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無題

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質問です。心のない返答をしてもいいのでしょうか?自分の考えやとらわれに左右されない返答に、自分でも嫌になるときがあります。食べ物に、好き嫌いが激しい人がいて、私の解釈では、食べ物に、好き嫌いが多い人は、人間の好き嫌いも多いと解釈しています。その人がやじろべえさん、これ嫌いだから食べてくれない?と聞いてきました。私は、本当のところと違う返答をしました。それは無理です。食べれば、それになじんできて食べることができます。と返答しました。相手もそれはそうだといいました。しかし私はこう言いたかったのです。好き嫌いしている今の状態ではないと思いますよ、収入も少ないのに、かすかすの安い肉だとわかるけれども、そんなこと言っている給料ももらってないのに、好き嫌い、言っている状態ではないだろ、、、と言いたかったのです。どう思われますか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

方便

 本音を言いたいと思うことは多いですが、本音を言えばカドが立つことは多いですね。自分では正論と思ってることも、必ずしも周囲の人々が納得し賛同してくれるとは限りません。むしろ、相手を怒らせてしまったり、周囲を不機嫌にしてしまうことも多いと思います。


好き嫌いしている今の状態ではないと思いますよ、収入も少ないのに、かすかすの安い肉だとわかるけれども、そんなこと言っている給料ももらってないのに、好き嫌い、言っている状態ではないだろ

と言わなかったことが正解かどうか、質問文からは判断しかねます。相手によっても、このようにきっぱりと言った方が良い場合もあります。しかし、一方で今回の相手の方の場合、あなたの言葉に反発して怒ったり根に持ったりする可能性も考えられます。


それは無理です。食べれば、それになじんできて食べることができます。

この言い方の方が相手の方の反発は少ないように思います。その場においては、この言い方の方が無難かもしれません。但し、相手の方の「収入と支出」等生活設計にかかわる話題の時は「贅沢言える立場じゃないだろ。」ということも必要でしょう。

 いずれにしろ、仏教には「人を見て法を説け」という言葉があります。相手の生活・環境・趣味嗜好・人間関係を把握して、相手が受け入れ納得できるように教えを説くことが必要である、という意味です。そのため、お釈迦さまは、キサーゴータミに芥子の実を探す課題を与えたり、チュウーラパンタカにすたすら掃除をすることを指導したり、その人の性格や力量に適した導きを行いました。説法をするにしても、相手の立場や力量に応じて教えを説きました。(対機説法と言います。)
 お釈迦さまは相手の性格や能力や環境を考慮して、それぞれに応じた指導や説法を行ってきました。そのことを方便と言います。厳密にいえば「悟りに近づくための手段方法」という意味です。

 日々の生活の中で、いろんな人間と様々な場で関わってきます。和やかな会話が出来る時もあれば、口論や対立が生じるような会話となることもあります。独りよがりの正論は、本当の意味での正論とはありません。お釈迦様のように上手くは出来ませんが、いろんな会話いろんな経験を重ねる中で、自分なりの方便を身に着けていくしかないと思います。人生を生きていく上での、大事な修行だと思います。

 

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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人間が今優先することしかやらない悲しき真実

その人も諸々の条件付けがあっても今の食べ物にどうこういっとった。
あなたも今その人に対してどうこう言っとった。
みんな同じです。
ただ、よく見ればそれは一切の事から救われて、今は今のリッチな生活をしていたという面もあります。今のことをさっきのことを抜きにやれているというのはある種、心の豊かさです。
人のことは何かと気になるものです。
自分の今は同じようにあらゆる万難や為すべきを投げ捨てて、すべてを振り捨てて気になることをやっているだけでしょう。
そういう働きを上手に活用すれば人はみんな過去の一切から救われているのです。
今、あなたが優先してやっていることは何か。
私が今あなたに迎合せずに何にも最優先に伝えようとしていることは何か。
そこをその人より最優先で感じ取れるようになれば、その事はもう問題ではなくなり、あなたは今の目前の最新情報・最新事実と共に生きられるようになります。
賛同してもらいたい気持ちもあると思いますが、あなたもその前にプライドの一種のようなものを感じます。それが為に今後、対人関係で衝突が起こるでしょうから、早くその危険性に気づいて自我をおさめるべく、自身の生ずる一念に転ぜられぬように、その通りのことをそのままに感得する心を矢しまうべきでしょう。

これを言われたときの「むっ」とするようなことが生じたなら、その鉾先がその人であれ誰であれ、その心があなたを今後苦しめる可能性があるということです。
仏教・お寺とはそういう心を改めるべく存在しています。

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言ってたら後悔したかも

言った瞬間は気持ちいいでしょうね。
しかし、言った1時間後に、「あんなこと言うんじゃなかった」と後悔しない自信がありますか?
後悔しそうなら、言わなくて正解だったのではないでしょうか。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

ごもっともな意見ありがとうございました。

丹下覚元様 ご指摘ありがとうございます。 受け取っておきます。

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