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父と母の死について

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父が癌で60歳で息を引き取り、一ヶ月も経たずに今度は母が58歳で急死をしました。

こんなに短い間で、両親を亡くしてしまうとは夢にも思っておらず、悲しくて、仕方がありません。

泣いてばかりでは仕方がないので、どうにか納得しようと、色々考えているのですが、どうにもいかない日々を過ごしています。

これから、どのように人生と向き合っていきていけば良いのでしょうか。
この悲しみが、いつか自分の糧となり、前を向ける日が来るのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

グリーフケアを受けてみてください。

みなみな 様 相談ありがとうございます。

大変なことですね。ご両親が一か月もの間にお亡くなりなることは
悲しいことだと、感じております。
お悔やみ申し上げます。
それで、
そばに居て、そっと温かく見守ってくれるような人がいますか?
温かく、安心安全な場所で、優しい人のそばで
自分の感情を思いっきり出して、泣くだけなければ
少しずつでも哀しみから解放されるような感覚になります。

その環境に、今はないと思うのなら、
グリーフケアを専門にする
カウンセラーに話を聴いてもらう等の事をするのが、良いと思います
一人で哀しみを抱え込まないで、どうぞ専門の人に
自分の思いをぶつけてみてください。感情を出し切ってください。

そして、
「どのように人生と向き合っていきていけば良いのでしょうか。
この悲しみが、いつか自分の糧となり、前を向ける日が来るのでしょうか。」
の答えは
必ず見つかると信じてください。

どんなに暗い夜も、必ず朝日が昇るように
どんなに大雨でも、やがて晴れて太陽の光がさすように
哀しみもやがて癒えて、前を向いて歩いて行ける日が来ます。
誰のところにでも、太陽は輝くのです。
それを信じてください。
合掌礼

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お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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「諸行無常」について

みなみな 様 相談ありがとうございます。

大変なことですね。ご両親が一か月もの間にお亡くなりなることは
悲しいことだと、感じております。
お悔やみ申し上げます。

 さて、みなみ 様、仏教の教えの「諸行無常」のおことばをご存じでしょうか。この世界に起きること、すべて「新しいこと」であり、「同じこと」が繰り返されることはありません。どんな感情も、どんな人間関係も「変わり続ける流の中の一局面」に過ぎないし、だから「今」がどれだけ不幸であっても、絶望する必要がないとする捉え方をします。
 お坊さんをしていますと、みなみ 様と同じく旦那様を亡くし、10日後に介護をしていた義母を看取るという方や、妹さんを亡くし、49日の法要がすんだ途端、奥さんを亡くした方等、多くの場面に遭遇いたします。しかし、皆様方、悲しみ乗り越えて、元気に過ごされています。
 私も20才の時、17才の弟を亡くしています。その時は、「何故自分だけが、このような不幸な目に合わなければならないのか」と悔しい思いが募りましたが、時が経ち、50回忌の法要を営んだ現在、普段は弟のことは、忘れています。「忘却」のことばそのものです。
 また、今後の生き方として、精神医科医の名越康文著「どうせ死ぬのに、何故生きるのか」(PHP新書)の講読をお奨めいたします。「諸行無常」についても説明されており、生きるヒントが得られると
思います。   合掌

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清水道心
サラリーマンでしたが、第二の人生は、在家から出家得度し僧侶に転進。現在、ブ...
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これからもあなたを

拝読させて頂きました。
お父様そしてわずかの間にお母様が突然お亡くなりになりあなたは大変悲しい思いをなさっておられることでしょう。その辛いお悲しみを心よりお察し申し上げます。
人は必ずその生を全うする時が参ります。とはいえそれは誰にもわかりません。
ですが余りにも突然その死が訪れるならどうしてもそのことを受け入れられないのが人間です。
ましてやご両親であるならば余計にそうでしょう。
そのことは簡単には受け入れられないものです。
私も1カ月半前に母が亡くなりました。母が亡くなることはわかっていたことですがそれでも今でもなかなか受け入れられないのが心情です。
どこかで母は生きているのではないかと、ふと母の部屋から姿を現すのではないかと思ってしまいます。

それでも母はこの世での生を全うして仏様のお救いお導き受けて仏様の元に生まれ、父や親しい方と再会したことでしょう。そして私達をこれからも片時も忘れることなくいつでも見守っていてくれます。

あなたのお父様もお母様も必ず仏様がお導きなさって仏様の元でお二人で心安らかになられます。そしてこれからもあなたや皆さんをいつでもどこでも必ず見守り続けて下さるのです。
悲しみは尽きないでしょうけれどもあなたのその思いをそのままお父様お母様に手を合わせて心からお伝えなさってくださいね。
お父様お母様は必ずあなたのその思いをそのままお受け止めなさってくださいます。
そしてあなたに寄り添い守って下さいます。

