喋りたくない
人を傷つけるつもりないのに、人を傷つけてしまっていました。これに対する因果応報が怖いです。もう喋りたくない。喋らない生き方もありですよね?もちろん挨拶や必要なことは話しますが。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ついでに頭の中の独り言も。
いいですね。
もちろん時と場合によりますが、沈黙こそが最善だったりする事もあります。
お釈迦様とて、何でもかんでもしゃべり倒していたわけではありません。相手の言い分をじっと聞いている時もれば、どれだけ催促されてもあえて回答を避けたという話も結構あります。
ついでに、”頭の中のひとりしゃべり”もストップしてみるといいですよ。
なかなか難しいかもしれませんが、天地がひっくり返るほどの衝撃的な、まさに目から鱗の大発見があると思います。
中道
私達の人生においてこうでなければならないということはありません。だからどう生きようがありかなしかは自分が決める事です。
「喋らない生き方」というのは、要は深く関わると無意識のうちに人を傷つけてしまう恐れがあるので挨拶などの必要最低限以外は人と関わらない生き方ということですね?
おっしゃる通り、人を傷つけるつもりないのに、人を傷つけてしまうことって多々ありますものね。受け手と話しての認識の違いや、そもそも話し手の認識の欠如からも起こってしまうことですよね。
あなたが本当にそのように生きたく、それが幸せらその生き方に何も問題はありませんよ。私なら寂しくその生き方は耐えれませんけどね。
ちなみに、お釈迦様は「全部あり!」という生き方も「全部なし!」という生き方もどちらも極端な偏ったものである、偏らずその中道を生きなさい、と説きました。
喋らなければ喋らないという自らの因により、それに応じた果が報いてきます。
さあ、あなたはどう生きますか?これは誰にも決められるものではありません。あなた自身が選択し、自らの生きる歩みで問いながら実践し証していくものです。
私からできるアドバイスとしては力入れて偏り過ぎず生きましょうという事だけです。人間は傷つけあってしまう生き物でもありますが、許し合うこともできる生き物なのですから。
質問者からのお礼
吉武文法様
回答ありがとうございました。中道を生きる、何事もほどほどにしなければなりませんね、私も本当はしゃべりたいです!寂しいから!人や場所、内容を選んでから喋る喋らないを決めていきたいです。もしまた傷つけてしまっても、許しあえるはず!
転落院様
回答ありがとうございました。お釈迦様もあえて黙っていらっしゃったのですね、お釈迦様のように上手く出来ないのですが、人、場所、内容を選んび回避して行きます。頭の中の一人しゃべり、何故私がよく頭の中で一人でしゃべっているとわかったのですか?!私も辞めたくて辞めたくて仕方がないのです。たまに口にボソボソ出ちゃうくらい。でも最近は頭の中がボソボソし始めたら、吸って〜吐いて〜吸って〜吐いて〜と瞑想?を実践しています!天地がひっくり返ると教わったからにはやらねば!と思いました。