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身近な人の死

回答数回答 1
有り難し有り難し 18

私はつい最近、自分の会社の社長が亡くなりました。
その事で、今酷く落ち込んでいます。社長が倒れたのが私の目の前の事でした。私一人しかいなかったので動揺しましたし、倒れる1分前まで普通に会話をしていたのであまりにもショックが大きすぎて中々気持ちの整理が出来ず困っています。
倒れた時の顔や最初は息をしていたのにそれが止まった時の事や救急隊が心臓マッサージをしている所がフラッシュバックのように思い出され、とても苦しいです。私がもっと異変に気付いていたらとか、出来た事があったんじゃないか?とか考えてしまいます。
その反面、その場にいなかった従業員を恨めしく思ったり(目の前で私の様に見てないから)。どうしたらこの心の苦しみを楽に出来るでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

死を見ることは大切な経験。

イザナミさん、こんにちは。

社長さんが目の前で亡くなられるという、大変な経験をされたのですね。
亡くなられたのは運命としかいいようがありません。あなたの責任ではありません。
その点は思いつめないでください。

大切なのは、人は死ぬという現実を見られたことです。全員が全員老衰でなくなることは
ありません。突然死や急性の秒義、そして事故で、昨日まで元気だった人が明日の命があるかどうかはわからないのです。それは社長さんだけでなくイザナミさん自身にもいえます。今日も元気なら明日も元気だと思ってしまいます。明日亡くなるとは思わないでしょう?でもわからないのです。

だからこそ、今を一所懸命生きなければならない。できることは今のうちにしておくことが、仏教の教えです。

歳を取って老化すればするほど、あるいは友達の訃報が増えてくればくるほど、命には限りがあることをリアルに時間しますが、今回のあなたの経験は、他の同世代よりも、早く気付けるチャンスでもあります。

そのように考えて、これからの人生を歩んでください。合掌

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質問者からのお礼

暖かいお言葉ありがとうございます。
そうですよね。命ある限りいつか死は訪れるものですよね。それが「いつ」「どこで」というのは誰にも分かる事じゃないですよね。
結局、私はきっと誰かに「あなたのせいじゃないよ」って言ってほしかったのかもしれません。ちょっと心が楽になりました。ありがとうございました。

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