長男を出家させたいのですが
こんにちわ
長男は発達障害があり、就労しておりますが、
日々疲労困憊して、苦悩の日々をおくっております。
なかなかむずかしいとはおもいますが、
仏門での修行によって、
克服できないかともおもいます。
なかなか本人をその気にさせるのも
難しいのではありますが、
まずはその可能性が
つまりその気になれば、修行する道があるかどうか?
を、お聞きしたいです
よろしくお願いいたします
伊藤 寿
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏門の修行を誤解されていると思いますが
この問題はご長男の問題というより「あなた自身が長男を何とかさせたいという思い」にとらわれているあなたの問題ではないでしょうか。
ご心配なのはもちろんわかります。
それにそもそも仏門というものはどこにあるのでしょう。
仏道というものは何をするものでしょうか。
最初から何か特殊なものを思い描いてそこに入れりゃ何とかなるように思っていたり、最終的にダメなら出家でもさせるか、程度な感覚で仏門というものを誤解してみておられませんか。
その前に必要なのは親子の真の語らいであったり、親の押しつけや理想を相手にぶつけるような日本の家庭でどこにでも見られるケースを改めることや、息子さん個人の意思の尊重や、親が子供をコントロールする姿勢を止めることや、本当の語らいなしに親がこれ良かれと本人のいないところで進めるより、本当にコミュニケーション、意思疎通、語らい、心の興隆がきちんとあなたと息子さんとで「できているか」を問うべきではないでしょうか。
レンタルビデオで映画「シャイン」を借りて観てみてください。
お子さんがお父さんのあれしろこれしろの重圧でパンクしてしまう。
子どもは本当はお父さんのことが大好きでお父さんの期待に応えようと一生懸命にこどもという性(さが)として一生懸命こなそうとする。なのにお父さんはどうして僕に僕でないものをもとめるのか。どうして僕を僕としてではなくお父さんが思い描いた息子像をしいるのか。
ご覧になられたとしても、もう一度ご覧になられることをお勧めします。
親子というもの、父と息子というものは「本当はどういう関係であるべき」でしょうか。
お金があったり社会的な成功が無きゃいかんですかねぇ?
そこをお父さんであるあなたがよくよく弁えられて世間が尊敬するような立派なお父さんになることがまず人生の先輩として見本を示されるべきことではないでしょうか。
あなたの父親としての年齢はまだまだ年数的にも関わりのあり方としても(みな誰もがそうですが)まだ未熟なのだと思うべきです。その謙虚さ、その低姿勢な関わりのあり方。そっちに進まれることで、自然とお子さんに対してもっと良いかかわり方、あり方が見いだされてくるのであろうと思います。生意気を申し上げましたが、私が自分の父や世間の父親をみながらそう感じております。
悩み苦しみがなくなりますように
仏教を学んでも、発達障害を治すことは難しいかもしれません。
それでも、仏教が、人生の悩み苦しみやストレスを軽減するヒントになる可能性はあります。
現在の日本では、出家といえば、プロの僧侶になることが前提かもしれません。
つまり、どこかのお寺に所属して、檀信徒や参拝客に対して何らかの関わりをすることになります。
発達障害の状態がどのようなものかはわかりませんが、日本の「出家」は、「社会生活」から切り離されるわけではないので、社会生活に適応できなければしんどいかもしれません。
息子さん個人の悩み苦しみをなくすためなら、出家しなくても、在家のままで仏教を学ぶ方法もあります。
仏教は、悩み苦しみの原因を消したり制御したりするテクニックです。
是非、親子で仏教を学んでいただきたいです。
たとえば、日本テーラワーダ仏教協会のホームページなどには、誰でも参加できる瞑想会や勉強会などの情報もあります。
各宗派や、地元寺院でも、そのようなイベントをしているところもあるかもしれません。
まずは、仏教の基礎知識を楽しみながら学んでみましょう。
質問者からのお礼
皆様ありがとうございます。わずかな時間のうちに三件もの回答をいただき、感謝いたします。
限られた字数と、そもそも自分の中でも具体的な質問のかたちになっていない、ということもありまして、少々ピント外れのご回答かな?というものもありましたが、皆様の真摯に向き合っていただく気持ちは受け取りましたことを、ここでお伝えさせていただきます。
もっとも、困難にかんじているのが、”残念ながら本人にその気がない限り、難しいです”の部分ですね。発達障害=自閉症の一形態で、本人が周囲に関心を向けない、という、問題がありまして。
苦しんでいる心の救いを求めて周囲になんらかの発信、また、書物などに救いを求める、段階まで、まず、進めたい思いが”出家”という表現にはなりました。私自身、