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縁起とは

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有り難し有り難し 11

あらゆる物は縁によって生起させられる故に「無自性」・「空」であり、
その縁起すらも恒久的に存在するのではなく「不生」「無自性」であると喝破し、
最終的には「空」の否定により戯論が寂静した境地こそが、涅槃・勝義諦であると云う事でしょうか?

ところで龍樹は「釈尊は不生不滅にして戯論寂静なる縁起をお説きになった。」と仰られておりますが、
「戯論寂静なる勝義こそが縁起」と云う事はあまり耳にしません。

これらの事について解説して頂いても宜しいでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「空」と「縁起」について

akbcde様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

悟り・涅槃・勝義諦というものは、確かに戯論寂静、離戯論の境地となりますが、『「空」の否定により戯論が寂静した境地こそが、涅槃・勝義諦である』ではなくて、「空」という言葉が示すところ、意味するところにすらも、何らとして実体・自性・自相が無いということにおいて、要は『「空」すらも、もちろん「空」である』ということとして、戯論寂静を目指していかなければならないということになるかと存じております。

『「戯論寂静なる勝義こそが縁起」と云う事はあまり耳にしません。』・・

「縁起」は、モノ・コトのありようを理解する上で大切な概念ではありますが、あくまでも世俗のモノ・コトのありようを措定的に示すために説かれるもの、「空」を理解するために説かれるものとして、「縁起」が「勝義」ということにはならないかと存じております。

また、「縁起」には、主に三つの理解として、第一に、「原因と条件と結果における依存関係」、第二に「部分と全体とにおける依存関係」、第三に、「意識作用・概念作用・思惟分別作用により、仮名・仮説・仮設されることによるという依存関係」がございます。

「空」と「縁起」について、正しく理解することで、しっかりと悟り・涅槃・勝義を志向して参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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有り難し
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質問者からのお礼

川口様 回答して下さり有難う御座いました。

「仏教における縁起」問答一覧

嫌な妄想が本当に起こるのではないかと不安

おそらく強迫性障害です。妄想が本当になってしまうのではないかと不安です。  少し前にインターネットに話を書きました。 数日前、ふと知人Aさんがその話みたいになってしまうのではないかと妄想してしまい不安になりました。 実際は、話とAさんはなにも関係がないのにです。 そう妄想して以来自分のその話を読んだときにAさんの顔が毎回思い浮かんだり、その話について考えた時、Aさんをイメージしてしまったりして、それがため、Aさんがその話みたいになったり、同じような運命をたどるのではないか、と意味不明なことを考えてしまいます。 だから、何度も話を見て、Aさんの顔が思い浮かばないか、確認してしまいます。 そしてそのたびにAさんの顔が思い浮かび不安になります。 また、その話の特徴にAさんが当てはまっておりなおさら不安でたまりません。  また、Aさんがふと別の人のつくりった話になるんじゃないかって思ったときは、別な人の話が次の日何と違反もしてないのに、運営から削除されたとしり、それが、Aさんが別な人の話みたいにならないから、運営から削除されたんだったらどうよう。  話の登場人物を相談するときAさんと似た姿を想像してしまった気がして不安になります また、Aさんの顔写真をみて、話みたいになってしまう気がして不安です。人物にピッタリ合う気さえしてくる気がして不安で仕方ないです。本当はそんなことないのに 一日中このことばかり考えて不安です。  その文章を読んだ時に顔が思い浮かんだり、当てはまる部分があるからと言って、Aさんがその話みたいになったてしまうことはありますか?  Aさんと話の共通点があるのは偶然ですか?  なんらかの何か見えない力で、Aさんが話みたいになってしまったりしたらどうしよう、とかも考えて不安になります。 おそらくAさんの容姿の良さに嫉妬していたため、そのような妄想をしたんだと思います。 今は嫉妬はしてませんが、不安です。 不安でたまらないので、仏教の力を、お借りしたいです。 拙い文章で申し訳ありませんが何かアドバイスが欲しいです

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人からひどく恨まれていて恐ろしいです。

貴重な質問枠を失礼します。 私にはある友人がいました。 私のふとした発言や、関わり方を不義理だと思ったようで、 いろいろ責められることを言われ、私はただ謝ることしかできず、 そんなことが数度繰り返されてもなお、関係を維持してきました。 責められるとき、私が言ったことのないことを「言った」と誤って解釈されています。 さんざん許してやったのに、自分中心で依存的だと言われています。 その人は、共通の友人のこともどんどん縁を切っていき、学生時代の付き合いでは私が最後の一人です。 そんな状況で私から縁を経つのはひどい裏切りのように感じ、 また、縁を切った相手をSNS上でまくしたてているのを見てきたので、それが恐ろしくてたまりません。 私から縁を切ったら、きっと同じように責められることだろうと思います。 その人の中では、その人が被害者で私は加害者になるのだろうと思います。 恨まれてしまうのはもう仕方ないとしても、仏教の教えの中で、世の中の誰かに加害者として恨まれると、いったいどうなるのでしょうか。 なるべく、人には穏やかに、感謝の気持ちを伝え、役に立つように生きてきましたが、今後の人生や死後において、罪を背負うのでしょうか。

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十二因縁(縁起)を例えると…

日頃、宗教や哲学について、ネットあさりしています。 最近は仏教、特に原始仏教と呼ばれるものに興味を持っていますが、十二因縁(縁起)について、府に落ちたイメージを持つことができません。 そこで、難しい言葉や理論を使わず、現代でもわかりやすい具体的な例えを挙げていただきたいと思い、こちらに質問してみました。 なお、こういった知識(智恵でしょうか?)は、一言では語り難いものでしょうし、また言葉だけでわかったつもりになってはいけないとも思っています。でも、こうもイメージが湧かないと、日頃に意識することも難しい。 ぜひ、「なるほど💡 そんな感じなのね!」と感触を得られ、日常の中でさらに感触を深めていけるような例えを、いただきたいと思っています。 ちなみに、これまで私が掴んだ感触・知識は次の通りです。間違いや不足もあると思いますが、その部分こそ、例えで払拭したり補足したりしていただきたいです。 十二因縁(縁起)とは、 無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個 「無明によって行が生じる」のように、前の物が次の因になる。 最後の「生、老死」については、「生まれることで、老いがあり死がある」ということ? では、「無明→行」「行→識」「識→名色」「名色→六処」「六処→触」「触→受」「受→愛」「愛→取」「取→有」「有→生」「老死→無明」はそれぞれ、どのような因果なのか。 現代でもわかりやすい例をあげるとすれば、どういう例が考えられるか。 仏教に疎い者でもわかりやすい例を、ぜひよろしくお願いしますm(_ _)m

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