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失敗が怖い、恐れない勇気がほしい

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はじめまして。
わたしは自他ともに認める「石橋を叩いて叩いて壊して渡らない」性格です。とても怖がりで常に「失敗したらどうしよう」と思い詰めて1歩踏み出すことができません。出来てもとても時間がかかります……。

もうすぐわたしは社会人となります。新しいことに嫌でも挑まなければならないです。職場の人に「同じことを聞くのは2回までにしてね」と言われ、要領の悪いわたしに理解できるのか不安で不安で…。もう既に失敗したら…と考えてしまい、初出勤日が近づくのが怖くて眠ることができません。
どうか勇気を出しやすくなる言葉、失敗したときに気持ちを切り替える言葉を授けて頂けないでしょうか……。よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

勇気を持つより「確認」をする

こんにちは。
当方「石橋を叩かなくて良かった丹下」です。
先のことが怖い。不安だ。わかります。
私も先日ギターのアンプが壊れまして、はじめに新所沢の島村楽器に持っていったら部品がなくて海外から取り寄せるのに3カ月かかるといわれ「じゃ、いいです」と。次に大宮のイシバシ楽器に持って行ったのですが、愛知の修理工房に送って見積もりするのに六千なんぼかかるといわれたのですが、気に入っているサイコーの機材なので「じゃ、お願いします」とお願いしましたが結局「治せませんでした」という電話の留守録が入っていたのです。直せないのに六千何ぼも取られますのかいな!?( ゚Д゚)もしそうだったら「そりゃ、おかしいでっしゃろ」と文句言おうかな、クレーム言わないとな、ああ、言うの、ヤだな、とか思いながら電話しましたら「治せませんでしたので費用は不要です」と言われました。
何と感動的なストリーではありませんか。
フランダースの犬もびっくりな感動実話です。
ここから生まれた格言が「イシバシを叩かなくて良かった」であることは言うまでもありません。

怖れの本質はたった一つです。
自分の描いた思いにビビりする。
ビビりの映像が鮮明過ぎるのでしょう。
ありもしないことを想定する。
その想定って根拠なし。
だれがそうなるっていったのでしょう。
自分が勝手にそうなるに違いないとか思っているだけなのです。
恐れないためには勇気は要りません。
アニメやドラマならば勇気、勇気とかいいますが。
わたし、あまり勇気持ったことありません、あの映画ののび太君とかみたく。
どうでもいいですが、のび太君たち結構映画で貴重な経験してますけど小学生生活の中であんなにすんごい体験してるのにまだ卒業しないってすごいですね。
よって、失敗したら次の作品を作ればいいのです。
ちなみに私は先日「のび太のイシバシ楽器大冒険」は終わりました。
昨日は「のび太のE型肝炎かもしれない病院3時間半待ち冒険」も終わりました。
今日はのび太の「無農薬米さがし大冒険」がありました。
どんな失敗も経験。学び。向上の糧。軌道修正のきっかけ。成功へのチャンス。マリオのジャンプ台。まずは、実物に学ぶ習慣をつけるためにその時になってみてからジャッジしようと自分に言い聞かせましょう。失敗しても傷つけるのはその失敗の方ではなく思い方の方なのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

自信と余裕を!

誰でも、経験したことがないことや、学んでいないこと、理解していないことなどは、不安や恐怖、どうなるのだろうと思っています。
「石橋を叩いて叩いて壊して渡らない」性格とのことですが、今までにその経験で人生どうでしたか?楽しめました。ご自身で言われるそのような性格で満足してきましたか?満足できないから相談したのに・・と言われそうですが、そうです。もう自分の弱点は分かっているのですから、石橋を叩き過ぎずに前に進みましょう。自信がなければ、自信が持てるまで練習です。
自信がないことが、不安や恐怖につながり、又、失敗したらどうしようという負の連鎖につながります。
新社会人になります。新規一転、自信を持って進みましょう。

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有り難し
おきもち

日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにもにある”と発願し、法筵寺を新寺建立。住職として41年になります。どこまで、その思いを達成しているか分かりませんが、少しでもお釈迦様、日蓮聖人の教えに触れて頂けたら思います。 FB https://www.facebook.com/kaisho.suzuki 法筵寺FB https://www.facebook.com/houenji/ 日蓮宗ポータブルサイト内 https://temple.nichiren.or.jp/3031069-houenji/

質問者からのお礼

優しい言葉、ユーモアに溢れた言葉をありがとうございます。
初出勤の通勤中、このページを見ながら行きました。やっぱりビクビクしてしまいましたがいつもよりいくらか心が楽でした!
これからも辛い時に御守りのように大事に読み返したいと思います。精一杯がんばります!

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