恨む気持ち
お世話になっています
20代中間で
父を急性心筋梗塞で亡くし
母を父が亡くなる半年後に癌で
他界しました
私は父親に対して
亡くなってから
10年以上も立ってるのに
恨み続けています
昔、私がストレスが原因で
薬を一時期、飲んでる時に
父に言われた
たった一言が原因で
今、現在も恨んでいます
親の墓参りは父と母を亡くしてから
記憶だと2回くらいしか
行っていません
お彼岸やお盆や正月に
親戚の方なども集まる行事などにも
10年以上も会っていません
父親を恨み続けたまま
墓参りに行って良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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わかっちゃいるけどやめられない
ご相談拝読しました。
お父親を恨み続けたまま お墓参りに行ってもかまいませんよ。
「恨む気持ちのままお墓参りに行って良いか悪いか」という問題よりも恨む気持ちを持ったままのあなたが今、「お墓参りに行きたいと思った」あるいは「行ってよいものかどうか疑問を持った」ということが大事なのかなと感じます。
その気持ち、お墓参りして確かめてみてはいかがでしょうか?何か感じることがあるかもしれませんし、何も変わらないかもしれません。
でもその時わからなくとも、お墓参りできたという事実はあなたに何らかの影響を及ぼすのではないでしょうか。
強い恨みを持った方がその恨みを手放すというのは難しいことなのでしょう。当時、恨みたくて恨んだわけでもないでしょうから、今だって恨みたくなくとも恨んでしまっているのですよね。気持ちは思い通りになりませんからね。
恨む原因となった相手や行為を許すということは中々できない。それが人情というか、人間の持つ執着です。
しかしその相手がそういう行為をするに至ってしまったご縁は認めることができるかもしれない。相手や行為を許すのでなく、私に降りかかったご縁を認める・受け入れるということです。
その時には相手や行為を見る目や気持ちが変わる、ということも有り得ると思います。
そのためには過ぎ去った事実や相手の事を考えても中々そうはなりません。人間は相手のことはわかりません。相手のことは自分に引き当てて想像するしかないのです。ですから自分が明らかになることが自分に降りかかったご縁を認めることに繋がります。
あなたが今「お墓参り」について問いを持ったのは何故なのか?色んな事があって今その気持ちが起こりここに質問するに至った。
お父様がその「一言」を放ったのは何故なのか?やはり色んな事があってその言葉がその時口から出たのでしょう。
それはお父様の思い通りになった出来事でしょうか?お父様がそんな言葉を使わずにいようと思えばできたことでしょうか?
ご自身の姿と重ね、「わかっちゃいるけどやめられない」という人間の悲しい事実に気がつくならば、たとえお父様とその一言は許せずとも、あなたがそう言われて恨みをもったというご縁を自分の中で認めることができるのかもしれません。
質問者からのお礼
相談内容に対しての
回答ありがとうございます
知的障害と言う診断受けてから
色々、悩むようになりました
墓参りをする事で
何か分かる
何かを感じるか
3月のお彼岸に行ってみようと
思います