いじめやパワハラはなくならない?
なぜ、いじめやパワハラがなくならないか考えてみました。
結論は、「なくならない」
ネガティブ感情や言動(不徳?)によって引き起こされるのではないかと考えました。
恐怖、不安、怒り、イライラ、不快感など。
価値観の固執は、他の価値観を受け入れないことになり、不安や怒りに繋がると考えました。
異質者対しては、大多数のものは不安や恐怖の感情を引き起こします。
社会不安は、生存の危機感を生み出します。
これらのことは、動物にも見られることで、個体の生存に関わることだと思います。老若男女、人種、民族に関わらず、互いの人権を尊重することが、いじめやパワハラのない社会に近づくのだと思います。
このようなストレスマネジメントや人権教育は、本来教育が担うべきものだと思いますが、残念ながらできていないように思います。日本のどこかの学校では、カリキュラムに取り入れていると聞いたことがあります。
医療や福祉の分野の方がだいぶ進んでいて、教育で生み出した問題を医療や福祉が引き受けているのが現状のように感じます。
人間は、自分の体を含む自然現象に逆らうことはできません。ライフイベントで、ホルモンバランスが崩れることがあります。そのようなときにどう対応するのか、男女差で体の中のバランスや変化がどのように変わるのか、互いを理解することが大切なのだと思います。互いを理解できなかったり、無理に抗ったりするから、ネガティブな感情が生まれるのだと思います。
楽観的思考でも、否定的思考でもなく、批判的思考ができるようにする。
起こったことをあるがままに受け入れる。
徳を積んでいきたいと思います。
以上のように考えましたが、仏教ではどのように考えますか?
我が強い。保身のために、人を妬んだり、羨んだり、言い訳をしたりする。気持ちに余裕がなくなると、怒ってしまう。愚痴を言ってしまう。過去に学んだことに執着してしまう。未来に対して余計な不安がある。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
おそらくいじめをする人は知らないのだと思います。仲良くすることがどれだけ楽しいことなのかを。
聖徳太子の17条憲法にも最初に書いてありますね。「和をもって貴しとなし…」聖徳太子が作ったのかどうかは議論があるようですが、それはともかく、とても良い言葉ですね。
歴史の授業では単語や年を丸覚えするだけでなく、その内容についてもしっかり学び、話し合いをしたいものですね。
お経の中にはこのような事も書いてあります。
「他者の良い所を見つけ出し引き出してあげなさい。他者こそが持つべき宝である。(宝生如来の教え)」
また、僧とは仲間の事、僧を敬うとは広い意味ではみんなと仲良くするという事であります。
いじめが無くなることを目指して生涯精進したいですね。
質問者からのお礼
〉三宅 聖章 様
ご回答、ありがとうございました。
歴史も、本質を学ぶことが大切ですね。この年になって、しっかり学ぶことが大切だなと思います。