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小学生女子殺害事件で考えたこと

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有り難し有り難し 27

痛ましい事件が起こってしまいました。
近所の人の話を聞くと、「優しい子だった」ということでした。最近よく聞く、容疑者の人物像です。

容疑者の人物像から、もしかしたら親や学校、同級生から精神的な抑圧がかかっていたのかなと推察しました。仮にそうだとしたら、早い段階で誰かが気づいて、専門的手だてを講じることはできなかったのだろうかと思います。

私は、「人間はもともと善い性質を持っている」と考えています。家庭や学校での学びや経験などを通して、間違った学習をすることによって社会規範から反れていくのだと考えています。色眼鏡をかけていくことにより、間違った見方をしてしまう可能性があります。

人間を含む哺乳類を観察すると、幼児期の母子関係が大事だと感じます。何らかの理由で離れてしまい、その後、周りの人たちからの裏切られる経験が重なると、より良い成長にならないと感じています。

事件が起こったときに、犯罪者本人に反省を促すことが大切だと思います。と同時に、犯罪者に対する治療が必要だと感じます。刑務所の中でも、矯正プログラムはあると思いますが、社会復帰して犯罪者自身が困ったときに相談できる窓口が必要かもしれません。
一方で、社会の方も、これまでの問題点を洗い出す契機になるかと思います。生活習慣の乱れが人間の体の弱いところに現れるように、社会の乱れも弱いところに現れるのだと思います。

環境ストレスや社会ストレス、内的ストレスへの対処法を教え、これらストレスによっておかしくなってしまった人を救うシステムを構築することが、日本国憲法が目指す社会の実現に必要なことだと考えています。

社会で生活していくだけでも精神的な歪みが生じるのに、社会に出る前の教育ですでに歪みを生じさせるが、その歪みを自己矯正する様々な手段を教えない。多くの知見の蓄積があるのに、生かせていないように感じます。

最近のニュースを見ていると、たまにこのような残虐な事件は起きますが、芸能人に関するスキャンダルや一地方の事故が全国ニュースで流れているのを見ると、憲法が求める理想社会に近づいているのかなと思います。

私自身も、「~すべき」という色眼鏡やネガティブに捉える色眼鏡をかけているので、気をつけたいと思います。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

教育や矯正更正のプログラムを動かしているのは、人間

 ひろしさんの御意見に感銘を受け、共感しながら読ませていただきました。

 お仕事柄、学校教育には私共よりお詳しいとは思います。多くの教員がいれば、それぞれ違った個性を持ち、授業や指導にも当然個人差が表れてきます。また、学校教育が成立つ前提として、個々の家庭教育の内容も問われてくると思います。どんな親に育てられどんな教師の薫陶を受けてきたのか、個々の人間の人格形成と教育成果を考える上で大きな要因だと思います。親が立派で、教員が立派であっても、すべての児童生徒が立派になるとは限りませんよね。受け手の違いによって、成果も異なってきますよね。

 刑務所の教誨師をしているので、刑務所での矯正現場の一端を見聞し、関わらせていただいております。刑務官の中には、心理学や教育を専攻している方は相当数居られますので、矯正の現場や制度構築に尽力されていると思います。しかし、個々の服役者に対して丁寧な矯正を行うとなると、現在の職員の人員とプログラムでは十分な対応はできないでしょう。出所後については、保護観察制度と保護司さんの尽力があります。現行の制度だけでは、出所後の社会復帰のための十分な制度とはなっておりません。
 少年院の方が個々の院生をプロファイリングして個々の教育プログラムを作成して、教育に努めているそうです。少年院の場合、教育期間は原則として一年です。其の一年間でかなりの教育成果があがる場合も多いそうですが、おのずから限界もあるようです。(『酒鬼薔薇事件』の少年Aのような場合は、長期の教育を受けるような制度になっているそうですが)。少年院で教育成果があったとしても、退院後の家庭環境が劣悪では「元の木阿弥」となりかねないそうです。

 現行のシステムやプログラムは決して完ぺきとは言えませんが、そこに関わる方々の尽力によって或る程度の成果は生まれてると思ってます。私は教誨師としては非力です。教誨の現場でしていることは、「ハチドリのひとしずく」にも満たないものでしょう。でも、微力ながらも仏の教えを伝えて、いくらかでも服役者たちに仏の教えを知ってもらい、心が揺さぶられればと思っております。私自身が学びを深め、力をつけねばと思っております。

 ひろしさんの生徒さんたちが、授業等を通して、知識の習得だけでは無く、ひろしさんが優しさを学んでくれますことを祈っております。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

因縁次第

ひろし様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「人間はもともと善い性質を持っている」というのは、仏教における如来蔵思想にも通じてくるところでございます。

もともと悟っているというわけではありませんが、悟れる可能性、悟りへと向かえる可能性は誰にもあるというところであります。

但し、もともと悟っている、悟ることが決まっているということを主張するような「本覚思想」、あるいは「仏性思想」(実体的に、決定的に仏性、悟りが備わっている)というものも、仏教思想の中にはあるにはあるのですが、拙生はその立場は、否定致しております。

