いつまでも引きずってしまいます
私は他の人にキツく言われたり怒られた
りするといつまでも引きずってしまいます。
キツく言われたりした時は心が引き裂か
れたような気持ちになり、その後も気にしないでおこう気にしないでおこうと思っていても心のどこかにその事が引っかかってその日一日も何にも楽しめなくなってしまいます。
酷い時には一週間ぐらいずるずると心の中で引きずってしまい辛いです。
こんな時にはどうすればいいでしょうか…?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いま流れてきている皿に集中する。
ゴリラ先輩こんにちは。ブタゴリラの丹下っす。
今、回転ずしに居るッス。
ヤバいっすよ。ゴリラ先輩。ずっと引きずると牛になっちゃいますよ。
牛は反芻をします。何度も噛んで、何度もカミカミします。
一回のみ込んだものをまた戻してカミカミしてるっスよ。
それって回転寿司だとブーイングっす。
カミカミしたものをまたレーンの上に置くようなものっす。
店員来て追い出されるッス。
もうあたらしいネタ来てるんすから、目の前の皿に集中あるのみっす。
あ、ひょっとして、皿取れなかったんすか。
このくら寿司って、取りずらいっすよね。ビッくらポン。
お皿5枚でガチャガチャ当たるかもしれないっす。
だから、前の皿(思い)は、ホールの中に入れて、サヨナラするッス。
ワサビが効き過ぎたようなものっす。
でもワサビもいつまでも辛い訳じゃないっす。
ああ、辛かったなぁという思い返し、思いの反芻だけが良くナイッす。
あ、新しい皿来たっスよ?
今度はちゃんととってくださいよ?
仏様にお任せすることで今の自分を受け入れる
他人にきつく言われたり怒られたりしてすると、どんな人でも平気でいられることはないと思います。決してあなただけではありません。何かに失敗しても同じでしょう。失敗してもケロッとしている人は本当に反省しているのか、と思ってしまいますよね。
私たちには、常に「自分はこうありたい。」「自分はこう見られたい。」という気持ちがあります。そこから向上心が生まれるとは思うのですが、それと同時に、今の自分を正しく見て、今こうして怒られた自分以外に、自分はないことを受け入れることも大切なのです。それなのに、「自分はこうあってはだめだ。」という思いが強ければ、怒られたりしたことを、いつまでも引きずってしまうのではないでしょうか。
では、どうしたら、今の自分を受け入れることができるでしょうか。人は誰かに認められるとホッとするものです。安心するのです。私は毎朝、仏様に手を合わせる生活をしています。仏様の智恵は、私たちの「自分(今こうして怒られた自分以外に、自分はないこと)を正しく見ることが出来ない心」を明らかにしてくれます。そしてそれと同時に、仏様の慈悲は、そのような私のことを無条件で包んでくれます。つまり、仏様に手を合わせることで、今の自分が明らかにされると共に、その私を仏様にお任せすることが出来るのです。そして仏様にお任せ出来ることで、私は自分を受け入れることが出来るのです。それは仏様によってこのままの自分で構わない私がここに生まれるからです。
みんな怒られ、失敗をしながらの人生を歩んでいます。少しでも、私からの回答がお役に立てれば幸いです。
キツく言われる 怒られる
こんにちは。ちょっと問いの文章だけでは分からないことがあります。
「怒られる」ことのネタというのは、あなた自身から見て真っ当なものですか?つまり「これは怒られても仕方ないな」と思えるような事?それとも、あなたから見て理不尽な事?
その辺りが分からないと、多分どうにもならんのではないかと思います。
きょうび、すべり台社会と言われるように、一度落ち始めたら止まらない、少しでも落ち始めちゃいけないと、闇雲にそればかりを恐れる人たちがいますが、そういう感覚、ありますか?
つまり、「原因は何であれ、怒られるのイヤー!」な状態であれば、それなりの回答もありますよ?
自分では大した事ない問題と思っていて、単に相手が不機嫌だったからひどく叱られたみたい、というのであれば流してゆくべきですが、そうでないなら、あなたの成長の糸口を示してくれているのかも知れませんよ。