友達に責任を負わせてしまった
今日友達に「いつもごめんね」と急に言われました。
「何で?」と聞くと「色々」と言われました。
理由は分かりませんが、
いつも私はコミュ障で一緒に登校するときも話さないので
LINEの一言メッセージで「コミュ障で話に入っていけない、弱音を吐いても無視される」みたいな内容の愚痴を言った事があります。
それで気にしてしまったのか…
違うかもしれませんが、私の方が謝ること多いと思います。それなのに責任を追わせてしまった事が申し訳ないです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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SNSに使われない生活
そんな時は、正直にそのまま言ったらいいのです。「謝るのは私のほうだよ( ◠‿◠ ) 」と。
SNSの普及により便利になった反面、普段顔を合わせコミュニケーションをとっている人と、会っていない時間の文字のやり取りの中で、自分で作り上げた相手像がリアルになってしまう。というより、リアルと勘違いしてしまう。という問題が多発しております。
「思った。」ということを事実と混同してしまうこと。その思ったことを文字にすることで、相手も感じ、考え、何かしらの感想、思いを持つ。それらの脳内のやり取りは全部幻のようなものなんです。取っておくことすらできない。大好きなアイスクリームを口にした瞬間に消え去るほど、あいまいなものなんです。
ひとつの物語を読んだとき、読んだ人のとらえ方は10人10色ですよね。そんなもんなんです。文字のやり取りには限界があるものです。ですから実際に会って話すことが重要なんです。我々の仏道修行も、実践が必要です。いくら本を読んで知識を蓄えても、ただの知識に過ぎず、実践にはかないませんから。
人の旅行記を読んだり聞いたりしても、体験したことにはならないですからね。想像の範囲を超えることはありません。
実際に声に出し表情を見て話すこと、心の内を探るのではないですよ。探ったら、文字のやり取りと変わらないですから。事実をよく見てコミュニケーションをとるのです。そうしたことを大切にすることが、楽に生きる道です。
あまりSNSに頼りすぎず、SNSを使うのではなく使われてしまう生活にならないよう。思ったことは声に出して解決しながら気持ちよく生活していきたいですね。
質問者からのお礼
ありがとうございます。