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なぜ南無阿弥陀仏と唱えるのか

回答数回答 4
有り難し有り難し 90

いつもお世話になっております。

また新たな疑問がありまして、質問させていただきます。ご回答、アドバイスを頂ければ幸いに思います。

私の家は浄土真宗なのですが、なぜ浄土真宗では 南無阿弥陀仏とお念仏を唱えなければならないのでしょうか?

死後にお浄土に生まれさせて頂くため?

今現在の悩みや苦しみを解決して頂くため?

まだまだ40代と若く?自分が死ぬことがなかなか実感として沸いてこない年代なのですが、
どういった心持ちで日々南無阿弥陀仏のお念仏を唱えていけばよいのでしょうか?

良きアドバイスを頂ければ幸いに思います。よろしくお願いいたします。

2018年5月26日 17:35

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏弟子としてのアイデンティティー

"なぜ浄土真宗では 南無阿弥陀仏とお念仏を唱えなければならないのでしょうか"
浄土真宗のご本尊が『南無阿弥陀仏』だからです。
真宗門徒が最も大事にすべきは、阿弥陀佛を南無するという「行為」です。

”死後にお浄土に生まれさせて頂くため?”
そうです。
死後、極楽浄土という仏道修行の妨げになるものが一切ない世界に渡り、心置きなく修行して悟りを開き、いよいよ仏となるためです。

”今現在の悩みや苦しみを解決して頂くため?”
んー、そいつぁーどうかな。
南無阿弥陀仏と唱えていたからといって、たちまちに苦悩が消えてしまうということではないでしょうね。しかしながら、お念仏を唱える日々の中で、将来、極楽浄土に入れてもらえることが決定済み=私はすでに【仏弟子】なんだ!!(お坊さんにならなくても)という自覚が生まれると、それがあなたを必ずや支え、励まし、慰め、戒めてくれる事でしょう。

貧困、戦争、飢饉、差別、、、、ありとあらゆる苦悩の中で、このお念仏を頼りに必死に正気を保って真面目に生きた人々を、元来、【真宗門徒】と呼んできました。

公序良俗に反しない範疇で結構ですので、何卒、お念仏の声がする生活を送ってくださいませ。

2018年5月28日 11:02
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有り難し
おきもち

となりのトトロの世界のような山奥の田舎の小さな小さなお寺の住職をしています...

南無阿弥陀仏

若葉さんにこの問いが起こったことを大変うれしく思います。
是非ごまかさずにこれからずっと問い続けていってくださいね。一緒にお念仏しながら味わって参りましょう。

お尋ねの内容については下記の過去質問でかなり言い尽くされている感があるのでリンクで失礼します。

南無阿弥陀仏をおとなえする意味について
https://hasunoha.jp/questions/11991

さて、この問いをどう解釈しようと、何はなくとも大切なのは実際にお念仏申すということです。

お念仏の説明は「お念仏の説明」であって「お念仏そのもの」ではありません。

若葉さんにとっての「お念仏そのもの」とは若葉さんがその口で申すお念仏であり、その耳で聞くお念仏です。

お念仏が死後の救いならばお念仏の教えは生きた宗教ではなくなってしまいます。
お念仏が今現在の悩みや苦しみを解決するためのものならそれは便利グッズや免罪符のようなものになってしまいます。

悩みながらでも、苦しみながらでも、ただお念仏申す。そこにすでに死後の救いも今の救いもおさまっているのでしょう。
お念仏申す時、私の「悩みや苦しみが解決する」のでなく、「悩み苦しむ私が救われる」仏道としての念仏道が今、あなたに、私に成就しているのでしょう。それは具体的に言えば、「私が私の姿に目覚めさせていただく」ということではないでしょうか。

