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現代日本の課題を解決するための仏教的な知恵はありますか?

回答数回答 3
有り難し有り難し 38

今の日本社会を見ていると、日本の将来が不安になります。自分の問題ではないので、今は深く考えていません。しかし、何か手を打てないかなと思っています。
今、心身の調子を崩して休んでいます。その間、多くの時間、読書に費やしました。機会があって、公立の精神科病院に行ったり、内科的な問題で入院したりしました。精神科のデイ・ケアにも通っています。

この一年の中で仮説を立てました。
(1)今の日本の現状、貧富の格差は仕方ない
地球上の化学元素の数は、あまり変わらず、一定です。富を集めるということは、必然的に富を吸いとられ貧困に陥る人がいるということです。大昔は、物々交換で自分が必要なものを交換していたようです。その時に、感謝の言葉も交わされたかもしれません。それが、一部の人が欲を持ち、物を集めるようになったため、貧困層が生まれ、不満や恨み、怒りを買ってしまうのだと思います。寄付という自主的な社会貢献は、寄付した人の満足感と寄付された人の感謝の心が生まれ、お金も循環し、良いことがあると思うのです。心の寂しさや自己顕示欲をお金や物で示しすぎるので、まずいと思っています。

(2)家庭教育力や地域教育力の低下
今の大人は余裕がありません。また、少なくとも私たちの年代は、学校名のブランドや数字の成績に注目し、教育の質や中身について軽視された教育を受けてきたと思います。外見は華やかに飾って、中身がしっかりしていない。だから、精神を保てず、自殺や引きこもり、殺人が起こるのかなと思います。たぶん、「人を虐めるのはダメだ」「人を殺すのはダメだ」「挨拶をしましょう」とかって分かっているのだと思います。精神的に耐えられない状況にあるのだと思います。それは、様々な宗教や先人の教えを軽視した結果だと思います。子供が変わったのではなく、大人が変わってしまったと考えます。まず、大人の認識を改めることが先だと思います。

この現状を打開するのは教育。でも、学校教育はもはやもぐらたたき状態で対処していくしかない現状。私自身は、これからどのように行動していこうか考えている状況です。

何か仏教の知恵はありますか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一人一日のうちに八億四千の念あり

仏教では、心の時間の最小単位を「念」といいます。
心という映画の1コマ1コマが「念」だとすると、1人の人間の1日(24時間)の映画には8億4千コマあると、法然上人はおっしゃいました。
それくらい、仏教では心の変化を細やかに観察するのです。

私達は普段、心の素早い変化をちゃんと観ていないのです。
たとえば、「今日は一日中失恋のことを考えていた」という場合、実際には8億4千念すべて失恋のことを考えていたはずはないのですが、そのように錯覚しています。
実際には、心はもっときめ細かい。
失恋に悩んでいる隙間に、楽しいことを考えるブレイクタイムを挿入できるはずなのです。

また、私達は、せっかく毎日8億4千念の時間を与えられているのに、それらを無駄使いしてしまいます。
たとえば、悩んでいるときは、答えがでない同じことを何度も何度もくりかえし考え、思考の堂々巡りに「念」を無駄使いする。
「今日は雨だろうか晴れだろうか」を一回考えるのはOKだが、三回考えるのは無駄。素早く天気予報をみればよいだけ。

私は、人類が「念」を理解し、心をリフレッシュし、能力(時間)を有効活用すれば、人類全体のストレスが減り、人類全体の問題解決能力がアップすると思います。
仏教者の心は「軽安」なのです。
軽やかで平安。
できることはサッサとやっちゃう。
できないことはできないでくよくよ悩まない。
できることをできる範囲でやればよいだけ。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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SNSの活用

ひろし様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教には、「縁起」という考え方がございまして、「縁って起こる」ということで、モノ・コトは、他に依ることによって成り立っているというものとなります。

全て顕れてある存在というものは、そのものの側において、独立自存として成り立っているかのように顕れてありますが、実際は、そのものの成り立ちを、どのように詳しく分析していっても、これが、そのものの実体と言えるようなものは見当たらないのであります・・

難しいことですので、少し脇において頂いておきまして・・

まあ、とにかく、他に依らなければ存在できないということであります。

ですから、他との関係を、どう良好に保つべきであるのか、ということが、より良くに人生、生活を過ごしていくためにも大切なことになって参ります。

そのためにも、他への配慮や、気遣い、心遣いというものが必要になってくるのではないだろうかと存じます。

教育という現場においても、一方的とならずに、互いの配慮や気遣い、心遣いが求められるところとなります。

そのためには、互いのニーズをうまく調整できるようなシステムが必要であると存じます。

時代、社会の流れの中で、より個別具体的なニーズのすり合わせをどのようにしていくべきであるのか・・

従前たる教育委員会やPTA等などを通じた機動性、柔軟性に欠けるシステムでないものを何か作れると良いかとは存じます。

今やネット社会、SNSを活用した試みも。例えば下記のような取り組みを先鞭としてになりますかね。。

LINEなど、いじめ相談にSNS活用へ
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24322720W7A201C1X35000/

LINEの「いじめ相談」が超好評。2週間で電話相談1年分を軽く上回る
https://www.huffingtonpost.jp/2017/10/11/line_a_23240739/

こういったサービスのアプリ開発など、ますます増えていけばと存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

〉長寿寺 柳原貫道 様
ご回答、ありがとうございます。
新しい学習指導要領から、道徳は教科化されます。国定教科書を使用するということで、1つの価値観を強要することになるのではと思っています。価値観の多様性を認めないことが、いじめや自死、争いなどを引き起こすのだと思います。家庭でも学校でも職場でも、自分を追い詰める教育や道から外れたら人生が終わってしまうという風潮があり、悪い方へ悪い方へ流れていっている気がしてなりません。

〉願誉浄史 様
ご回答、ありがとうございました。
心の変化を細かく観察することは、なかなかできないことですよね。私は、デイケアに行って、認知行動療法を受けて、自分の気持ちを分析し、問題解決技法を用いて解決する方法を学びました。また、行動記録表をつけることになっており、気分の一日のなかでの変化をグラフで表しています。また、その時の気持ちや度合いも記録しています。そのような訓練を受けていくなかで、気持ちの整理の仕方も身に付いてきました。これを応用させると、仏教で言う「念」になるのかなと思います。
物事の捉え方や考え方を身に付けることが大切なはずなのに、家庭でも学校でも生きていく技を教えてもらえないので、苦しんでいる人は多いと思います。私自身が無理なく貢献できることをやっていこうと思います。

〉川口英俊 様
ご回答、ありがとうございました。
「他との関係をどう良好に保つべきであるのか?」というのは、子供のうちに教わっておく必要があると思います。しかし、家庭は、その重要性を理解していないように感じますし、学校はそれを指導する余裕もありません。外からの情報をどう感じ、どう捉え、どう行動するか、ということを教えることがより良く生きるための根幹だと感じています。しかし、今は、知識だけを与え、生きていくための技能を与えられていないと思います。価値観の単純化と認知の偏り。これが、いじめなどの問題を生んでいると思います。価値観を多様化に向かわせ、認知の柔軟さを生み出すようなシステムが生まれるといいですね。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

有り難し有り難し 12
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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

有り難し有り難し 10
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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