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50歳になったら

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初めて質問します。
いくつか質問を読んでみたら50歳になった人の悩み相談がけっこう目に留まりました。
これからどうやって生きていけばいいですか。
これまで築いてきた地位がなくなってしまった。

私も40代ですが、だんだん生きてきた時間のほうが長くなって、これから残された人生をどうしていけばいいのかなと思うときもあります。
50歳で何かを失ってしまうと20代のころと違ってかなりつらいのでしょうね。

50歳になったときに悩まないように、心構えととか、強く生きられる応援歌をください


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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

NORIさんこんばんは。青峻と申します。

「これまで築いてきた地位がなくなってしまった」という誰かの質問を通してご自身への問をもたれたようですね、おめでとうございます^^

これまで築いてきた地位というものは仮初の地位ではないでしょうか、仮初のものは遅かれ早けれ崩れ去るものです。権力や権利というものはすべて仮初です。

社長、都知事、村長、取締役、店長、

これらのものは只の肩書きでしかありません、その肩書きに権力というものがつきまとっているだけですよね、

その権力を自分の力だと勘違いすると「元社長さーん」というように「元」をつけてまで自己主張したくなってきます。それは非常に虚しい生き方だと私は思います。

仮初のものが崩れてしまったら本当の自分が残るではありませんか

一生懸命上塗りしてきた仮初の仮面を外すことができると

その時初めて、あなたという人間が輝き始めると思いますよ。

どうやって生きていけばいいのか、というより、やっと自分の人生に真正面から向き合うことができると考えることができると思います。

本来、失うものなどないはずです、裸のまま生まれたあなたが裸のまま死んでゆく、誰も変わることのできないあなたの人生を悔いのないよう問をもって生きることが大切だと思います。

築いたと思っているまほろばに惑わされないように生きていけば良いと思います。

南無阿弥陀仏

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私達は本当に悩んでいる事は、なかなか相談する事ができませんよね、私も10年ほど精神病に苦しんでいましたが、自分に向き合ってくれる人が1人いるだけで心が軽くなるものです。 仏様のお心に支えられながら、あなたのお悩みに応えていきます。 散居村のお寺の住職です。 たまーにしかお答えしていませんが どうぞよろしくお願いします。

老いは、減ることではなく、円熟、熟成、心の成長。

笛を吹かれる90代のご年配の方が「100歳になった時の音色が楽しみじゃ」と言われたという記事を思い出しました。
大切なのは自分の思いの性質を心得ておかれることです。
無くなった、無くした、という感覚は、その時、その場、その状況下だけです。一生続きません。
思い起こされるあらゆる思いは、念の一字が示すように「今」の「心」、今の一念にすぎません。
水面の波紋のようなもの。
テレビの画面がチョコチョコと変わるように、あなたの頭の中にそのことが一時的に思い起こされただけで、半永久的に「失われた」「無くした」ということが思い起こされ続けるわけではありません。
気持ちの持ち方、切り替え方次第で「それも授かり」「学び」と変わっていくものです。
「人間は、何も所有できない。」
「何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでゆく」
「所有意識を無くす事こそ、最上の所有」
「年齢という数字に支配されない老人の心は一生若い」
「老いというは人間の円熟、熟成、向上」

90歳で100メートルを姿勢よく走る方もおられるのですから。
年を重ねることにマイナスイメージを持たずに、生き生きと、心若くお過ごしいただき、他の方を勇気づけてください。(^◇^)

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

手放す意識

noriさん、なごみ庵の浦上哲也と申します。
よろしくお願いします。

人間、いつ命を終えるか分かりませんが、それでも40代50代と年齢を重ねると「人生の半分ぐらいかな」「もう半分を過ぎたな」と感じるようになり、寂しいような不安なような気持ちになりますね。
それが60代、70代となると、どんどんと辛くなってくるのだと想像します。

また、若い頃は一度何かを失っても「また頑張って手に入れよう!」と思えますが、これもやはり年齢を重ねると「もう、2度と手に入らないのだろうな」と思い、捨てられなくなるのだと思います。

「諦める」という言葉はネガティブなイメージかもしれませんが、もともとは「あきらかにする」という言葉から来ているようです。そして仏教は、自分のことも他者のことも「あきらかに見る」ということを非常に大切にします。

ものごとをあきらかに認識し、諦めるべきことは手放していく。今から意識しておけば、手放す苦しさは消えなくても、少しは薄れさせることが出来るかもしれませんね。

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横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗の教えが好きで、それを人に伝えたいと思い、自宅で法話会を始めてご縁の輪が広がりました。
相談の日程や時間はご相談ください。

ワクワク

noriさん、こんにちは。
真宗大谷派の釈理薫です。

先日、曹洞宗の南直哉師が法話の中でこう語っていて、なるほどと思いました。

孔子の論語に
「子曰わく、吾十有五にして学に志す、
三十にして立つ、四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、六十にして耳順がう。」
とありますが、今の人は四十五十で「惑々(わくわく)」、六十になってもうどうしようもなくなって初めて「不惑」、「耳順」(人の言葉が素直に聞けるようになる)なんて百歳とかの死ぬ直前だ。

