四十九日を前に、死にたくなってきました
初めて相談させていただいてから、もう少しで母の四十九日です。
日増しに、涙流す時間や量が増えて最近は死にたくなってきました。
女手一つで育ててくれたのに、38にもなって反抗期になり、母に酷いことを言ったり無視したり、どんなに謝っても謝りきれないほど。
時には口喧嘩したとき、早く死ねばいいのにとまで思ったこともあります。
そんなだから、淋しくさせて母の寿命を縮ませて殺したようなものです。
死の前日や当日も母の面倒もろくに見てあげませんでした。当日は、苦しんでいる姿を見ていながら、私の寝不足優先で横になり、そのあとそばにいることもしないで100均に汚物のついた手や足を拭くための雑巾を買いに行き、ひとりぼっちにさせました。
探せば家の中にいくらでも拭くものがあったのに、それすらせず。
100均なんて行かずに、さっさと救急車を呼べばよかった。横になんてならないでさっさと救急車を呼べばよかった。
今年こそは、私のものばかり買って自分のものは何一つ買って来なかった母にも母の日や誕生日に靴や服をプレゼントしようと思っていたんです。
きっと母は、同じ家の中にいて、そばにも来てくれない、言葉も掛けてくれない、私に嫌気がさして、生きる気力を無くしてしまったのと、神様が母を大事にしなさすぎている私にバチを与えたのだと思います。
どんなに願っても、夢に出てきてくれません。
生きてる間に、母の話しかけに散々無視したりないがしろにしてきた報いだと思うのですが、
なんだか、限界な気がしてきています。
親不孝して母の寿命を縮ませて殺したような私が、なぜ生きなければならないのか。
何だかんだ言っても、やっぱり母がいないと、私の幸せはありえないんです。
四十九日に位牌に芯入れしてもらうと、本当に母が死んでしまったことを認めなければならない。墓参りも辛いし、行きたくない。今、位牌や写真を見るのも辛いんです。
そばにいると言われても、霊感が無いから感じることも、姿を見ることも、声も聞こえない。だから、余計に辛いんです。願うのは、私の寿命は要らないから、母を生き返らせてほしい。
通り魔や事故に巻き込まれて死ねればいいのにと思っています。
母と二人暮らしだったのが、母を亡くして独り。苦しんでるのを気づいていたのに早く救急車を呼べばよかった、母を無視したり邪険に扱わなければよかった、その寂しさで母を早死にさせた、私が母の寿命を奪ったんだと毎日思っています。 母の命を縮めた罪は一生消えないと思います。
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謝りきれないほどと思うなら、長生きして償いましょう
私事ですが、8年前に父親を亡くし、7年前に母親を亡くしました。ほんの数回ですが、温泉に連れて行ってあげたことはあります。でも、産んで育てて教育のちゃんと受けさせていただいてきたことを思うと、十分に恩返し出来たとは言えません。
両親の葬儀・法要の喪主・施主は長男である兄が務めましたので、私は手伝い程度です。でも、一つ一つの法要の機会を心して勤めようと思い、欠かさず参列し香典や花や供物を用意してみました。このように出来ることには限りがありますが、四十九日、百箇日、一周忌、三回忌、七回忌と勤めてきました。一応ちゃんとやってきたつもりです。でも、このように法要を勤める以上に大事なことがあると思います。
それは、私自身が「いい人生」を送ることだと思います。「いい人生」とは地位や名誉や財産の高低で決まるものではありません。これら高低で言えば、私は誇れるような地位も名誉も財産も獲得してません。でも、人を裏切ったり踏み躙ったりすること無く、人を思いやり誠実に生きることは可能だと思っています。これからの人生をそう生きることが私が出来る親孝行であり、親への恩返しではないかと思っています。
お母様に恩返しできなかった、優しい言葉をかけてあげられなかった。後悔は残りますよね。謝っても、謝り切れるこのではありません。出来ることは、少しでも長く生きることです。少しでも長く生きて、世の人々に優しい言葉をかけてあげることです。世の人々を、穏やかな気持ちにしてあげることです。
誰もが四苦八苦しながら人生を生きています。人生には苦しいことがたくさん有ります。暖かい言葉優しい言葉を聞き、穏やかな人間性に触れ、素敵な笑顔に出会った時、「ああ、生きててよかった。」「人生、捨てたもんじゃないな。」と感じると思います。お母様に直接恩返しをし償うことは出来ません。でも、あなたが人に優しくし周囲を和ませる人間になれば、「ああ、この子を産んで良かった。」とお母様はきっと喜んでくれます。我々の目には見えなくても、あなたが素敵な生き方をしているのをきっとお母様は笑顔を見てくれますよ。そのためにも、強い心としなやかな心で、長生きしましょう。
母はあなたがいるから母なのです。
現代世界は問題を抱えていますね。
医療が発達し、人間は簡単に死ねなくなりました。
人が生きるのには様々なコストがかかります。
金銭的なもの、時間的なもの、心理的なもの、手間的なもの
自分が生きるためのコストを自分で賄える人もいれば、賄えない人もいます。
まったくの他人を支えるほど余裕のある人もいます。
それほど力のある人は確かに偉いし、尊敬されるべきでしょう。
では、自分でコストを賄えないあなたのお母さんは蔑まれるべきなのでしょうか?
そうではないから、あなたは苦しんでいるのではないのですか?
そうです。
自分で自分が生きるコストを賄えない人を蔑むべきではありません。
同時に、家族が生きるコストを賄えない人、つまり、あなたを蔑むべきではありません。
どれだけ言っても、人間は完璧足り得ません。
より多くの人を生かせるように頑張ることは素晴らしいことですが、今のあなたが人を養うだけの心がないことを、誰が責められるでしょうか。
自分の子を恨みたい親など存在しません。
恨んでいる親がいるとしたら、並々ならぬ事情があるのです。
あなたはまず、その思いを思うままに謝罪し、泣いてください。
そのあと、前の自分が未熟であったことを反省し、自分の人生に魂を込めて生きてください。
死んだ母を霊感がないから感じられない、というのは、
遠くに住んでる母と携帯電話を持っていないので会話できない程度のことです。
遠くに住んでるからいなくなったわけではありません。
死んだからと言って消えてしまったわけでもないのです。
あなたは、未来を母に恥じぬよう生きるのです。
それしかあなたにはできない。
質問者からのお礼
先日四十九日を終えました。母にストレスを与えて寿命を短くさせた私が、母より長く生きるというのは虫がよすぎると思っています。私は地獄に行くことは決まっているので、あちらの世界では母に会えないですが、母に謝り続けていこうと思います。
ありがとうございました。