あの時、ああしていればの後悔
周りに相談できる人がいないのでまた相談させてください。
中年になって「あの時、ああしていればこんな人生送ってこなかっただろうな」と悔やんでいます。私は平の平、崖っぷち銀行員でお金もあまりありません。
具体的に後悔というのは、小学校のころからしっかり勉強して、いい大学に行き、資格を取っていればなあ。親がだらしなく下流家庭でした。お金ないのに避妊もせず子供をごろごろ作る動物のような親でした。イジメられたとき我慢せずに、反撃するべきだったなあ。小学校の時、爪でいじめっ子の顔を血が出るほどひっかいたり石で殴ったこともあったのですが、先生に怒られてそれ以来、暴力ができなくなりました。
女子力を若いうちに身に着けていればなあ。あまりにも女子力が低く、一部のオタクな男子にしかもてませんでした。言いたいこと人にズバズバ言える度胸を付けていればなあ。メンタル落ちた時、病院なんか行かず、スポーツで鬱鬱を解消していれば。変な薬のせいでさらに心に変調崩し、判断力も落ちました。藪医者選んだ私がバカでした。
本当は看護師になりたかったのですが、友達の親せきで看護師をしている人の話を聞いて、大変そうで諦めてしまいました。病院内の人間関係が大変とか夜勤のことなど。人が亡くなった時、遺族にたいする対応とか。根性のない高校生だったのでとても自分には無理と判断してしまいました。警察官の道もあったのですが、交通事故死の写真をバイト先で見ることがあって、現場検証なんて壮絶すぎて無理とあきらめてしまいました。
結局は自分の判断のせいですが、まわりにきちんと相談できる大人もなく、若くて人生経験がなかったので間違った選択をしてしまったり、勉強するべきとき若かった時間を全て無駄にしてしまいました。その結果、55点ぐらいの人生を歩んでいます。取柄など健康ぐらいしか無しです。たかが銀行員なので定年まで働ける保証もありません。
今更、遅いのですが、諦めるしかないのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「ああしておけばよかった」思考は何の意味もない
人はすぐに「ああしておけばよかった」「こうしておけばよかった」と過去を取り扱い、一人で頭の中で相撲を取ります。
わたしは、先ほど、作りすぎたお好み焼きをもったいないと思い全部食べてしましました。
とても苦しいです。しかし、「食べなければよかった」とは思いません。満腹である事実しかありません。
「食べなければ」という思考は、全く意味がなく、自己嫌悪に追い込む以外何物でもありません。
過去のことは、取り扱う必要が一切ないのです。記憶でしかないのです。歴史でしかないのです。今、現在の問題として取り扱うことは、苦しみそのものです。
食べすぎたら、次に食べる時気をつければいいだけ。問題ありますか。
今は、パソコンの文字が見えているだけ、キーボードを叩いているだけです。、あなたの悩みについて考えていますが、問題にはなっていません。
そうして、問題を作り出してしまう自分の考え方に気付くことが救いへの道です。
あれをしておけばよかったより、今笑う。
こんにちは。心のお悩み公開ありがとうございます。後悔するより航海を。悩むこころは、そのあり方にこそ問題アリ。ちょっと心のありかたを更改いたしましょう。
まずは、質問を振りかえってみましょう。
自分をガッツリ、自分でイジメてますね。
言えば言うだけあなたの心が凹んでいっているのがわかりませんかいな。
そういうことを口にする、思う、みじめに思う、卑下する、自分を落とす、自己評価を低くすること自体が自分を不幸にしている一番の真犯人です。
それをやめれば、今から、心が変わります。
「自分責めをやめる」のです。
「思ったって仕方のないこと」「言ったって仕方がないこと」があるものです。
それが分かるまではどうぞ言い続けてみてください。
人間は思ったことになる。悪く思えば悪い気持ちになる。
心の画面には、思ったことが現われるのです。
どうせ自分なんて、と自分を低く評価すればするだけ、心が悲しくなって、不幸になってしまうのはあなたです。
自分が苦しくなるのはもうめましょう。
それよりも、今日いただけたこと、今出会っていることで笑ってみましょう。(^<^)
過去や未来に目を向けるより
過去は過ぎ去ってしまっていますから今更どうすることもできません。過去から学び、いまおよび将来に生かすためには有用でしょうけれども、それ以外には振り返る価値はありません。未来も未だ来たらないので、これも今あれこれ言ってもあまり意味がないかもしれません。
それよりもいま、ここにいる自分をありのままに見る、ということが大切なのかもしれません。私は浄土真宗という宗派の僧侶ですが、最近、ベトナム戦争を体験した禅僧ティク・ナット・ハン師の教えに興味を持っています。彼についてはyoutubeの動画にも、日本語のサイトにもたくさん情報があります。調べてみてください。
私はこの禅僧の教えに関心を持つようになってから、自分がいかに多くの時間を過去への後悔と他者への憎しみに費やしていたか思い知りました。これに思いが至ってから、貴重な人生をそうしたことに空費するのはマイナスでしかないと考えるようになりました。
私は他者に偉そうに言える人間ではないので、この禅僧の言行録、書籍などを参照してみてください。
質問者からのお礼
藤岡住職様 ティク・ナット・ハン師の本を1冊購入し、少しずつ読んでいます。自分の幸福を書きだしてみたらけっこうありました。子供のころはなんもありませんでしたが、銀行員の今は人より恵まれていることが割とありました。
丹下住職様 鏡で自分の顔みたら、眉間にしわのよった怖いオバサンでした。(やだなあ。)やはり怖いことや嫌なこと考えていると顔や雰囲気にでますね。当たり前に生きていて、85まで生きれると勝手に思っていましたが、脳梗塞でぼっくり逝くかもしれません。今日いただけたと思って、もっと楽しく生きなければと感じます。
邦元住職様 嫌な思い出は記憶でしかないのですね。ですよね。結構痛い思いを沢山してきたので、中年になって慎重になりました。40歳以降、大失敗や大失態はしていませんので、若い時の苦労がなんらかの役に立っているのかもしれません。子供のころのことは今は問題になっていません。
嫌な母がいて、もう30,40年以上の前のことを話題に出してくるので、へこんでいました。その母ですが、某新興宗教の信者で迷惑なのも事実です。嫌な思い出も母はスルーします。自分へのご褒美に楽しいことや気持ちいい生活したいものです。