南無阿弥陀仏

2018年5月26日 19:49
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有り難し
おきもち

はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

今が臨終の瞬間かもしれない

日本の浄土宗の元祖である法然上人は、常に臨終のつもりで念仏しなさいと言われました。
たとえば、就寝前、今目を瞑って、次に必ず目覚める保証はありません。
道を歩いていて、いつ事故に巻き込まれるかわかりません。
ですから、「今・ここ」の一念(一回の念仏)が、最後臨終の一念になるかもしれないのです。
悪行三昧で人生を過ごしてきた人で、臨終時には心乱れて仏様を想い浮かべることさえままならない人でも、臨終近くに口で南無阿弥陀仏と念仏すれば、必ず極楽浄土に往生できる(阿弥陀仏仏が迎えに来てくださる)と言われています。
今が人生の最後かもしれない。
しかし、お釈迦様が説かれたような修行(善行)は充分ではない煩悩まみれのこの身。
もはや「南無阿弥陀仏」にすがるしかない、という気持ちで念仏します。

2018年5月28日 2:26
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有り難し
おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

極楽往生の目的

若葉様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙生も拙寺のご本尊が阿弥陀如来様であり、また平安期以降、日想観を修する浄土信仰の盛んであったお寺でもあることから、浄土思想も重んじて、お念仏申し上げております。

「南無阿弥陀仏」は、阿弥陀如来様への帰依をこめるところが強くあるものと考えております。

ここからは、あくまでも拙生の考え方となりますが・・

まず、悟りへと至るためには、一切の例外なく、必ず二つの条件を調えることが必要となります。

その二つの条件とは、「智慧」(真理を悟る力)と「福徳」(功徳・方便行の力)であります。

この二つの条件を調えるために、まず何よりも私たちは仏法僧の三宝に帰依することが求められるところとなります。

そして、菩提心(皆を救うわんがために悟りを得るのだという強い決意の心)も起こして、仏道を進めていくところとなります。

しかし、本来であれば、仏陀・如来から直接にご指導を頂くことができれば、誠に有り難いところとなるのですが、この娑婆世界には、釈尊ご入滅以来、仏陀・如来はご不在となってしまっております・・

確かに、娑婆世界でも、釈尊の残された教えである仏法(仏典)と、それを理解している偉大な高僧先師方による教えなどを頼りとして仏道を歩むことができるのですが、それでもやはり限界があるのであります・・

そして、悟りへと至るためには、必ず最終的に、直接に仏陀・如来にお会いする「見仏」と、悟りへと向けた直接の指導としての「授記」が必要となるため、いずれにしても娑婆世界ではなく、仏陀・如来の在世されている仏国土・浄土へと赴くことが求められるのであります。(もちろん、娑婆世界でも56億7千万年後には弥勒菩薩が如来となられて下生されることにはなるのですが・・かなり待たなければなりません・・)

その赴き、ご指導を賜れる先の一つとして、釈尊は阿弥陀如来様の極楽について私たちにお教え下さっているのであります。

阿弥陀如来様への信と称名お念仏は、極楽往生へと向けて、己を調えるために大切なものであると考えております。

その調えるところには、当然に仏教の基本的な実践も含まれてであると存じます。

その仏教の基本的な実践からも、もちろん、現実の悩みや苦しみを解決するのに十分に資するところであると考えます。

川口英俊 合掌

2018年5月29日 15:24
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

拝啓吉武文法様。

この度は良きアドバイスを頂きまして、誠にありがとうございました。

過去の質問もご紹介下さり、ありがとうございました。

色々と悩んだり苦しんだりする我が身でありますが、お念仏を唱えさせていただいていると、その悩んだり苦しんだりしている事柄自体が解決するのではなくて、悩み苦しんでいる私の気持ちが楽になるという、心の重荷が軽くなるということでしょうか?

