自分の心はどうなってしまったのか
はじめまして、今切実に悩んでいることがあります。
数年前から、自分の心に恐ろしい考えが浮かぶようになりました。もともと嫉妬、妬みの気持ちが強い方だったと思いますが、それをとても強く感じるようになりました。ニュースで見る犯罪を犯した人たちを見て、他人の気がしないというか、そのように思っています。人の役に立つことをすると、とても気持ち悪いです。なんとも言えない心地の悪さを覚えます。人のために働いている人を見ると、羨望と同時に、めちゃくちゃにしてやりたいというような気持ちになります。自分が、とても恐ろしく。。このような自分ではいたくありません。悪いことをたくさんしてきたからでしょうか?自分の欲望のために生きてきたからでしょうか?嘘をついてきたからでしょうか?
どうすれば良いのでしょうか?自分は、人のためになることを喜んでできるようになりたいのです。暗い心は、もう元には戻せないのでしょうか??自分の行いが悪かったからこのような心になってしまったのでしょうか?
他人に嫉妬する 幸せそうな人に嫉妬する 行動しない 責任から逃げる
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心配です
ご相談拝読しました。心配ですね。ご自身でもなぜそのようになってしまったのかわからず不安と混乱の中にあるご様子。何か大事に至らないことを願います。
仏教では自業自得が説かれます。これは自分の在り方は自分が規定するということです。
業(ごう)とは行為に付随して、その行為後の自分に影響を与えていくようなものです。業には
身業(しんごう):身体行為
意業(いごう):言語行為
口業(くごう)意志行為
があります。すなわち、何を為し、何を話し、何を思うかが自分の在り方に影響を与え規定していくということになります。
感情や思考は起こすものでなく、起きるもの。あなたの心に恐ろしい考えが浮かぶのも、あなたにはコントロールできない思い通りにならない事柄でしょう。
しかしそれはこれまでの自分の業にもとづいて湧き上がってくる感情や思考だとしたら、今これからのあなたの業によって今後はそのように考えなくなることも有り得るということです。
悪いことをたくさんしてきた、自分の欲望のために生きてきた、嘘をついてきたとおっしゃるのならそれらをまずはあらためましょう。つつしみましょう。
それでも現に今浮かんでしまう恐ろしい考えが急に思い浮かばなくなることは難しいと思います。大事な事はそれを思うだけに留めることです。
心に思ったことを実際に話す言葉としない、実際の身体行為とはしないということです。意業を意業でととのえようとするのでなく、意業は身業・口業でととのえる。そうしているうちに意業は後から遅れてととのってくるかもしれません。
それでも改善がみられない、あるいはそう考えてしまう原因が検討もつかないという状態なら怪しいところではなく、きちんとしたプロのカウンセリングを受けてみることも検討しましょう。
あなたが思う以上に他の人だって心に思うだけなら恐ろしい事を考えたりするものです。それを必要以上に問題視して取り上げたり、実際の行為につなげないことが大事です。
あなたの心が穏やかになる様念じております。
青空の中で日の光を受け、森の中で風の声を聴き
青空の中で日の光を受け、森の中で風の声を聴き、
とまで書きましたが、同じ語調でのうまい言葉は続きませんでした。語調がちょっと違ってきますが、私が申し上げたいのは
ブナの木に耳を当て根から地下水が茎を通っていく音を聞こう。
足を組み坐禅をして静かに息を吐き続けると、おのずから肺は息を吸い、心臓は血を送り続けている。
善悪や好悪という感情に揺さぶられながら生きている私たちですが、善悪好悪を超えた大きな力で我々は生かされています。季節の移ろいも大地山河の在りようも、天体の運行も宇宙の成り立ちも、人智を超えた大きな力によって現前しています。
地球の歴史の中で、生命が誕生し人類が誕生し、その命が受け継がれて私もあなたも今此処に生きています。我々の御先祖と言うのは何代前まで遡ることが出来るのかわかりませんが、その時代その時代の厳しい環境の中で必死になって生き抜き、我々に「命というバトン」をつないで来て下さいました。そして、私もあなたも生きています。多くの方々が必死に生き抜いてきたお陰で、山河大地の恵みを受けて、生かされています。
命伝えし方々に感謝し、我々が生かされていることに感謝する。だからこそ、我々の先祖は毎朝お天道様に挨拶し感謝の祈りを捧げ、菩提寺の本尊や仏壇の位牌に手を合わせ、種蒔きの時に豊穣を田の神に祈り収穫の時に豊作を感謝してきました。今生きていることに感謝し、今生かされていることに感謝する。感謝の心を忘れなければ、我々の命は輝き続けます。邪な心が増幅することはありません。
現実には、感情にも波があり体調にも波があります。常に順風満帆とは参りません。でも、我々の肺は休む事無く酸素を吸収し、心臓は怠ける事無く血液を送り続けてくれてます。命ある限り、感謝の心を忘れず、戴いた命を大切に生きていきましょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。こんな自分にお言葉をいただけるのは有難いことと思います。
身業 口業ではなかなか心が整いませんがなんとか日々生きています。わざわざコメントをありがとうございます。
その後数年たちました。自分自身は、問題を解決できていないように思います。10代、20代で積み重ねてしまった業が大きすぎて、それは、取り返しがつかなくなってしまったようにはっきりと感じるのです。借金の支払いから逃げようとする債務者のように、自分自身の業から逃げよう、逃げようとしていました。そして、それを返すことも許されなくなった。返さなければ、幸せになれないというのに。今さら嘆いても仕方がないことはわかっています。ただ、どのようにこれから、どんな気持ちで生きていけばよいのでしょう。。