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死後のこと。

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いつもありがとうございます。

自殺をしたら地獄へ落ちるとテレビなどで聞きますが、生きるのが辛くて苦しくてそれから解き放たれたくて自殺を選ぶのに、死んでからも地獄で苦しむのでしょうか。

生きていても苦しみ死んでからも苦しみ、いつどこに行けば安らいだ場所で穏やかに過ごせるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「死後」の問題は「今」の問題

>いつどこに行けば安らいだ場所で穏やかに過ごせるのでしょうか

とのこと。それは「今」「ここ」でしかありません。

ですから「死後」に苦しんでる人はいません。そのような方は「死後」のことで「今」苦しんでいるのです。
実際の「死後」と、死後について「今」どう思うかは少し違う問題です。そして実際の死後については「今」生きている人は誰も知り得ないのです。

なので私たちにできることは「今」「ここ」で安らぎや穏やかさを得ようとすることです。そのための方法論として「自殺」を選択する方もいらっしゃいます。思い通りにならない苦しみからの解放を求め、せめて自分で選択したいと「自殺」をする方がいらっしゃいますが、それは「選択している」のでなく「選択させられている」気がしてなりません。
それでも彼らの苦しみの大きさを思うとけしてただその選択を責めることはできません。

私たちにできることは彼らを責める事でなく、まず「今」「ここ」で自分が救われること。その自分が救われるからこそ、他者の救いもそこに見出されます。

苦しみには原因があり、原因が滅すれば苦しみも滅する。その苦しみの原因はどこにあるのか。自分の外にあるのか、自分の内にあるのか。

そな様が安らげる場所を自分の外側の条件に求める限り、どこまでいっても外側の条件に自分が脅かされることとなります。
しかし自分の存在の内に安らぎを見出すならばどんな外側の条件にも対応していけます。

苦しみから逃れるにはまずは苦しみの原因を深く知り、私の問題として向き合う事だと思います。

「死後」ではなく「今」「ここ」での救いを。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
何度も何度も読み返しました。

元旦那のモラハラで鬱病になりました。
元旦那のトラウマがあり病院にも行けません、行ったところで処方される薬も飲めません、飲みたくないのではなく飲めないのです、トラウマでいろんなことがフラッシュバックします。

苦しみの原因、いろいろあります。
だけど行き着くところは自分自身が生きているから。私なんかが生きているから。そこにたどり着いてしまいます。
悩みのない心穏やかな場所が自殺後にあるのか、ないのか。たしかに生きている私たちにはわかりません、おっしゃるとおりと思います。
自殺をしたら地獄が待っている、しかし生きるも地獄。もしもそうならばどうしたらいいんだろう、どちらも地獄でしかない。

何度も読み返し自分なりに考えてみます。

ありがとうございます。

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