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初彼岸について

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初めて質問させていただきます。

昨年11月末に母が逝去いたしまして、今月初彼岸を迎えるのですが
本来ならば法要を行うべきなのでしょうが、高齢の親族が多く遠方から
お越しいただくのも申し訳ないのと経済的な理由もあり家族のみでお墓参りだけにしたいのですが
それでも大丈夫なのでしょうか?

どうぞ宜しくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

宗教的側面と世俗的側面

はじめましてよろしくお願いします。

まずお母様のご逝去にお悔やみ申し上げます。

南無阿弥陀仏 合掌

さて、初彼岸の勤め方についてですが、家族のみでのお墓参りだけでも全く問題はありません。

しかしこの「問題がない」とは「宗教的意味」においてであります。

つまり、法要を行わない、親族を集めないことなどによって故人が恨んだり、故人が迷ったりすることもなければ、法要を行うことによって、あるいは親族をあつめて盛大に法要を行うことによって、故人がより安らかな境地に行くとか、遺族に良いことがあるとか、そういうことはない。という意味です。
法要において大事なことは法要を縁として仏法という真実に出会うこと、あるいは故人を偲んで悲しみや思い出を共有することであって、その点において法要のあるなし、規模の大きさは関係ありません。
もちろん僧侶としては法要やお墓参りなどどんな形でもご縁をいただけるのであれば精一杯のお勤めをさせていただきます。
法要を勤めないことに「宗教的意味」において問題はないのですが、お勤めしないことで抱えるうしろめたさの気持ちが「宗教的意味」において問題を生み出すということもあります。
気持ちが大事とはそういうことですね。

問題があるとすれば「世俗的な意味」においてであります。例えば地域や親族における体裁や付き合いが主なものでしょうか。
また、僧侶も世俗に生きる世俗人でありますので、本来あってはならないことですが、そこのお寺ではほとんどの檀家さんが初彼岸法要をお勤めになっているという事情があるのなら、法要をを勤めないことによって違和感を持たれるということも無きにしも非ず…もちろんそんなお寺ならこちらからゴメンですがね。

ですから、あなたの「それでも大丈夫なのでしょうか?」のお言葉にはどのような意味が込められているかによりますが、上記のことを勘案いただき初彼岸のお迎え方をお決めください。

経済的な理由もあるのであれば無理をする必要はありません。お気持ちが大事ですからできる範囲で気持ちよく初彼岸をお迎えいただきたいと存じます。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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