不幸とは?
同じ現象に接していても、ある人は「幸せ」だと思い、ある人は「不幸」だと思う。
最近、「幸せだ」って思うことが多くなりましたが、たまに「不幸だ」と思うことがあります。
「この違いは何だろう?」とふと思いました。
共通点は、あるものに「執着している」。
特定の価値観、理想の完全体、若さ、地位、もの・・・
執着している対象は違っても、執着していることには変わりない。
どう物事を捉えるかですね。
我が強い。保身のために、人を妬んだり、羨んだり、言い訳をしたりする。気持ちに余裕がなくなると、怒ってしまう。愚痴を言ってしまう。過去に学んだことに執着してしまう。未来に対して余計な不安がある。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
幸せって
幸せとは誰かを不幸にしていないこと。そして満たされている事実に気づくことでしょう。
不幸とは、ジブンを立てて物事を見ているからジブンの都合ばかりが先に立ち思い通りに行かないと、イライラするという、自分勝手な時でしょう。
思い通りにいくことを幸せと勘違いしている人がいますが、そのために誰かが傷ついたり嫌な思いをしてしまうなら、それは幸せとは言わないのでしょう。あるがままの様子に満足できる様子が幸せなのでしょう。
ラーメンが食べたい時に、カレーでお腹を満たしたとしても、それで幸せと思うか、家族を振り回してでもラーメンを食べるかそんなことではないでしょうか。
放てば手に満てり
なるほど。じぶんじぶんと握っていても幸せになれないですね。手を放った時に幸せになるのかも。
最近、幸せについての問答があったのでそちらも。
https://hasunoha.jp/questions/26991
質問者からのお礼
〉邦元 様
ご回答、ありがとうございました。
「幸せとは誰かを不幸にしていないこと。満たされているという事実に気づくこと。」
自分自身はどうか考えてみました。
まず、前者は、自分自身ですら幸せにできていませんでした。そのことで、誰かを不幸にしてしまっていました。後者は、満たされすぎではないかと思います。自分が管理できる範囲内に抑えることも幸せになる方法かなと思いました。
〉光禪 様
ご回答、ありがとうございました。
幸せになるためには、あるものや状態を手放さないといけないのかもしれないですね。人やものも、出会いがあれば別れがある。だから、幸せに感じるのかもしれません。