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見返したいとき

回答数回答 3
有り難し有り難し 4

ぜったい見返してやりたいと思う人がいます。
悪く言えば復讐です。

とっても許せないからです。
(相手も許せないけど、自分が特に許せない)

でも、このエネルギーは強いけど、
使い道を間違えると空回りして、
自分を追い込んでしまうので、
そうならないためにも
どう扱えばいいのか悩んでいます。

エネルギー注ぐのを間違えない
ための
助言をお願いします

文の意味わからないかもしれないですが、よろしくお願いします


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

不完全燃焼

その火を強めることであなた自身がババア化します。
ババア化とは年齢や容姿の事ではありません。
精神がメラメラで大事な美容成分を枯渇させてしまうのです。
20代にして心がブスになったらせっかくのプルプルお肌もカサカサになり、カナカナさんから、カピカピ、カサカサさんに改名する羽目になります。
心は表面に現われるからです。
悪人は自爆自滅を待てばよいのです。
裁くのはあなたではなく、本人自身が悪さをしていること自体で裁かれているのです。
不完全燃焼とは、火を起こそうとすることから生じるのです。
最初から火をつけようとしなければ不完全燃焼はありません。
火が尽きそうになったら坐禅会にお越しやす。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

プライドの煩悩は悩み苦しみの原因

欲・怒り・怠け・プライドなどの煩悩は、悩み苦しみの原因です。
見返したいというのは、プライド、怒り、欲の煩悩がある状態でしょう。
自分で自分を苦しめているだけです。

見返すよりも、世のため人のため自分のために、普通に真面目に穏やかに行動しましょう。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

文化功労者の言葉

僕は書をやっております。総合美術展のパーティでさまざまな分野の芸術家の方々と席を共にいたします。あるパーティで陶芸の文化功労者(86)とお話する好機を得ました、その時のお話です。
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『負けん気』
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人間これがなかったらいい作品は作れん。成長も出来ん。何くそ!と思わなくなったらお終いや。わしは今でもいい作品を観るとクソ!と思う。だからこんな歳でも成長出来るんや。
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見返してやりたい、大いに結構!
ただし復讐の方法は誰が見ても後ろ指をさされない方法を取るべし。
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仏教的な回答でないことをお許しください。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

こんにちは。

なぜか同じ質問が2つ上がっていて
ややこしくさせてしまい、
大変申し訳ありませんでした。

しかし
どちらともにご回答くださり、
とても感謝いたします(´;ω;`)

自分を苦しめているのは、
自分だけですね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