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日本企業の有給休暇取得率が低い件について

回答数回答 3
有り難し有り難し 21

こんにちは。
今日はどうしてもお坊さんからの意見を頂戴したくご質問させていただきました。

わたしは最近、日本の有給休暇について興味を持ったので、同期と一緒にそれについて調べています。すると、どうやら日本の有給休暇取得率は50パーセントと、法で認められているうちの半分しか日本人は有給休暇をとれていないということがわかりました。

じゃあどうして低いのだろうか、と思って調べていると、周りに迷惑をかけたらいけないから、仕事が終わらないから、という声がありました。
また、特に私の中で悲しいなと思ったのが「休みを取ったとしてもやりたいことがない」という声が多いということです。

お坊さんとして、このような日本の現状をどう感じますか?また、私たちとしては日本の有給休暇取得率はあがってほしいなと思っています。そのために必要なことは何だと思いますか?

お坊さんにこのようなことをお聞きするのはお門違いかもしれませんが、それでも今回はお坊さん的観点からご意見をお伺いしたいです。
ぜひご回答の方、よろしくお願いします!


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

労働環境だけでなく、労働観の変化も必要

 亀山純史と申します。私は普段は高校の教員をしておりますので、有給休暇の取得に関しては、大いに関わり合いのある内容です。実際、私も年間の有給休暇取得率は50%程度だと思いますし、部活動の指導や進学指導で、土日の勤務も頻繁にあります。取得率が外国と比べて低いのは、私の場合ですと、今の学校教育に期待されている内容が多すぎる、つまり多忙のためだと思っています。
 さて、今私の手元にある『中村元の仏教入門』(春秋社)によれば、出家修行僧は、世俗の職業から遠ざかり、経済行為が禁止されているのです。ではどのようにして食を得ているかと言えば、それは托鉢によってです。なぜでしょうか。それは労働をすれば、そこに何らかの所有物が生じますが、それと同時に、その所有物に対して私たちは欲望の心を生じてしまうからです。そのために、釈尊は出家修行僧に対して、労働を禁止したのでしょう。
 では、出家修行僧ではない、所謂、在家の人たち(一般の人たち)にとっては、労働はどのようにとらえたならばよいのでしょうか。私が思うには、在家の人たちにとっても、労働は本来、「少欲知足(しょうよくちそく)-欲少なく、足るを知る-」の精神でなされるべきものだと思います。しかし、今の日本を見るとどうでしょうか。仮に年商が昨年の2倍になったとしても、日本人はそれに満足せず、さらにそれよりも多くの年商を望み、そのためにまた働く社会が、今の日本ではないでしょうか。
 そうであれば、日本はもっと有給休暇を取得しやすい社会になるべきだと思います。そのためには、それは労働環境だけでなく、私たちの労働観の変化も望まれるべきでしょう。
 以上が、私からの回答です。お役に立てたでしょうか。

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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

美徳

ニッポン人の美徳に「有り難い」という思いがあります。
有ることが難しいという意味です。
それは、当たり前ということはないという意味でもあります。
ここから「感謝」が生まれます。
謝意を感じるという意味から「申し訳ない」という意味になります。
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実際に働いてみると有給は取りにくいなと感じるものです。
労働義務を果たしているので当然の権利として行使できるものです。
当然の権利であるにも関わらず、有給休暇を取りにくくしている、そこには「有り難い」という思いがあるのです。
すべてにおいて「当たり前だ、当然だ」という意識がなく、「有り難い、申し訳ない」という美しい心を持ち合わせている、それがニッポン人の美徳の一つであり、誇りなのであります。
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休暇取得率があがるには雇用主、企業側の心の成熟が必要かと。従業員、社員が働くのは有り難いことなんだという意識が浸透してくことが望ましいです。
同時に従業員、社員一人びとりが他の人が働くことを有り難いと自然に意識できるようになることが求められます。
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ニッポン人が本来持っている美徳を今一度再認識したいですね。
ニッポン国に生まれたこと、世界でも稀に見る美しい心を自然と持ち合わせているニッポン人として生まれたことを誇りに思いましょう。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

有給は必ず取らなければならないものではない

私は、普段は勤めに出でますので、葬儀などがあると、有給を使い休みます。
他の方に比べるとかなり使っている方だと思います。
休みにくい雰囲気というのは、他の誰でもない、自分自身の中で作られています。必要な時にはとっていいもの。誰もが認めているものです。しかし、申し訳ないとか、このタイミングでとか、そうした考えは、たとえ誰かが思っていても、口にはしません。
じぶんのなかでもんだいにしているだけにすぎません。

そして、有給は必ず使うものでなくてもいいように思います。仕事を生き甲斐にして、他にやりたいことがなくてもいいと思います。
趣味と仕事が同じになっている。それもいい。
その人が不満なく生活し、家族も大切にできているならそれでいいのでは?

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

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