親不孝ものです。
先週、母が亡くなりました。
苦しんでいるのに気づいていながら、本人が嫌がるので救急車を呼ぶこともせず、息をしてないことに気づいてから、やっと救急車を呼びました。
どんなに寂しくて、苦しみながら死んでしまったのかと思うと、自分が情けなくなります。
ここ数年、同じ家にいながら会話らしい会話もせず、母を邪険にしたり、今になってやっと酷い扱いをしてきたんだと悔やんでいます。
母がお酒の量やタバコの量が増えたのは、私が母に冷たくしていたからなんだと気づき、量が増えたことを咎めたとき、母が「何が楽しみだと思って。一日中どこにも行けないでいるのに」という言葉が突き刺さります。
足腰が痛いからと出歩くことも出来ず、「そんなに痛いなら病院行けって言ってるでしょ!」とケンカ腰になったり。
私と二人暮らしの母の会話相手は私だけだったのに、言葉を無視されたり、口答えばかりして、どれだけ寂しかったろうかと、今さら気づいたことが、本当に情けないです。
お酒やタバコの量が増えた理由も考えず、病院で対応してくださった先生には、死因にたいして「娘の私が言うのもなんですが、自業自得」などと言ってしまいました。
日が経つにつれ、私が原因でお酒やタバコの量を増やして母の命を縮めて殺したんだという現実を教えられました。
今さら悔やんでも、謝っても私の罪は消えません。
タスポのぼやけた写真が最後の母の写真なので、仏壇とは別にタスポをテーブルに飾り、一緒に今までと変わらない感じでテレビを見たり、お菓子を差し出したりして、仏壇の写真に「寂しくさせて、苦しんでいるのに救急者を呼ばなくてごめんなさい」と謝っています。
また、棺に靴を入れ忘れたり、死に化粧すらしてあげられなかったことも。
貧しい生活なのに、私はいい歳しても母にばかりお金を使わせ、私はいっさい母に買ってあげませんでした。今年の誕生日こそは、と思っていた矢先です。
誕生日に、買って供えて喜んでくれるのか。
私の親不孝は、どうしたら親孝行に変えられるのか、教えて頂きたいです。
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母と二人暮らしだったのが、母を亡くして独り。苦しんでるのを気づいていたのに早く救急車を呼べばよかった、母を無視したり邪険に扱わなければよかった、その寂しさで母を早死にさせた、私が母の寿命を奪ったんだと毎日思っています。 母の命を縮めた罪は一生消えないと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
懸命に生き抜かれた。娘の側で。ケンカしても幸せだったのでは。
そぅ。。。お母さまを お側で看取ったのね。
お母さまは、救急車を呼ぶことを望んでおられなかった。。。
私は、たくさんの方の最期に接しますが。必ずしも、救急車を呼ぶことが その人にしてあげられる良い方法ではないんです。
生きる ということは、いろんなことがありますねぇ。そもそも、仏教では何一つ 自分の思い通りには、ならないのだと説いています。
どんな人も、もちろん私も、理想の死 なんてなくて、皆 老いながら、病みながら、そして命を終えます。お母さまも、老い病みの苦しみの中、お酒やタバコで 和らげていたのかもしれません。お母さんは、お母さんの生き方をなさったのです。
あなたに後悔があるのは、お母さんが私に その辛さを少しでもわかってもらいたかった 甘えを、受け止めてあげられなかったからでしょ。ついつい、冷たく当たってしまった自分に、腹が立つのよね。
でもね、お母さんは殺されたわけじゃない。
自分の老いと向き合いながら、懸命に生き抜いた。娘の側で。ケンカしながらも、幸せだったのではないかしら。孤独では無かった。
救急車を呼ぶと、救命措置がなされます。
本人が望まないのに、無理に命を永らえさせることは、また苦しみが続くということでもあります。命の最期を、本人の一番望む形で、家族が看取る現場が、何より幸せなのではないでしょうか。
どんな最期でも、大切な人の死は、辛いものです。ときには、あの選択は、良かったのか、私が死なせたのではないかと、後悔も襲うでしょう。
そのたびに、言い聞かせて。
あれで良かったんだって。
人間は、老い 病み 死す 、この苦しみがあるから、生きることも また苦しみになります。
そんな中で、亡き人から何を学ぶのか。
この世は無常である。
命に限りがあること。
そして、その一度きりの命を、どう生きるか。相手の命も、また同じ。
亡き人が教えてくださったことを どう受け止め、命を考えるか。
その先に、仏様に願われた、「いのち」を生かされていたことに気づいていく、それが仏教です。
いろんなことを考えながらも、一緒に手を合わせて生きましょう。
私も、あなたのお母さまを想い、手を合わせますね。合掌。
苦しめたこともあり喜びを分け合ったこともある笑顔で生きる
喧嘩する言い争うは縁深き同じ血潮の分身なれば
他人とはものも言わずにすれ違う睨み合うのも血が通うから
喧嘩して反省をしてこの野郎などと寝言や夢でも思う
お墓には布団はかけてあげられず声をかけても応えもあらじ
省みてわが生き方を改めよ母との諍い心耕す
帰らない日々を思うてこれからの出会えるひとに笑顔で接す
いまさらに思い悩むは亡き母が悲しむならん上向いて歩こう
質問者からのお礼
ありがとうございます。
私が冷たくあしらっていたから、酒量や喫煙量が増えてしまったんだと、死んでから気づいて、自分の勝手さに気づき、母に言われた「お前って冷たいな」という言葉が身に染みます。最近、まともに顔を見ていなかったので、母の笑顔がぜんぜん浮かびませんし、なぜか、あんなに焼き付けるほど見ていた死に顔が浮かんできません。
最後に何年か前に撮ったタスポのぼやけた小さい写真が亡くなった時に近い気がするだけです。
また、涙も止まり夜は今までと変わらない感じなのですが、朝起きると虚脱感のようなものがあります。
長くなりましたが、母は「今さら気づいても遅い」と嘆いてると思いますが、タスポのぼやけた写真や、遺影にしているだいぶ昔の、おそらく1番幸せだった時の母に話しかけたいと思います。