縁起とは
あらゆる物は縁によって生起させられる故に「無自性」・「空」であり、
その縁起すらも恒久的に存在するのではなく「不生」「無自性」であると喝破し、
最終的には「空」の否定により戯論が寂静した境地こそが、涅槃・勝義諦であると云う事でしょうか?
ところで龍樹は「釈尊は不生不滅にして戯論寂静なる縁起をお説きになった。」と仰られておりますが、
「戯論寂静なる勝義こそが縁起」と云う事はあまり耳にしません。
これらの事について解説して頂いても宜しいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「空」と「縁起」について
akbcde様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
悟り・涅槃・勝義諦というものは、確かに戯論寂静、離戯論の境地となりますが、『「空」の否定により戯論が寂静した境地こそが、涅槃・勝義諦である』ではなくて、「空」という言葉が示すところ、意味するところにすらも、何らとして実体・自性・自相が無いということにおいて、要は『「空」すらも、もちろん「空」である』ということとして、戯論寂静を目指していかなければならないということになるかと存じております。
『「戯論寂静なる勝義こそが縁起」と云う事はあまり耳にしません。』・・
「縁起」は、モノ・コトのありようを理解する上で大切な概念ではありますが、あくまでも世俗のモノ・コトのありようを措定的に示すために説かれるもの、「空」を理解するために説かれるものとして、「縁起」が「勝義」ということにはならないかと存じております。
また、「縁起」には、主に三つの理解として、第一に、「原因と条件と結果における依存関係」、第二に「部分と全体とにおける依存関係」、第三に、「意識作用・概念作用・思惟分別作用により、仮名・仮説・仮設されることによるという依存関係」がございます。
「空」と「縁起」について、正しく理解することで、しっかりと悟り・涅槃・勝義を志向して参りたいものでございます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
川口様 回答して下さり有難う御座いました。