吉武様、この度は誠にありがとうございました❗

転落院様、願誉浄史様、この度は良きアドバイスを頂きまして、誠にありがとうございました。

まだまだお念仏を唱えることが自然に出来ない身ではありますが、なんとか良き習慣にできるように日々努めていきたいと思っております。

お念仏を唱える生活の中で、いつか自然と信心が沸いてくれれば有り難いと思います。

この度はありがとうございました。

拝啓川口英俊様、この度は良きアドバイスを頂きまして誠にありがとうございました。

毎日お念仏を唱えさせていただき、ゆっくり、自然に信心がわきあがってくればと思っております。

今後ともご指導よろしくお願いいたします。

拝啓川口英俊様、この度は良きアドバイスを頂きまして誠にありがとうございました。

毎日お念仏を唱えさせていただき、ゆっくり、自然に信心がわきあがってくればと思っております。

今後ともご指導よろしくお願いいたします。

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

仏像は開眼しないと霊が入るのでしょうか?

お世話になっております。 夜分遅くに申し訳ございません。 以前、質問にお答え頂きまして、誠にありがとうございました。 今回、質問したいことなのですが、 私は聖観音様の仏像を肌身離さず、 持ち歩いているのですが、つい先日、 私の知り合いのお坊さんに 開眼しないと霊が入ることがあると教えて下さいました。 ただ、開眼供養していないとは言え、 私が持っている聖観音様には、沢山のことに気付かされ、 沢山、助けて頂きました。 物凄く感謝していますし、hasunohaのサイトで、 他の方の質問を拝見した所、気持ちがこもっていたら、 開眼しなくても大丈夫とのことは、すでにわかっていたので、 全く開眼せずに、毎日、仏像を拝むことと、 真言 (1日30分~50分前後) を唱えることで、 観音様への感謝の気持ちを伝えていました。 それほど、観音様にはお世話になっているので、 仏像は、開眼しないと霊が入ると言うご意見は、 正直、信じられないのですが、そんなことってあるのでしょうか? また、もう一点質問なのですが、 開眼することによって、観音様の性格?のようなものが 変わったりすることなどあるのでしょうか? 私は、今持っている開眼前の観音様に 大変お世話になっているので、 もし性格?のようなものが変わったりするのでしたら、 正直、開眼をしたくないとも思っています。 一生死ぬまで、この観音様を持ち続けたいです。 ですが、開眼することによって、 観音様が喜んでくださるのでしたら、 それこそ、普段できない観音様へのお礼ができるので、 開眼したいとも思っています。 また、もし本当に、 私の知り合いのお坊さんが仰るように、 霊などが入ったりするのでしたら、 開眼は必要だとも思っています・・・ 因みに、知り合いのお坊さんは、 儲けのためとかでは全くなく、 善意で、無料で開眼してくださるとのことでしたので、 悪気などは全くないのは、わかっていますし、 そのお坊さんが良かれと思って、 私のために仰ってくださっていることも、 しっかり理解しているだけに、どうするか悩んでいます。 毎回、長文になってしまい、 大変申し訳ございません。 いつもhasunohaの、お坊様には、 ご迷惑をおかけしてしまい、大変恐縮ですが、 教えて頂けましたら、幸いです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

南無阿弥陀仏と唱えてしまう

お世話になります。 夫の実家が真言宗でしたので 娘の供養は真言宗でさせて頂いています。今も毎月ご住職に来てもらっています。 私の実家は浄土真宗でした。 子どもの頃、 祖母の朝夕のお経を聞き 暮らしました。 近くのお寺の日曜学校にも行き 南無阿弥陀仏を唱えることが当たり前でした。 子どもですから、怖いテレビを見た日の夜のトイレや、物音など、恐怖を感じたり心配事があると、おまじないのように南無阿弥陀仏を唱えたりしていました。そうすると仏様がそばで守ってくれる気がして安心できたんです。 大人になってからも、手を合わすと南南無阿弥陀仏を唱えてしまいます。 車で走っている時に、道路で動物が轢かれているのを見ると 条件反射のように「南無阿弥陀仏」が出てきます。 でも、真言宗では南無阿弥陀仏は唱えませんよね。 ひとりで娘のお仏壇で手を合わせる時 喉元まで出る南無阿弥陀仏を止めて 今日あった出来事などを話します。 でも、やっぱり心の中で唱えてしまう。 母親がこんなんで、娘が彼方で他のご先祖に責められないか心配です。 南無阿弥陀仏は真言宗では ただの呟きなのでしょうか? 唱えても大丈夫ですか?