まあ、既に悟っているのでならば、殺人など明らかに悪業となることなどするわけもないでしょうし、悟っている仏陀・如来であるならば、私たち皆をしかるべくに救ってくれてもいることでしょうし・・

もちろん、このあたりは非常に危うくなる解釈も実際にはあるのです。例えば、如来蔵系経典の一つである「央掘摩羅経」の内容におけるように、殺人も衆生を導くための方便として如来が仮作されて示されたものとするような解釈をしてしまうことがあるのであります・・このことは、かなりナーバスな問題も孕むため、下記論考も是非参照になされて下さい。

「仏教における殺しと救い」(森雅秀先生)
http://mmori.w3.kanazawa-u.ac.jp/works/article_pdf/3_48murdere&salvation.pdf

いずれにせよ、全ては縁起、簡単には、因縁(原因と条件)次第によるところであり、悟りへと向かうための因縁無くして、悟りの結果無しであります。

誠に因縁次第。彼にも善き因縁が調っていれたのであれば、このような結果には至らなかったことでしょう・・

それは、これからの因縁次第でも言えることであります。善き因縁を調えることで、もちろん、彼だって、迷い苦しみを無くすことも、悟りへと至ることもできるのであります。

私たちと致しましては、どうか、しかるべき仏縁との出逢いによりて、清らかな善き因縁に取り組んで頂けるように働きかけて参りたいものとなります。

彼だって、誰だって、一切衆生が、無明(根本的な無知)と煩悩、悪業を、仏道という清らかな善き因縁によりて滅すことによって、やがて悟りへと至れますように。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

〉吉田俊英 様
ご回答、ありがとうございました。
出所した方は、家庭的に恵まれない方が多いと思いますね。ここでいう恵まれないというのは、愛情が不足しているということです。経済的に貧しいと、生活していくだけでもいっぱいで、愛情をかけるのが少なくなりがちですが、愛情をかけ、大事なことをしっかり教えている家庭もあります。逆に、裕福ですが、物質だけの豊かさで心の豊かさがない家庭もあります。これでは、うまく育たないような気がします。
おそらく、親も悩んでいるか、愛情のかけ方が分からないかということがあるかと思います。必要なものを学べる場所と機会、同じ悩みを話せる場所が必要なのかもしれません。生涯教育が大切かもしれません。と同時に、早いうちから、ストレスマネジメントの知識に触れておく。そうすると、大人になって苦労しないのではないかと思います。これは、心の調子を崩して仕事を休み、デイケアで学び、消化器疾患で入院した経験からも感じることです。
世界中のパイロットを養成している日本人教官に対してのインターネットのインタビュー記事で、「一番能力のあるパイロットが多いのはアメリカ人である。日本人は、計器に頼りすぎている。もっと五感を鍛えてほしい。」という内容のものを見ました。人間は、外界の環境を五感で感じとり、考え、行動します。この中に、感情が入り、それが心なのだと思います。しかし、現代の日本人は、外のセンサーに頼りがちなのかもしれません。自分のセンサーに自信がないから不安になり、それが重なってネガティブな行動になる。誰かがいないと不安で行動できない。自信がありすぎるのも危険だと思いますが、無さすぎるのも問題だと思います。
芸術で完成を磨いたり、座禅で自分の内面を見つめたり、書道で自己の気持ちの乱れをチェックしたり・・・。受験で使われる教科以外には、生きていくために重要な要素が詰め込まれているような気がします。これも、治療過程のプログラムで感じたことです。
私は家に神棚を置いて感謝の気持ちを述べます。本や大学の教養課程の宗教学でしか学んでいませんが、仏教やキリスト教、イスラム教は生きていく上で大事なことを教えていると思います。
現代人は、大切なものを学び損ねているのではないかと感じ、私自身もその自覚があります。まずは、私自身が成長する必要があります。

苦しみ、周りの助けを借りながら乗り越え、気づきを得た人が、また誰かを助ける。一人ができることは微力かもしれません。しかし、その輪が広がれば、変わっていくのかもしれませんね。水面に石を投げ、その波が同心円状に広がるように。音叉が共鳴して、別の音叉がなるように。今回の問答で、そんなことに気づきました。

〉川口英俊 様
ご回答、ありがとうございました!
川口様のご回答を拝読しながら、「悟」とはそもそもどういうことなのか考えました。「物事の因縁を理解できるということ」なのかとおもいました。実験(経験)して、五感(六感?)を通して理解しているのかと考えました。ゴキブリは一日の大半を触角のメンテナンスに使うようですが、私たち人間も心身のメンテナンス方法を学び、メンテナンスしていくことが大切なのかもしれませんね。
さて、如来蔵思想というのがあるのは初めて知りました。極めて危険な解釈も、実際の行動は別として、理解はできます。ただ、これは修業を行う一人に焦点を当てただけで、他を配慮していないと言う視点もあるかと思います。この世に生を受けたものは、皆修業をする権利(憲法でも保障している学ぶ権利や生存権)を持っていることを考えると、他人の権利を剥奪する行為は絶対に許されないということになるかと思います。
適切に困難や苦悩を乗り越える術を身に付ける必要がありますね。

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