幼い頃の性的虐待の記憶との向き合い方
初めまして。私は幼い頃に性的虐待を受けました。詳しいことは差し控えますが、相手は身内ではなく見知らぬ他人、そして繰り返しではなく一度きりです。幼い頃は自分の身に何が起きたかが分からず、何か自分が悪いことをしてしまったのではないかとの思いに囚われ、親にも詳しい話はできずに成長しました。そして長らくその記憶は忘れかけていました。
大学生になり、恋人もできました。幸いにして怖いとか、気持ち悪いという感情も起きずに普通に愛し合うことができました。
ところがその後、20代後半になってとある男性とお付き合いをするようになり、急に幼い頃の記憶が蘇ってきました。その男性は、精神的・肉体的に暴力を振るう人でした。愛し合う行為も、したくないことを強要されました。身動きができない恐怖、支配される恐怖が急に蘇り、心療内科の先生にお世話になりながらその男性とは距離を起き、最終的には別れることができました。
そして現在は優しい恋人もでき、毎日がとても満たされ、幸せです。しかし幼い頃の記憶がふと蘇って怖くなったり、性行為自体への嫌悪感が沸いてきてしまい、今の彼とは身体の関係を持つことができていません。彼に子供の頃や前にお付き合いしていた人からの暴力の話はしていません。愛し合う行為も強要することはありませんが、このままずっとしないという訳にもいかないと思うのです。そういう雰囲気になると笑って誤魔化しています。段々と疑問を持たれてしまわないか心配です。
そこでご相談が2つございます。
一つ目は、彼に昔の話を正直に話すべきかどうかという問題です。できることならば、子供の頃のことも前の彼から受けてきたことも話したくはありません。
そしてもう一つは、仏教の世界では、自分の身に起きた辛く悲しい屈辱的な経験をどのように解釈し、昇華させ、忘れていくのでしょうか?もっと辛いご経験をされた方もいらっしゃると思いますし、私はまだマシなのかもしれませんが、今になってなぜ記憶が蘇ってしまったのか、そしてどのように自分の心と体と向き合っていけば良いのか、悶々とする日々が続いています。
医学の分野に近いのかもしれませんが、精神的に救われたい気持ちからこちらに相談させていただくことにしました。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
浮かんでは消える夢
心に浮かんでは消える記憶は、記憶にすぎないと理解しましょう。
マラソン大会やかけっこ等で走ったことはありますか?
息が苦しくて、足も重たくなります。
とても苦しいです。
しかし、しばらくすれば、その苦しみは過ぎ去ります。
また、走っていないときにその苦しみを思い出したとしても、実際には今は走っていないのだから、大丈夫なのです。
過去の記憶もそれと同じです。
あなたが冷静に見ることができれば、ただの記憶、今のあなたにとっえ致命的なダメージはないはずなのです。
つまり、フラッシュバックはただの過去、過去のあなたはもういない、今のあなたは冷静な傍観者。
そう思ってはどうでしょうか?
過去の体験に意味付けとかは不要です。
蚊に刺されたのと同じ。
ただ、たまたま虫がいただけ。
そこに特別な意味とか、昇華させるとかは、考える必要はないと思います。
人間は、色・受・想・行・識という五つの現象がからみあっている「流れ」にすぎません。
過去のあなたと今のあなたは、別の物体。
ただ、記憶データを相続してるだけ。