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事なかれ主義につながりませんか

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有り難し有り難し 27

忙しいところすいません。徳川家康は、天下統一しましたが、日光東照宮に祀られて神様になったと思うのですが、人間みな平等に、死んであの世、又は、極楽浄土に行くと思うのですが、徳川家康は、特別ですか?見ざる聞かざる言わざるは、そちらの地域の方々の臭い物に蓋をするなどのことにつながり、権力一極集中に、何時まで経っても変わらないと思うのです。どうでしょうか、昔の上人の方々は、この世の中のありさまに、身を置き、いろんなことを悟ったのだと思います。天皇や有力者などから疎ましがられたり、流罪になったり、苦労されたと思います。どうでしょうか、、、、


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

真実をのみ 見るべし きくべし 説くべし

神様になりたい人が神様になる。
神様にしたい人間が神様に祭り上げる。
人はみんな平等。
権力や力を持ったものがその使い方を誤ると正義の名のもとに自分たちがその国の一番正しい存在となるようにしむける。
そうして生まれた作られた神様ストーリーなんて人間が作った神様であって神様と呼ばせているだけの権力者の偶像崇拝ストーリー。
本質を知らない人たちが本人たちの中でドラマ化・偉大化・神格化しているだけのコトでしょう。
力のある人間は生きた人間の命さえ左右する。
だから、昔はこんなことうかつに口にすれば言えば丹下のような奴は舌を切られて無タン下か獄中死。怪死。生まれ変わってウシにでもなって上タン塩になって鉄板の上。(笑)
卑弥呼も日本の天皇も時の権力者も徳川家もその本質は要はその時代時代その時どきの権力屋さん。自分達の力を誇示するために死んでからも人間以上の特別な存在になろうとする。
その道理が分からんから偉いモンが偉いとか思うて有り難がる。
実際、後世の人たちや現代人も一緒になってまつり上げている面もある。
力で沢山の人を殺めて世を平定したといっても、陰ながら流された血の数々には光が注がれない。その時代では当たり前だったと言っても、今自分がそうされたら誰だっていやに決まっている。
それでも何となく歴史的に偉人とされているのはみんな力がある人間が怖いからでしょう。
「権威主義」はその人たち以外の人間の命を軽視した血なまぐさいものです。
まー、人間、特に日本人は「偉い人」が好きなんでしょ。
立場が偉い者を凄いと思っている所があるんでしょ。ははは
( ゚Д゚)「待てい!
キサマが民衆を誑かしている悪徳僧侶のタン塩かー!」
丹下「だれだ!」
( ゚Д゚)「このお上の権力の紋所が目に入らぬかぁッ!」
下っ端「げぇえ!あれは!」
ザコ「エライ人…」
弱キャラ「ひー」
丹下「そんなもん知るか―」
格さん「無礼者ー!ズバッ」
丹下「ぐぇー!人間みんな同じじゃないかー」
黄モン「生意気な!徹底的にやっちまいなさい!」
助さん「この身分の低いカス庶民めがー!ズブッ!」
丹下「差別じゃ~」
格さん「オレたち偉い人間にたてつくとは生意気な都合の悪い奴め!しねー!」
黄モン「世間には自殺に見せかけなさい!」
助さん「ハハーッ!」
格さん「ワンワン!」
丹下「( ゚Д。)ぐぇー💀まだ回答がー…」👼

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

こんにちは。

 徳川家康公には戒名があるので、仏教徒かもしれません。仏教徒でしたらどなたでも仏教徒としては平等です。
 一方で、神格化され東照宮におまつりされています。こちらは神道なので、どのような扱いなのかはわかりません。人間が神格化された例としては菅原道真公が天神さまとしておまつりされているのが有名ですね。また靖国神社・護国神社も日本のために戦い亡くなった御魂をおまつりしています。
 権力一極集中なのかどうかについてはよくわかりませんので、東照宮の方にお問い合わせになると良いと思います。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

質問者からのお礼

ありがとうございました。光禪様

丹下覚元様 独特のご回答ありがとうございました。

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