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2歳息子の破壊について

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2歳の息子は、やんちゃで可愛い子です。
しかし、時に破壊王になります。

自分のやりたい事が通らないと、物を投げたり、叩いたりします。危ないので注意すると、より一層激しくなります。

今日もテレビの液晶が壊れました。これで2回目です。

私は息子と毎日笑いたいのですが、破壊王の時はどうしてもイライラして怒ってしまいます。こんなに怒ったらトラウマになるでしょうか。
母として破壊王をどうなだめたらいいでしょうか。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

子供がしたがっていることのメインを考えれば自ずから赦せる

破壊行為の為にやっている訳ではないでしょう。
お母さんの愛情がもっとほしいだけなのです。
もっと気を向けてくれと言っているのです。
仕事に行っている間も、とっても寂しかったんだ、分ってもらいたいことがあったんだ、一緒に居てもらいたい時があったんだ、分ってもらいたいことがあったんだ、つらいことがあったんだ、泣いちゃったんだ、おもらししちゃったんだ、ママにおむつ変えてもらいたかったんだ、ぎゅっと抱きしめてもらいたい時があったんだ…、など、沢山の愛情・共感・共存を求めているのです。
共にあること、そばにいてくれることこそが子供にとって一番願っていることではありませんか。
そして、そうして欲しい時に居なかったことを謝って欲しがっているのです。
ついつい表面的な所を見てしまいがちですが、本当のところを受け止めてあげる、察してあげるのが親ごころです。
愛を言葉と接触にして表してください。
母親はもちろん子供を愛しています。
ですが、子供が欲しがっているのは「母から愛を感じる具体的行為」なのです。
ほおずりでもいいです。
ぎゅっと抱きしめてあげるのがいいでしょう。
優しい声で、全てを認めて赦して受け止めてあげてください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

自信を持ちなさい

2歳は善悪の判断がまだつきません。
女の子は口で言って本人に考えさせ納得させる育て方が望ましいです。
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一方、男の子を育てるときは体罰を与え逆らえないようにするのが一番です。
大声で叱り、手かお尻を思い切り叩いて
悪い事をしたら怖い目に遭うんだと覚えさせます。
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今はまだ、力がないですがトラウマを恐れて体罰を与えなかったら後で親が大変です。13歳にもなれば体力が親子逆転します。暴れたら何でも通用すると、小さい時から思い込んでしまったらやがて親に危害を加えるようになります。
ですから、今のうちしっかりと体罰を与え、ものの善悪を体に叩き込むことです。
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今のまま、わがままな性格で大人になったら、それこそ子供が可哀想です。
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あなたは愛情があるから叱っているんですよ。自信をもってください。
トラウマになるどころか、長じては
「お母さん、あのとき僕を叩いてくれて本当に有り難うございました」と感謝しくれる日が必ず来ます。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

うちもいっしょです

息子が、4歳 下の娘が、10ヶ月になりました。

二人ともに暴れん坊というが、破壊王です。

出来るだけ近くにものを置かない様にしても、無駄でして、娘は何でも口に入れる癖がある様で、我が家の電化製品は、ほぼ、全滅です。

2歳、断乳されて、オムツもそろそろ、お母さん、良く頑張られましたね。

もうボチボチ、わかり出してきます。お母さんに、向いてもらいたくて、ヤンチャし出す時でも有ります。

いっぱいいっぱいお話しをして、ギュッと抱きしめてあげれば、安心しますよ。

大丈夫です。

私たちも、同じことをして、親に育てられてきたのですから。

大丈夫です。

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有り難し
おきもち

ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市 の 大法寺 の住職をしております。 大法寺は、代々尼僧寺院であり、苦しんでいる女性を救い 「 おわりはじまりのてら 」 「 尾張の駆け込み寺 」と、呼ばれておりました。 白龍が住んでいると言われている、樹齢650年の大楠の元に、倶利伽羅不動明王の祠が有ります。 その宝剣で、悪い縁を切って下さると言われ、『 悪縁切り供養 』をしています。 病気、人間関係、依存症、自分の中の悪い想いを 切って下さいます。 縁切りの絵馬に、切りたい縁を書き込み、縁切りのお護りを授与しております。 是非、お参りください。 『 命の相談会 』 を、開催しております。 胸の中にあるもの、だれにも言えない事を、全て吐き出しましょう。 一緒に泣きましょう、一緒に叫びましょう、一緒に笑いましょう。 自坊、ショッピングモール、赤十字血液センター、カフェ、放送局、等で 定期的に行なっております。 日程は、ホームページで、確認してください。 ホームページ www.daihouji.org 『 樹木葬 大法寺 』 『 縁切り 大法寺 』 で検索してください。 緊急の場合 苦しかったら、辛かったら、電話ください、 09066179353

「破壊王」は存在ではなく捉え方

 こんにちは。2歳さんは、丁度イヤイヤ期と呼ばれる頃で、我が妻いわく「一番大変な時期だった」との事。質問文からは分かりませんが、第一子であればなおさらだと思います。ご苦労様です。そして、尊敬します。
 親の役目としては、いろんな言われ方をしますが「限界を示す」のが大きな仕事の一つです。「これ以上やってはいけないよ」ということを子どもに教える。恐らく思い出せば、我々が幼い頃に叱られたのも、親から「何が良くて何がいけないのか…親という個人的な関係ではなく、人と人として…」を教えるためだったのではないでしょうか(だから、いわゆる優等生…その機会の少なかった人…が大人になって困ったちゃんになったりするのです)。
 まぁ、それは一般的な子育ての話ですが、仏教的なことを言うならば、「王」という名前を付ける、その視線の在り方です。起きている事は「物を破壊する」だけなのに、そこに「王」という見方をくっつけたのは、親か誰かでしょう。ただの「破壊者」であるとすれば、持ち主が怒るのは当たり前です。「訳も無くイライラしている」のではないのです。
 あと、トラウマは大抵全ての人が持っています。でも、それ自体は何の問題もありません。むしろ、一人一人が越えていくべき課題なのです。「トラウマになるから」と対応を恐れるのは、実は面倒臭がりさんの言い訳だったりすることも多いのです。ぜひ、ご自身に問うてみて下さい。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

皆さま、年末のお忙しいなかご回答ありがとうございます。私の悩みを聞いていただき感謝しています。

仕事を理由にせず、たくさん抱きしめていきたいと思います。子育てを孤独で難しいものだとは思わず、楽しいとか、笑顔をたくさん見たい、皆そうなんだ大丈夫だと思いたいと思います。お坊さんに相談するくらいママは悩んだと将来笑って言いたいです。

本当にありがとうございました。皆さまに感謝いたします。

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