現代日本の課題を解決するための仏教的な知恵はありますか?
今の日本社会を見ていると、日本の将来が不安になります。自分の問題ではないので、今は深く考えていません。しかし、何か手を打てないかなと思っています。
今、心身の調子を崩して休んでいます。その間、多くの時間、読書に費やしました。機会があって、公立の精神科病院に行ったり、内科的な問題で入院したりしました。精神科のデイ・ケアにも通っています。
この一年の中で仮説を立てました。
(1)今の日本の現状、貧富の格差は仕方ない
地球上の化学元素の数は、あまり変わらず、一定です。富を集めるということは、必然的に富を吸いとられ貧困に陥る人がいるということです。大昔は、物々交換で自分が必要なものを交換していたようです。その時に、感謝の言葉も交わされたかもしれません。それが、一部の人が欲を持ち、物を集めるようになったため、貧困層が生まれ、不満や恨み、怒りを買ってしまうのだと思います。寄付という自主的な社会貢献は、寄付した人の満足感と寄付された人の感謝の心が生まれ、お金も循環し、良いことがあると思うのです。心の寂しさや自己顕示欲をお金や物で示しすぎるので、まずいと思っています。
(2)家庭教育力や地域教育力の低下
今の大人は余裕がありません。また、少なくとも私たちの年代は、学校名のブランドや数字の成績に注目し、教育の質や中身について軽視された教育を受けてきたと思います。外見は華やかに飾って、中身がしっかりしていない。だから、精神を保てず、自殺や引きこもり、殺人が起こるのかなと思います。たぶん、「人を虐めるのはダメだ」「人を殺すのはダメだ」「挨拶をしましょう」とかって分かっているのだと思います。精神的に耐えられない状況にあるのだと思います。それは、様々な宗教や先人の教えを軽視した結果だと思います。子供が変わったのではなく、大人が変わってしまったと考えます。まず、大人の認識を改めることが先だと思います。
この現状を打開するのは教育。でも、学校教育はもはやもぐらたたき状態で対処していくしかない現状。私自身は、これからどのように行動していこうか考えている状況です。
何か仏教の知恵はありますか?
我が強い。保身のために、人を妬んだり、羨んだり、言い訳をしたりする。気持ちに余裕がなくなると、怒ってしまう。愚痴を言ってしまう。過去に学んだことに執着してしまう。未来に対して余計な不安がある。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一人一日のうちに八億四千の念あり
仏教では、心の時間の最小単位を「念」といいます。
心という映画の1コマ1コマが「念」だとすると、1人の人間の1日(24時間)の映画には8億4千コマあると、法然上人はおっしゃいました。
それくらい、仏教では心の変化を細やかに観察するのです。
私達は普段、心の素早い変化をちゃんと観ていないのです。
たとえば、「今日は一日中失恋のことを考えていた」という場合、実際には8億4千念すべて失恋のことを考えていたはずはないのですが、そのように錯覚しています。
実際には、心はもっときめ細かい。
失恋に悩んでいる隙間に、楽しいことを考えるブレイクタイムを挿入できるはずなのです。
また、私達は、せっかく毎日8億4千念の時間を与えられているのに、それらを無駄使いしてしまいます。
たとえば、悩んでいるときは、答えがでない同じことを何度も何度もくりかえし考え、思考の堂々巡りに「念」を無駄使いする。
「今日は雨だろうか晴れだろうか」を一回考えるのはOKだが、三回考えるのは無駄。素早く天気予報をみればよいだけ。
私は、人類が「念」を理解し、心をリフレッシュし、能力(時間)を有効活用すれば、人類全体のストレスが減り、人類全体の問題解決能力がアップすると思います。
仏教者の心は「軽安」なのです。
軽やかで平安。
できることはサッサとやっちゃう。
できないことはできないでくよくよ悩まない。
できることをできる範囲でやればよいだけ。
SNSの活用
ひろし様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
仏教には、「縁起」という考え方がございまして、「縁って起こる」ということで、モノ・コトは、他に依ることによって成り立っているというものとなります。
全て顕れてある存在というものは、そのものの側において、独立自存として成り立っているかのように顕れてありますが、実際は、そのものの成り立ちを、どのように詳しく分析していっても、これが、そのものの実体と言えるようなものは見当たらないのであります・・
難しいことですので、少し脇において頂いておきまして・・
まあ、とにかく、他に依らなければ存在できないということであります。
ですから、他との関係を、どう良好に保つべきであるのか、ということが、より良くに人生、生活を過ごしていくためにも大切なことになって参ります。
そのためにも、他への配慮や、気遣い、心遣いというものが必要になってくるのではないだろうかと存じます。
教育という現場においても、一方的とならずに、互いの配慮や気遣い、心遣いが求められるところとなります。
そのためには、互いのニーズをうまく調整できるようなシステムが必要であると存じます。
時代、社会の流れの中で、より個別具体的なニーズのすり合わせをどのようにしていくべきであるのか・・
従前たる教育委員会やPTA等などを通じた機動性、柔軟性に欠けるシステムでないものを何か作れると良いかとは存じます。
今やネット社会、SNSを活用した試みも。例えば下記のような取り組みを先鞭としてになりますかね。。
LINEなど、いじめ相談にSNS活用へ
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24322720W7A201C1X35000/
LINEの「いじめ相談」が超好評。2週間で電話相談1年分を軽く上回る
https://www.huffingtonpost.jp/2017/10/11/line_a_23240739/
こういったサービスのアプリ開発など、ますます増えていけばと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
〉長寿寺 柳原貫道 様
ご回答、ありがとうございます。
新しい学習指導要領から、道徳は教科化されます。国定教科書を使用するということで、1つの価値観を強要することになるのではと思っています。価値観の多様性を認めないことが、いじめや自死、争いなどを引き起こすのだと思います。家庭でも学校でも職場でも、自分を追い詰める教育や道から外れたら人生が終わってしまうという風潮があり、悪い方へ悪い方へ流れていっている気がしてなりません。
〉願誉浄史 様
ご回答、ありがとうございました。
心の変化を細かく観察することは、なかなかできないことですよね。私は、デイケアに行って、認知行動療法を受けて、自分の気持ちを分析し、問題解決技法を用いて解決する方法を学びました。また、行動記録表をつけることになっており、気分の一日のなかでの変化をグラフで表しています。また、その時の気持ちや度合いも記録しています。そのような訓練を受けていくなかで、気持ちの整理の仕方も身に付いてきました。これを応用させると、仏教で言う「念」になるのかなと思います。
物事の捉え方や考え方を身に付けることが大切なはずなのに、家庭でも学校でも生きていく技を教えてもらえないので、苦しんでいる人は多いと思います。私自身が無理なく貢献できることをやっていこうと思います。
〉川口英俊 様
ご回答、ありがとうございました。
「他との関係をどう良好に保つべきであるのか?」というのは、子供のうちに教わっておく必要があると思います。しかし、家庭は、その重要性を理解していないように感じますし、学校はそれを指導する余裕もありません。外からの情報をどう感じ、どう捉え、どう行動するか、ということを教えることがより良く生きるための根幹だと感じています。しかし、今は、知識だけを与え、生きていくための技能を与えられていないと思います。価値観の単純化と認知の偏り。これが、いじめなどの問題を生んでいると思います。価値観を多様化に向かわせ、認知の柔軟さを生み出すようなシステムが生まれるといいですね。