あなたとお父様お母様とのご縁はこれからも永遠に続くのです。どうぞこれからもお父様お母様を思い手を合わせて心からご供養なさって下さいね。

きっとあなたや皆さんをいつでもお父様お母様は導き支えて下さいます。

お父様お母様はいつもあなたのおそばにいらっしゃるのでからね。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

釋 孝修 様

ありがとうございます。グリーフケアというものがある事、お恥ずかしながら、初めて知りました。
そう言ったものを、活用してみます。

いつか、前を向いて歩けるように、胸を張って日々過ごしていきたいと思います。

心が少し癒されました。本当に、ありがとうございます。

清水 道心 様

ありがとうございます。皆さま、それぞれ、色々な思いを抱えて生きているのだと思いました。

諸行無常というお言葉、改めて調べ、噛み締めております。

名越先生の著書は、少しだけ拝読したことがあるのですが、記されていた著書はまだ、拝読しておりませんでした。購入し、読んでみます。

コメントに、大変助けられました。
ありがとうございます。

Kousyo Kuuyo Azuma 様

Kousyo Kuuyo Azuma 様も、お母様を亡くされていらっしゃるという事で、お悔やみ申し上げます。

父も母も、見守ってくれているんですね。
淋しくて、淋しくて堪らないのですが、毎日語りかけながら、前を向いて胸を張って生を全うしたいと思います。コメント、ありがとうございます。心救われました。

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先日大好きな妻が亡くなりました。妻は本当に僕の全てで大事な大事な宝物でした。 子供もおらず、独りぼっちになってしまい、今は絶望しています。生きる目的、意味が全く無くなりました。 僕の唯一つの願いは最愛の妻の魂にずっとずっとすぐそばにいてもらい(お骨も手元に)、自分が亡くなるときに一緒のお墓に一緒に納骨してもらい、そしてあの世でまた会えることだけです。 質問なのですが、49日に審判され遠くへ行ってしまい最終的に極楽浄土を目指すという理解をしているのですが、疑問があります。 白木の御位牌から本位牌となり、魂を入れて頂くと思うのですが、位牌に魂が宿るとするならば、極楽浄土などに魂は向かうのに、魂はいったいどこにいるのでしょうか? 魂は分割され2か所にいるのでしょうか? また、お盆には年に一回戻って来るという話しも子供の頃から聞いており、迎え火で迎え送り火で送り帰って行くということでした。帰ってしまったらいないということなのでしょうか? 極楽浄土等、御位牌、お盆、魂の居場所をわかりやすくご説明頂けますと幸いです。 僕は妻にずっとそばにいて欲しい、遠くへ行って欲しくないと考えております、魂の居場所によっては仏教と考えが合わないのでしょうか? 実はそのように悩んでいる間に49日が過ぎてしまいました、49日の法要は過ぎては良くないと聞きますが今から行って頂くことは難しいのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

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父親亡くなる

父93歳母90歳姉64歳私57歳で、姉は実家からバスで30分の所に住んでおり、私は埼玉県に住んでいます。母は専業主婦で家事全般をやっていた人です。父母共に病気をして入院した時は、どちらかが実家に帰って寝泊まりをしていました。母が心臓の手術を10年前にしてから、家事全般を最小限しかできず、それでも父母と2人で頑張っていましたが、2年前に母が転倒して頭を打ったのですが、頭の中も異常なく、骨折もしておらず、ただ筋力が落ちて、やる気も出なくなり、父が母に変わって家事全般を最小限やってくれる事になり、父は、家事をやった事がないので、味噌汁の作り方を一から母が教えていました、しかし父の作る物にしょっぱいだの、と父と姉に話していたそうです。父も指示されているみたいでイヤだとは姉に話していたそうです。母か転倒して、動けなくなった頃から、愚痴がおおくなり、姉は、母は要支援2の認定を頂いていたので、訪問ドクター訪問看護ディサービスを利用し、少しでも愚痴の数を減らしていこうとした時に、父が脳梗塞でたおれ、悪性リンパ種も見つかり、入院して1ヶ月で亡くなりました。愚痴をこぼす所もなくなり、母は、私や姉が手続きや、お墓仏壇等をやっていると、私達に攻撃しはじたのです。ただそれが午前中に始まり夕方には、穏やかになり、母の今後の事もあり、ケアマネに来てもらい話をすると、老人うつ病をかられると言われ、私達も確信ではないが、そうではないかと思うと伝えました。前から少しずつあったものが、今になって大きく出てきたのではないかとも言われました。姉は知識がないので、精神的な事が書かれている本を前から読んでいますし、私も資格はないですが、施設で長く働いているので、少しは知識があります。ただ姉が言うには、父が生前の時母は、とても穏やかな人で先々を考える人だったと話し、母が転倒して何もできなくなってから、人が変わったようだと言うのです。うつ病があるかもしれない事を少し頭に入れて対応していこうと姉と話していたのですが、姉もわかっているが、ウンウンとは聞けずついいってしまう、母はエスカレートしてしまう、なので第三者に入ってもらって、近くにおばがいるので、母の話しを聞いてもらうなどして、対応していますが、これからどんな事に気をつけたらいいのか、対応はどうしたらいいのか、母自身も、自覚がないので困っています