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

観音経を唱える前後の願意の唱え方

延命十句観音経について とても丁寧なご解説をありがとうございました。よくわかりました。自然界の道理を小さな人間の念仏ごときで動かすなど不遜と言うほかないと気づかせていただきました。今後、観音経を唱えるときは、観音様に「奇跡を起こしてください」ではなく、「今度の手術がどうなろうともこれが娘に良いことになりますよう」と念じることにいたします。 実はこのたび観音経を始めましたのは、「景清」という落語に感化されたからです。 昔、平家に仕える悪七兵衛景清という武士が、源頼朝の命をつけ狙い、捕えられたときに、源氏の世を見るのは忍びないと自分の両目をくり抜き清水寺に奉納したことから、ある全盲の男が眼病によく効くと聞きつけ、十句観音経を100日唱え満願の日に観音さまが現れて、景清の目を貸し与え目が見えるようになる、というお話しです。 昔からこのような観音信仰があるのですね。わたしは藁をもつかむ心境から始めたことですが、今後は娘が全盲になったとしても前向きに生きていけるよう祈り、智慧を出してやろうと思います。 それから、観音経を唱える前後の願意の唱え方がわかりません。定型の唱和文などあればご教示くださいませ。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

延命十句観音経について

長女は25年間頭蓋咽頭腫という脳腫瘍と向き合ってきました。過去12回、脳内で成長する腫瘍が各種の障害を起こさないための手術を受けました。ところが結果として、手術自体が、失明、癲癇、半身不随を引き起こす原因になってきたというのが現実です。また腫瘍摘出に伴い脳下垂体を切除しましたので、ホルモン分泌を補うためにホルモン剤を飲み続けています。右眼失明は13歳時の手術の失敗、癲癇と半身麻痺は度重なる手術による脳へのダメージによるものなのです。また、最近は腫瘍再発のスピードが速くなり、この1年間に2度開頭手術を受けました。ますます脳が疲弊していくのは明らかです。 実はここ1ヶ月の間に、左眼が重度の弱視となり、全盲となる瀬戸際となっております。そのため近々に13回目の手術が予定されています。また、今回の手術では腫瘍摘出の邪魔になる右前頭葉を取り去ることになると医師から説明がありました。右利きの人間は左前頭葉を主に使うので右前頭葉は除去しても影響はあまり出ないと言います。しかし、前頭葉摘出は人格を変えるかもしれません。今の医学にはまだ解明されていない領域が沢山あります。脳の機能はその最たるものでしょう。腫瘍を切除するために、人格を変えてしまうかもしれないことを承知で脳を切除する。日本随一の大学病院でのこの判断が、私にはどうしても腑に落ちません。しかし、放置するとさらに深刻な障害を招く恐れがあるのも事実です。端的に言えば、もはや腫瘍摘出自体が目的になり、障害を出さないためという発病当初の手術の目的は置き忘れてきたように見えます。癲癇、半身不随、失明はすべて手術の結果生じてきたのです。親としてこの事態をどう受け止めるべきか、私には分かりません。観音経を唱えて奇跡を起こせるなら、何万回でも唱えようと妻と話しています。 どうか私どもに心のよりどころをお与えください。 もう一つ教えてください。毎朝毎夕妻と延命十句観音経を唱えています。願いは長女の失明回避ですが、観音経を唱える前後の願意の唱え方がわかりません。ご教示くださいませ。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

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