てくれる人を作らない方が皆幸せだろうとも思う。
然しながら最早独りで生きることはままなりません。かと言って彼程の勇気がある訳でも無く、実行する事を彼も世間も赦さない。尤も、僕は彼が社会的な2度目の死を迎えることを恐れていますから尚更です。
彼は、百年先の貴方に逢いたい、と最期にSNSに書き遺しました。さながら夢十夜の様ですが、僕らの平均寿命はあと八十年程あるみたいです。独りで生きる糧にするには余りに彼が少な過ぎる。
僕は他者に対してどの様に傾倒すべきか、若しくはどの様に独りで生きていけば良いでしょうか。
両親と家族3人。母親は統失持ちで、僕自身も幼少期軽度のトゥレット症候群を持っていました。小学校中学年から中学時代に精障3級保持。高校は共学直後の私立元男子校で過ごし、現在浪人中。 思考はロジカルな悲観主義ですが行動はやや感情的になること有。男女比7:3の両性愛者で性自認は男性。高校2年次に同学年の同性パートナーを自死で亡くし、以降適応障害発症。
お坊さんからの回答 1件
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禅宗では、人は主人公であれと教えられます
禅宗では、人は主人公でありなさいと教えられることがあります。
人生を生きているのはまぎれもない自分ですから、自分の人生を自分として生きているか、折々に確かめて油断してはいけませんと教えられます。
この主人公というのは、小説やドラマでいう主人公とはすこし違います。
人は往々にして、頭の中に他所から物語が入り込んできます。ドライブ中にラジオからそれらしい綺麗な音楽が流れてくると、ただの田舎道なのになんだかリゾート地のハイウェイを走っているような気分になるのに似ています。
誰でも、「これが私の人生」と思っているのに、実は自分が生きている人生そのものの反映ではなく何処かの誰かが作ったおとぎ話に乗っかってしまっていた、ということがしばしば起こります。
おとぎ話には主人公もいれば善玉、悪玉のわき役がたくさん登場します。おとぎ話にひっかかったままだと周囲の人が勝手にわき役に見えてしまいます。
実際には、そのようなおとぎ話はまぼろしで周囲の人もわき役なんかではないのですが、自分がひっかかったことに気づかないままの目には、自分にとって都合の良い人は善玉のわき役、都合の悪い人は悪玉のわき役のように見えてしまいます。
唐の時代の瑞厳というお坊さんは朝目が覚めると、
「主人公」「はい」
「ちゃんと目は開いているか」「はい」
「だまされるなよ」「はい、はい」
と一人で自問自答するのをルーティンとしていたそうです。
ここで、だまされるというのは他人もそうかもしれませんが第一には自分自身です。自分がうっかりおとぎ話に乗っかっていないか、自分自身を見る目がしっかり開いているか、自分自身にだまされてはいけないということです。
自分が主人公であるとわかれば、他の人もまたそれぞれの主人公であるとわかるのではないでしょうか。


