座禅のこと
自分は剣道をやっています
ここ最近 先生に お前は面をかぶると 目が充血するな と言われました それで 落ち着けといわれて 頑張っています。
でもうまくいかず 困っていると 座禅のことを思い出しました
そこで質問です
座禅はどのようにやればいいですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
禅僧です
剣道でも坐禅でも何でもそうですが、誰にも見てもらわずにいつも1人で稽古をしてばかりでは、変な癖が付いてしまうものです。そして長く続ければ続けるほど、悪い癖を直せなくなってしまいます。
ぶっちゃけ坐禅でも独学で変な方向に突っ走り、目を充血させながら坐ってるような自称ベテランやオタクはそこら中にいます。
とりあえずネットでやり方を調べて自分なりにやってみるのではなく、坐禅会を開いているお寺を探し、ちゃんとした指導者に見てもらいながら習った方が良いですよ。何のために坐るのか…というのも込みで。
そうやって手間暇をかける事に慣れることが、自分を冷静に保つ力を身に付けることにもなるでしょうしね。
事や思いに心が動かされている
剣道は相手の動きに応じて動きますが、その根底にあるのは自身です。
ものを見てものに応じて体の動きに任せて応ずる。
人間の活動には私が自分で「やっている」ことと、自己の本来身が反応して「行われる」ことの二つがあります。
この行われるというのは、習慣であったり、自然の反応であったり、自分が自分の意志でやろうとしていないレベルのものです。
あなたはおそらく「自分が」やろうとしている面が大きいのだと思います。
無心と無心と世間ではよく言われますが、それは厳密には無私心です。
カラッポのことではなく、ワタクシ意識の絶せられた自身の本来の心のありよう。
稽古というものは相手がだれであっても同じことをやるでしょう。
相手が先輩であっても後輩であっても自分より強い人であってもただルール通りに為すべきを為す。
その時には条件付けが無いはずです。
私の中でこう思った相手とか、この人は自分より強いからうんぬんとか、条件付けが無いはずです。
そういう無私、条件付けのない処。
私がやろうとしないところに剣道そのものを学んでみてください。
剣道とは剣を学ぶものばかりではありません。
この自己を明らかにするものです。
道というは最上無為。
人間本来の力の抜けた様子です。
かちまけや強弱優劣の無くなった無条件の剣術には心は動じなくなるものです。
坐禅とはそういう相手の意無くなった様子。
自己意識、能動意識のなくなったこころです。
動きの中において、私、わたくし、自分自分したものを捨ててみてください。