hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

天罰とは

回答数回答 2
有り難し有り難し 63

いま彼とは結婚の話が消えたりして、色々と日々悩んでいるのですが・・・。
最近、彼の兄嫁から、私の母のことを「気味が悪い」と悪口を言われていたことを知って、軽くショックを受けています。
裏表のない良い人だと思っていたのに、普通にショックでした。
彼の両親は兄嫁のことを陰では「ブス」とか「料理が下手」とか悪口を言っていて。
今まではそんなことを言う彼の両親にドン引きしていました。
しかし、信頼していた兄嫁に自分の家族の悪口を言われていたことを知って、本当に嫌な人達だと思いました。
私の結婚や家族について色々と言ってきて、毎日胸が潰されそうなくらい辛いのに、平然としている彼女達が許せません。
恨むつもりはないですが、天罰があるなら当たって欲しいなと思います。
人を傷つけたら罰は当たりますか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人を呪わば穴二つ三つ四つ…

「そうよ。罰が当たって死ねばいいのよ。オーホホホ!
あの腐れババアどもめが!バチ当たって死にやがれっ。
💀GO TO HELLLLL!」
…とか、言い続けてみてください。
アナタが一番ドン引きしてたそのアダムスファミリー(仮名)や兄嫁たちと同レベル同じキャラになっちゃうのですよ。オホホホ!
人を呪わばアナ二つ!墓穴が増えるってことよネ!それはあなたの墓穴!人を嫌ったり呪えばその負のエネルギーで自爆コクのです!一緒にお入りなさい!⚡地獄でも仲良くね!
…にならないためにいい方法があります。
とりあえず、怒りを抑えるべく「兄嫁め」と早口で20回言ってみましょう。
「兄嫁め、兄嫁め、あによめめ、あにょめめ、あにょめめ…」どうです?だんだんはたから見ると謎の外国語を話す変な人みたいになってきました。(笑)動画で取っておいて翌日みてください。確実に変人です。人前でやるとドン引きされますよ。おーほほほ!
さて、テンションが上がったところで…、
一息入れて冷静になってみましょう。
ブスだのシネだの悪口や陰口って誰も幸せにならないものだってよくわかったはずです。
そういう言葉が飛び交うような場や、そういう人たちと離れられただけでも良かったです。
また、彼らをそういうことを教えてくれた人たちということで感謝しましょう。彼らの行為は彼らの自業自得、自己責任でいずれあなたが願わなくとも天罰が下ります。もう下っているのですよ。あなたからも見放され、人としてアウトな生き方を歩んでいるのですから、幸せや安らぎからどんどん離れているのです。
人生は自分がいだした言葉は自己責任です。
自分の心という「かまど」は清潔に保つべきところです。
かまどには火がつきものです。
火が悪いわけではありません。
上手に使えば調理もできます。
うかつに用いるとヤケドします。
あなたの心の動かし方のことを言っています。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

すでに罰があたっている

悪口を言いたくなる人は、それだけ怒りの煩悩が強いのです。
つまり、毎日毎日の生活が、怒りによるストレスだらけで平安ではないのです。
ムカつくことが多い毎日を過ごしている、お気の毒な生活なのです。
毎日が幸せではない。それがすでに天罰です。

逆に、ムカつくことが少ない毎日は平安ですよね。
だから、怒りを減らすために、修行した方がよいのです。
悪口を言わないようにするなど、人格を高める修行をした方がよいのです。

彼女達は、毎日苦しみながら過ごしているから、悪口や愚痴を言いたいのです。
しかし、そこで彼女達が怒りを慈悲に転換して悪口を言わないように努力しないと、彼女達は永遠に「罰」を受け続けることになります。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

アドバイスありがとうございます。
あんな人達のこと気にしなければいい、と頭では分かっていてもモヤモヤしていたので相談させていただきました。
私がわざわざ願わなくても天罰が下るものだと分かれば、もういいや!と思えます。
肩の力抜いてやっていこうと思います。

西方寺のお坊さん、アドバイスありがとうございます。
おっしゃる通りで、私もストレスが溜まっていた時はたくさん愚痴をこぼしました。
でも言ったところで幸せにはならなかったです。
あの人達と同じにはなりたくないし、幸せになりたいので、負の言葉は使わないようにしたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