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先日、義父が亡くなりました。 私がコロナに感染し家に持ち込んだ為家族もコロナになり、もともと持病が有り弱っていた義父にもうつしてしまいあっけなく亡くなりました。 入院して3日、急変したとの連絡あり病院へ行きましたが人工呼吸器を付けられていたのでまだ生きていると思っていました。 義家族と病室に居ると看護師や医師が来て死亡確認していいかと言われそこで初めてすでに亡くなっていることを知らされました。 急に意識がなくなり呼吸が止まったというような説明を医師からされました。 私は両親を看取っているのですが、完全に心臓が止まるのには時間がかかるはずなのに死亡確認の時にはすでに止まっていると言われました。 何故もっと早く知らせることができなかったのだろうかと少し不信感を感じました。 コロナが5類になったとは言えそう簡単に面会はさせられないのは分かるのですが、独りで逝かせてしまったし看取ることも出来なかったのが心残りで、せめて意識のあるうちに会わせてあげたかったと医師には言いました。 どうにもならない事とはわかっていましたが言わずにはいられませんでした。 私が感染しなければ義父は生きていたであろうと思うと義家族に申し訳なくて仕方がありません。 私が殺したのも同然だと。 主人にも義妹にも私が原因です、ごめんなさいと謝罪しましたが誰も責めません。 優しい人たちなので有難いのですが余計に辛いです。 義母は憔悴しきっていて、責められるかもしれないと思うと怖くて言い出せなかった。 ずるいですよね。 親類やかかわった人にも慕われいていたようで、遠くからも大勢弔問に来ていただきました。 それを見ているとなんてことをしてしまったのだろうと苦しかったです。 もともと持病が有り8年闘病して痴呆が出てきていましたが、薬との相性も良かったようで病状も落ち付いていて体力は落ちてきてましたが元気でした。 まだしばらくは生きれたでしょうに、私が殺したようなものです。 自分を責めるな、誰も悪くない、仕方がない事だとまわりは言いますがどうしようもなく心苦しくなります。 人前では気持ちを誤魔化し平静を装っていますが、義母や主人の落ち込み様を見ると申し訳なくて… もともと過去の嫌なことを思い出して後悔し落ち込む質なのです。 これから自分や周りとどう向き合っていっていいのか分かりません。

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昨日母が亡くなりました。いわゆる孤独死みたいな状況でした。きっと最後は辛かったと思います。かわいそうです とはいえ、私は仕事の日程とか諸費用とか手続きとかそんなことばかり考えています。あと趣味の大会の日程調整とか。 それなりには悲しいけどそれなりです。母の身になって考えればかわいそう、というだけで、私自身の悲しみとは違う気がします。もともとあまり関係が良好ではなく成人してからは不仲でした。しかし子供の頃には良い思い出もあるというのに。 自分自身にがっかりしてます。何でこんなに冷たいんでしょう。我ながらなんかおかしいんじゃないかと思ってます。 母の生前は苦しかったろうし寂しかったろうと思いますが、死んだらそれまでだなあと思うのが本音です。 浄土真宗の人だったので、仏様がいるとすれば阿弥陀仏が死後のことはなんとかしてくれるでしょ、みたいななげやりな気持ちもあります。母は駄目な人でしたが、そういう人でも、家族にろくに供養されなくても、阿弥陀仏はなんとかしてくれるって聞いてます。生前一度でも南無阿弥陀仏と唱えれば仏様との縁が結ばれて、すべての衆生を救いたい阿弥陀仏の本願によって西方浄土につれてってもらえるんですよね? もう私は供養とか関わり合いになるの嫌だ。 私もきっと一人で苦しい思いをしてのたれ死ぬんだろうなあと思います。

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