自信とは?
宜しくお願いします。
昨年より体調不良、加えて営業成績の悪化と、人間関係に苦しみ全く気持ちに余裕がありませんでした。
ある日理不尽な態度の人と喧嘩になり、社内で問題になりました。評判も悪くなり他の人たちから、ハブられています。自業自得とはいえ、今まで積み上げてきた全てが無駄になりました。
自信が、なくなりました。人間関係もすべて。
誰を信じていいのかもわかりません。
自信とは何ですか?
自信の取り戻し方教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「自信」とは今の自分を認めること
体調不良に加えて色々な出来事が重なったのですね。それは落ち込んでしまいますよね。
さて、「自信」とは読んで字のごとく「自らを信じること」です。
そこで大事なのはその自らとは「今の自分」です。つまり「全ての自分」「あらゆる自分」であり、どんな時の自分も信じるのです。
「自分が思う理想の自分」を良しとし、そうではない時の自分はダメとしてしまうと、そうではない時のダメな自分の時は苦しいです。
「理想の自分」になれるかなれないかという価値基準で常に自分を自分で苦しめることになります。
そして「信じる」とは委ねる事、まかせること。
すなわち「自信」とは「今の自分を認めること、受け入れること」になろうかと思います。
良い時も、悪い時も、「これが私だ」と自らの存在を明らかに見つめ受け止めることでしょう。
「今まで積み上げてきた全てが無駄になりました」
この一言にはあなたのこれまでの必死の努力が見て取れます。頑張って頑張って戦ってきたのだと思います。何かを守って歯を食いしばってきたのだと思います。
あなたのこれまでは本当に今回の問題だけで失われてしまうものだったのでしょうか。その程度のものだったのでしょうか。
私にはそうは思いません。
むしろ色んなものを積み上げてきたからこその今であり、そして自分が思う以上に様々なものが積み上げられてきたからこその今です。
私の今この現実は私の思いを超えているのです。
喧嘩後の対応一つ、社内で悪くなった評判の中での対応一つも積み重ねの一段です。何もかもなくなってしまったわけではありません。
むしろなかったことにできないからこその今です。
ゼロからのスタートにはならないのです。
これまでの全てを引っ提げて歩んでいく。今の自分を認めながら。
「もうダメだ」と私は私の思いの世界に閉じこもっても、その私の思いを超えた事実の世界は目の前に広がっています。
私の思いを破り、事実に突き抜けさせようとするはたらきを私たち仏教徒は仏法と讃えます。
仏様が私を信じてくださるからこそ、私は「もうダメだ」と思う私すらも「これが私だ」と頷きながらこの現実を歩んでいけるのです。