自分の愛し方が分からない。歪んだ自己愛。
こんばんは。26歳です。
私は今、孤独です。しかし今の環境を作り出したのは自分です。自業自得だと思います。1年前までは彼氏も友達もいました。でも今はいません。私の身勝手さ、気分屋、ワガママ…。気付いたら一人ぼっちになっていました。
思い出しても、自分が情けないです。何故あんな自分だったんだろう。何故あんなことをしたんだろう。毎日後悔しています。
元カレに言われました。
「お前は独りが似合っている。誰とも結婚しないほうがいい。結婚なんかできないだろう。誰かの愛人くらいになれば?(笑)」と。
私は、自分を心から愛せていません。学生時代に人をいじめた罪悪感、またはいじめられた悲しみが未だに尾を引いているのです。
「人を傷つけたわたしは幸せになってはいけない。人の輪から省かれたわたしは幸せになってはいけない」と、学生時代から自分に言い聞かせていたら、自分をまるごと愛せない、悲しい大人になってしまいました。
私は、自分が恋愛や人間関係がうまくいかないのは自分を愛せていないからだと分析しています。だから、自分を愛せれば、もっと気持ちが軽くなり、他者にも優しくする余裕がうまれるのに…。
最近読んだ本で、キレやすい人は傷つきすぎている人だと書いてありました。
まさに私はそうです。傷つきすぎているから、他者の指摘や批判に敏感になり、防衛として暴言を吐いたり、関係を切ったりしてきました。
そうして、後から自己嫌悪に陥りまた自分を嫌いになる。
もう、自己嫌悪の底にいます。暗い暗い穴の底にいます。友達も彼氏も失くした自分が嫌い。自分をこれ以上嫌いになれないくらい、嫌い。
自分を愛するってなんですか。
他者の批判にも負けない強い自己肯定感が欲しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愚かな人
弘法大師空海は、「子羊のように欲望に忠実で、反省もせず、なにが悪いかもわかっていない者が最も愚かである。」とおっしゃっています。
人間と動物との決定的な違いは、「他者をかえりみ、自己を反省できる」ことだと思います。
仏教の聖人や僧侶は、生まれた瞬間から聖人なわけでなく、常に自己反省と改善の繰り返しによって自己を高め、真理を見出してきました。
わかりやすく段階にすると、
①欲望のままに生き、誰を傷つけても反省もしないし悪いとも気づかない
↓
②挫折や失敗をして、落ち込み、その原因をさがす(人のせいばかりにして探し出せないひともいる)
↓
③挫折や失敗の原因が自分だと気付き、反省する
↓
④反省点を見つめ、改善するために行動する
↓
⑤改善し、すっきりと新たな人生を歩みだす。
↓
⑥挫折や失敗を糧にし、優しい気持ちで他人のことも思いやる。
↓(以下、お坊さんの役目)
⑦自分の経験と、仏教の教えをもとに人々を救う
↓
⑧人々を救いながらも自分の修行をして、真理を探究する
↓
⑨真理へ・・・!?
といったところです。
今のあなたは、③から④に足を踏み入れたくらいでしょうか。
十分十分、一番つらい人生のどん底を抜けたところです。
あなたの人生は、ここからは、上がっていくしかありません。
たまに、②で自暴自棄になって①に戻り、①と②を行ったり来たりする愚かな人もいますが、あなたはしっかり③、④まで来ることができた人です。
僕たちお坊さんは、④から仏教の教えを借りて登っていきます。
自力でもいいですが、どうせならロープウェーを使いたいですからね。笑
しかし、④のときに借りる力は仏教に限りません。
友人でも、本でも、先生でも、なんでもいいんです。
あなたは、まずこのhasunohaというヒントを見つけました。ここから、あなたは他人の足でもなくあなたの足で踏みだしていくんです。
あなたは、愚かな人ではありません。
むしろ、早い段階で自身の反省点に気づくことのできた、素晴らしい人です。
今はつらいかもしれません。でも、反省し、改善の努力を続ければ
一か月後、半年後、一年後と
階段を一歩一歩上がってゆくように、必ずあなたの人生はよくなっていきます
もしなにか具体的な悩みがあれば、ブログのコメントで質問してくださいね。(コメントに非公開希望と書いてくれれば公開しません)
質問者からのお礼
ありがとうございました。
頂いたお言葉を大切にします。