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仏教の言葉

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私は数年前から仏教や仏像に興味を持ち始め、今では神社やお寺を巡り歩くことが趣味になりました。暇さえあればお釈迦様の話や仏教の神様について調べています。

しかしまだまだ知識が浅く理解しきれないことも沢山あります。

そこで仏教の教えやお話、名言や格言などなんでもいいので教えて頂けませんでしょうか。

自分は情けないことにとても打たれ弱く、すぐに落ち込んだり小さなことにくよくよしていつまでも引きずってしまうのです。

そんな時に勇気ややる気が出る言葉や、自分に喝を入れられるような教えなどを少しでも知っていればつらいことがあっても乗り越えられる気がするのです。

本当に無知で軟弱な私ですが、どうかよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

じぎり ばぎり それっきり
(人生は)どんなヨイことも悪いこともその時その場この事限り)

外のコトに動じないことが坐
内なる思いに動じないことが禅

人間は細胞レベルで一秒ごとに生まれ変わっている身心を有する

どんなに苦しいことがあってもつらいことがあっても、たった今はそんなことも離れて今のコトをしている

ハスの花は泥の色にも染まらずいつでも新しい花を咲かせている
(蓮の花とはたった今のオマエさんの心のことですぢゃ)

あらゆる苦しみは一念にすぎない

その一念はどこでやっているか
誰がやっているか
誰が掴んでいるのか

自分・自分の心を明らかにすることで人は救われる

自分の心の統治者となるのではなく
自分の念の統治者となることで
自分の心の統治者となることができる

過去は記憶
未来は推測
現在は知覚

思う前に事実がある
はじめに言葉ありきとみる者は愚
はじめに事実ありきがみる者が仏

これはただこれ
これ以上にもこれ以下にも非ず

人生にはこうしなければならないというきまりがない

相手が悪いのではない
そのことを掴んで悪く考えているその考え方思い方が悪いのである

まぁ、今思いつくのはこの辺ですが、坐禅すればコン程度であれば無限に出てきます。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

どのお言葉も心に響きました。
今までこのような言葉をかけてもらったことがなかったので大変感動しています。

ありきたりな言葉ではなく、仏教ならではの人の心理に寄り沿った優しくも厳しい教えを愚鈍ながら少しは理解できたように思います。

仰って下さったように蓮の花を枯れさせない為にも自分の心、そして念と向き合って日々邁進していきたいと思います。

ありがとうございました。

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