こんな私でも保育士を志してもいいでしょうか
よろしくお願いします。
我が子を保育園に預けるようになって、尊敬する先生方に出会えたのがきっかけで、しばらく離れていた保育士の仕事をまた志すようになりました。
転職支援業者を通じてサポートを受けながら職探しをし、あっという間に採用を頂くことができました。待遇面はこの上ない程よく、喜んだの束の間。心のモヤモヤが晴れませんでした。
原因は、
・面接の時に違和感を感じた点があった
・在園時の保護者から聞く話に良くない話が多い
面接で園の活動や方針やお仕事内容など、自分からもっと細かく質問すべきだったと反省するとともに、それまでの転職支援業者の対応で不審に思う点があり、ビジネスだから都合良く話して焦らせてスピーディに丸め込まれたんだと感じるようになりました。
これもご縁だし、まずは入ってみて自分の目で見てみようと色々と準備を進めましたが、子どもと関わる仕事である以上、一度入職したら簡単に辞めたらいけない、その思いが強くなり、契約書を出す直前になって、心がストップをかけました。
契約書を出す期限が迫っていて強い焦りが芽生え「家庭の事情」という嘘の理由を使ってしまいました。結果、辞退は成立しました。園長先生にも直接お会いしてお詫びしました。
でも今度は、人として愚かな嘘をついてしまったことに対する罪悪感と後悔に苛まれています。勇気を持って、自分の気持ちを正直に話してお詫びすべきだったと猛省しています。
近隣の園長先生方は繋がっているので、辞退先の園長先生と我が子の園の園長先生も繋がりがあるかもしれません。我が子の園の園長先生には一度仕事が決まったと報告したときに園名を伝えたので、なにか繋がりがあったとしたら「家庭の事情」が嘘であることはバレてしまうと思います。
このあと私がまた別の園で採用されたとしても園長先生同士の繋がりの中で、嘘をついた人間ということがバレてしまう可能性もあると思います。
考えると怖いですし、私のような人間が保育士として働くことが許されるのか、とも思います。
でも、他の職をと考えて色々探しても、やっぱり保育の仕事がしたいと思ってしまうのです。
こんな私でも保育士を志し続けても良いでしょうか。厳しいご意見でも結構です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
全ッ然OK。
大したことではありません。
そのイワカンはホンモノじゃないでしょうか。
当然ゆるされるべき反応です。
どこの保育の世界も表にはならないブラックな面があります。
みんな言わないだけです。
私は保育園の園長さんや幼稚園の園長さんたちと色々繋がりがありましたので、ダークな面もみてきました。
表向きクリーン、実状ブラックはかくれブラック幼稚園・保育園です。
園長という悪の経営者、そして園長の裏で実権を握る理事長、陰の黒幕園長の妻・理事長の妻、そして幼稚園経営者の〇〇家ファミリー繁栄の為の便利なコヒツジ保育士さん。気に入られないと優遇されない。出世するといってもファミリーたち以上には出世などない。わりとダークな世界が幼稚園・保育園であるということを一応知っておかれると良いでしょう。
それでも子どもが好きならお子さんに愛を注ぐことを大切になさってください。
保育士さんにも事務的になってしまう人は多いものです。
純粋に保育だけに集中したい気持ちがあっても、やれモンペや口うるさい保護者(アンテナパートナー・有力応報提供者)たちとの関わり、仲の悪い先生との絡み、いろいろあります。
そういうものをモノともせず、自分が自分をきっちりやる。
仏道・仏教とはそのためにこそあります。
どこで何に所属していても、心は何処にも所属せず、自由であることが出家です。
他人とのかかわりというものは極力「わたくしの介入」を慎み、人は人。自分は自分。と上手な距離感を保ってください。
つらいことがあったら、今あなたが思っておられるその申し訳ない気持ちを活力に正しいあるべき方向へ進んでいってください。
子供の笑顔は家庭の宝です。
沢山のご家庭に笑顔を送り届けて差し上げてください。
日本全国保育士不足です
質問者からのお礼
丹下覚元様 願誉浄史様
ご回答いただきありがとうございました。
何度も読み返させて頂きました。
保育園 幼稚園は多かれ少なかれダークな場所であること、納得できました。
子どもが好き 人や社会の役に立ちたい 笑顔にしたい
その気持ちを改めて心に刻み、今回の苦い経験は忘れることなく経験値という力に変えて、前に進みたいと思います。
ありがとうございます。