と、おっしゃっていました。

なるほど。
最近の人は、むかしに較べてそうとう幼くなっているのかもしれません。

何歳になろうが、失うものは失っていきますし、得るものもあると思います。

子どものころは、大人になったら惑わず立派な人になると思っていましたが、30や40になってもあんまり変わらない自分が居ます。

自分でどうにかできると思っているうちは、まだまだ「惑々」ワクワクなのではないでしょうかw
安心してください。
50になっても悩まないでいられるようになんて、なりそうもありません。

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真宗大谷派(東本願寺)僧侶 東京品川 日夜山正徳寺 住職 主な活動 ・正徳寺声明会(しょうみょうかい:お経の練習と法話)月一回開催 ・こども囲碁道場 月一回開催 講師:日本棋院 王唯任五段 ・こども すみえ おえかき道場 隔月開催 講師:墨絵画家 本多豊國 ・「対話する夜」 月一回 都内のいろいろなお寺で平日夜にお坊さんを交えて対話する会 この他に、寺社フェス「向源」のお手伝いなど

今をとにかく精一杯に生きること

nori様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

hasunohaへのご関心、並びにご質問を賜りまして、誠にありがとうございます。

拙生はまだ30代後半にて、50代まではまだ十数年ございますが、確かに若い頃と比べて、健康・体力・気力、記憶力など、色々と取り戻すのが少しずつ難しくなってきているかと存じます。特に体力の衰えは実感しだしております・・50代ともなると・・更に厳しさは増すであろうかと想像ができます。

50歳になったときに悩まないように、心構えや強く生きていくための応援歌・・

「今をとにかく精一杯に生きることで、できる限りに後悔の無い人生を。」

あまり先々のことをあれこれと考えて心配してみても、やはり杞憂にしかならず、益が無いことの方が多いようには存じております。

それよりも今やれること、できること、やらなければならないことに精一杯取り組むことが大切であり、その先のことも、その先における「今」において同じように精一杯に取り組むことが望まれるのではないかと考えております。

「五十にして天命を知る」と論語にて孔子は述べておりますが、おそらく五十年生きることができれば、おおよそ自分の一生とはどのようなものであるのかがある程度分かるということになるのかとは存じます。

光陰矢の如し、時人を待たず、生死事大、無常迅速、できる限り無為に日々を過ごすことなく、日々の「今」を大切に生きる中で、生きてやがて必ず死ぬ、この一度きりの人生において、生死一大事の因縁をしっかりと見極めることが望まれることにはなります。

仏教的には、もちろん、この一生において、いったいどれだけの善徳の行いを積むことができたかどうかが問われてくるものになるのではないかとは存じます。寿命の長短にあまりとらわれずに、とにかく今、できる限りに悪い行為をなさずに善い行為に励み努めて参りたいものでございます。是非共に頑張って参りましょう。

川口英俊合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

人生の流れ

nori様へ

まずは昔とくらべないことではないでしょうか。
悪くなっているものもある一方では
良くなっていることもあるはずです。

そしてなくしたものがあった一方では
得たものもあることでしょう。

人生とはそういう流れのようです。合掌

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「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を基とし、より多くの方々に御参拝いただき、御本尊様などから御利益を授かることを願っております。 また、本来お寺の持つ機能として、「学び」「癒し」「楽しみ」などがあったとお聞きします。 あらゆる可能性に対して、日々精進しながら日々模索しながら、多くの方々との御縁がつながっていくことを願っております。合掌

50代だから悩んでいるわけではありません。

 noriさん申し訳ありませんが、この質問は少々あなたの勘違いかもしれません。
20代までの方が悩みを相談するのは誰ですか?友人、先輩、親、教師、上司などで十分対応できます。どうしても困ったときは専門家を通すこともあります。
30代・40代もまあ20代と同じで友人、先輩、親、上司などでことが足ることも多いでしょうか。大きな問題は専門家を通すことが多くなります。
50代ともなると社会では何でも経験して、どんな問題でもどんと来い。という頼られる存在。失敗が許せなくなる世代に思われていると思います。特に男性は。だから、自ずと専門家に些細ながらも相談してしまう。hasunohaにも50代多いのはそのせいでしょうか。
 noriさんに私が言いたいのはつまらないプライドは捨てなさいと言いたい。「放てば手に取り」という禅語があります。一度すべてを解放した時に何か掴むこともあるという意味ですが、今の私にも言いたいし、皆さんにも言いたい、本当に悩んでどうしようもないとき、困ったときはすべてを捨てて、身近な人に自分の思いをぶつけてみよう。あるがままを1度曝すのと曝さないのとでは違いも出てきます。本当に一回だけでいいですから、出し過ぎには注意が必要。
 

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目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

質問者からのお礼

青峻さま
ご回答ありがとうございます。おめでとうございますと書いてあったのでびっくりしましたが回答を読んで納得しました。
本来、失うものなどないはずです、裸のまま生まれたあなたが裸のまま死んでゆく。というお言葉にとても救われた気がします。ありがとうございました。

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