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不妊治療 で子供が授からない

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はじめまして。私は37歳で不妊治療をしています。24歳で結婚してなかなか子供ができず、27歳から不妊治療をはじめましたが、人工授精を10回以上しても一度も妊娠できず、2年前から転院して体外受精をしましたが、一度だけ化学妊娠してそれ以降は結果が出ていません。今まで体外受精だけで100万円以上の治療費がかかりました。来年に凍結胚盤胞移植を控えてますが、それを最後にして子供を諦めようかと考えてます。でも、本当に治療を諦めて後悔しないのか、このまま子供のいない人生を送るのか悩んでいます。私は義両親と同居してますが、正直、同居してなければ子供がいなくても幸せに暮らせるんではないかと思います。同居してるとどうしても後継ぎとか孫の面倒をみたいとかうるさいです。私の実両親はすでに他界してますので問題ないのですが、家は農家のため後継ぎとか家のこともあるんだと思います。ちなみに主人は農家を継いでません。その予定もありません。
次回で治療を諦める原因は経済的な理由からです。一度の治療で50万程かかります。だんだん結果のでない治療にお金をかけるよりも、夫婦でもっと楽しいことをした方がいいんじゃないかと思えてきました。そんなことを言うと、「わがままだ」という人もいますが。義父は私のことを我が儘だと言います。だから子供ができないんだと言います。そんなの関係あるんでしょうか?人間誰しもわがままな所はあると思います。子供ができないことでこんなことを言われ息苦しいです。これからどう生きていけばいいのかアドバイスお願いします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

うちと同じです

何度も何度も二人で話し合いを重ねました。妻は子供が欲しいと何度も何度も泣きました。そして子供は諦めることにしました。
お互い40代での結婚、人生の後半は二人で寄り添いながら楽しく生きて行こうと決めました。
なるべく赤ちゃんや子供の話題には触れないようにしました。
4年後の冬でした。
妻が寂しいからと生後三ヶ月の子猫を求めミーちゃんと名付けました。
「ミーちゃん赤ちゃん。ミーちゃん赤ちゃん。」と。
まるで我が子を抱いているかのように子猫に話しかける妻が本当に幸せそうな顔を見せたのです。
僕はもう言葉をかけることができませんでした。
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諦めると結論づけたことに今は後悔はありません。

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「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

思い通りにならない、という真実を胸にしたうえで臨む

男性のあなたに何がわかるかと思われるかもしれませんが、失礼いたします。
苦しみを軽減するために、お聴き頂ければありがたいです。
どんなに苦しいことを抱えておられる人でも、それを忘れられている時があるものです。
私にも思い通りにならないことは沢山あります。
その思い通りにならないことを「こうなってほしい」と願う事で苦しみが増すことを知りました。
思い通りにならないことは、今からいうことはとても大切なことです。
思い通りにならないことは【思い通りにならない】ことなのです。
そして、それはそれが真実なのです。
子供を授かれないのはワガママであることは関係ありません。
ただ、苦しみが増大することの因縁として、「思い通りになって欲しいと思う気持ち」があります。
これが強ければ強いほど、そうでなかった時にガッカリ感や、失意、喪失感などに見舞われてしまうのです。
どうか、今後お子様を望まれる時には、あえて、あまり強い期待、強い願いを持たずに望んでください。
それが功を奏することもあります。義理のお父さんはそういう意味で言ったのではなく、自らの希望通りに何事も強く望んではいけない、という意味合いで仰られたのである、と受け止める事も大切です。
あなたが体に力が加わらなくなるからです。
授かれるか授かれないかは、私たちの意志で決められません。
たとえ90%おもいどおりにならなくても、10%の力を増やすことによって心身ともに環境が変わって授かれる可能性が高まるかもしれません。
何としても授からなければ授からなければという気持ちに負われて体がこわばっておられると思います。自分に価値なんてないとさえ思ってしまわれていると思います。
どうか力を抜いてください。そのためには「授かりたい」と思わずに神仏、天にお任せするのです。
それで授かれないかもしれません。
それでも、その願いを強く持つこと無しに、望むことであることが見えてくると思います。
自分の願いをもって望まずに、願い無しに臨んでください。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

一度立ち止まってみませんか。


私も、妻も再婚同士の結婚です。

最初の結婚は、子どもが出来無い事が、原因の一つでした。

妻は、2人の子どもと共に参りました、十年以上頑張りましたが、一向に気配が無く。

それもそのはづです、検査をしたら、私の精子の生存率が、通常の10%以下との事。

人生を、楽しもうと気を楽にした途端、
2人授かりました。

医師からは、有る意味奇跡だと言われました。

そんなものかもしれません。

立ち止まって、深呼吸してみたら、なにかが、変わるかもしれませんよ。

大丈夫です。

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ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市 の 大法寺 の住職をしております。 大法寺は、代々尼僧寺院であり、苦しんでいる女性を救い 「 おわりはじまりのてら 」 「 尾張の駆け込み寺 」と、呼ばれておりました。 白龍が住んでいると言われている、樹齢650年の大楠の元に、倶利伽羅不動明王の祠が有ります。 その宝剣で、悪い縁を切って下さると言われ、『 悪縁切り供養 』をしています。 病気、人間関係、依存症、自分の中の悪い想いを 切って下さいます。 縁切りの絵馬に、切りたい縁を書き込み、縁切りのお護りを授与しております。 是非、お参りください。 『 命の相談会 』 を、開催しております。 胸の中にあるもの、だれにも言えない事を、全て吐き出しましょう。 一緒に泣きましょう、一緒に叫びましょう、一緒に笑いましょう。 自坊、ショッピングモール、赤十字血液センター、カフェ、放送局、等で 定期的に行なっております。 日程は、ホームページで、確認してください。 ホームページ www.daihouji.org 『 樹木葬 大法寺 』 『 縁切り 大法寺 』 で検索してください。 緊急の場合 苦しかったら、辛かったら、電話ください、 09066179353

子供を授かることだけが人生ではない。ですが、

何だか、生活環境が良くないようですね。お父さんからのプレッシャーが何より大変そうですね。お子さんは授かるものです。誰がどうしたらできる、作るといったものではないでしょう。

なにより精神的な負担がマイナスに働きそうですね。不妊治療はとても大変だと思います。もしかしたらどこかのタイミングで諦めなければならないかもしれません。その時に、わかっていてほしいことは、子供は絶対にいなければいけないわけではないということ。そして責任はあなたにあるわけではないということ。誰のせいでもないのです。

お父さんとの同居についても、少し考えなければならないかもしれませんね。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