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わからない

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「こうしなくてはいけない」「こうあるべきだ」という感情が自分を縛り付け、毎日が苦しくて苦しくて…。

「こうありたい」自分と現実のギャップが辛くて…。

周りの評価や親への申し訳なさで消えてしまいたいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

周囲や親の評価を得るために、あなたの人生がある訳では無い

 世の中、目標が100%達成されることなんて、そうそう有り得ません。すべてのスポーツ選手がオリンピックで金メダルを取ることは絶対有り得ません。目標と現実のギャップは常に付きまとうもんですし、そのことに悩む人は多いと思います。高村光太郎の詩『道程』の一節に「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」とありますが、私はこの言葉が好きです。結果がすべてでは無い。歩み続けることに意味があるんだと思います。歩んだ後を振り返れば、必ず道が出来ている。歩み続けて来た幾許かの成果はあるんです。
 あなたの人生は、あなたのためにあります。周囲や親のために有る訳ではありません。周知や親があなたの人生のすべてを支えてくれるわけではありませんし、全責任を負ってくれるわけでもありません。と言っても、その都度その都度何か言われれば、気にはなりますよね。まあ取りあえず「はい、わかりました。お言葉をきちんと受け留めて、努力します。」という趣旨の返事を誠実にしましょう。(別にあなたが、不誠実だったという意味ではありません。私を含めて、根が正直な人間は、くどくど言われると、感情が顔に出がちなんです。それが相手を「火に油を注ぐ」ような感情にさせてしまうんです。)
 無理に世渡り上手になれとは、申しません。あなたの周囲の方々もあなたの親も常に感情を持って生きてます。今までの経験の中で、あなたがどういう行動を取れば如何に受け留められるか?どういう返事をすれば如何なる言葉が帰って来るか?大凡、お分かりの事と思います。
 あなたはあなたのままでいいと思います。あなたは十分頑張っていると思います。唯一気を付けて欲しいと思うのは、周囲や親からの言葉に対する応え方ではないとか思います。そのように愚考しております。更に蛇足ながら申し上げますと、反発する言葉だけは慎みましょう。「はい。」と素直に返事しましょう。後は、相手の目をしっかり見て頷く、最後に「ありがとうございます。頑張ります。」と返事しましょう。人生の中で、こういうスキルは身に付けていただき、自分の人生を切り開いて下さい。

 最後に、私のFBFの書いていた能書きがとても見事な言葉だったので紹介させていただきます。
「選んだ道が正解か不正解は、運命が決めるのではなく自分自身が決める。 答えは用意されているものではなく、自ら創り出すもの。」

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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個人ビジョンから ホトケビジョンへ アップグレード

こんにちは。
おじちゃんの頃はポケベルというものがあってのう…(´-ω-`)。
今のすまーとほんという機械がうまれるずっと昔のことぢゃわい。
数字しか出ない会話もできない機械をそりゃぁ便利なものぢゃ、と月々980円出してみんな持って歩いておったものじゃ。
あいうえお も
11 あ
12 い
13 う
14 え
15 お
という風に自分で解読して読んだものじゃ。
その頃かのう、当時はPC88とか98という古いパソコンがあってのぅ。
今のパソコンよりも高かった。わしゃ、アタマが悪いもんで、全然使えず買ってもらった親に申し訳ない気持ちでいっぱいじゃった。
どんどんPCは進化して、今では、もばいる、たぶれっと。どんどん進化する。
パソコンも進化するように、人間もOSに当たるものの見方をどんどん進化させんといかんのぢゃ。
お釈迦様は2500年も前の人じゃが、今の現代人よりも最先端のOSを搭載しておったのじゃ。

いい質問じゃ。
ちゃんと自分で問題の原因が分かっておられる。
そうですぢゃ。
それが一番自分を縛るものなのですじゃ。
それは自分ルールとでもいうべきもので、その自分ルールを相手や外に対して押し付けてしまから苦しいのです。
何故なら、現実はそう自分のルール通り、思い通りにならないから。
この世にはこの世のルールがあるものじゃ。
それは「私が通用しない」というルール。
この世は元々
・こちらのルールがまかり通らない 苦
・自分のものの見方が通用しない 無我
・ひと時たりともとどめておけない 無常
・そこに自分の思いが介入させられない 寂静 (四法印)
なのですワ。(。-`ω-)
これをよくよく覚えておくことです。
それがこの世のルール。神仏のルール。人間がかなわないもののルール。
だから、今日から「あなたのルール」といい小さなものの見方、あなたの世代でいうところのガラケー頭脳をやめて世界に対するものの見方を上記の仏ビジョンにバージョンアップさせる必要があります。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...
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質問者からのお礼

ありがとうございました。勉強になりました。

「自分がわからない」問答一覧

「幸せなのに死にたい」の原因を知りたい

長文です。大丈夫な方はお目通し下さると嬉しいです。 自分は今以下の条件通りの「幸せなのに死にたい」状態です。 ・「一般的に恵まれている」でなく、「自身が実際幸せを感じられている」状態の幸せである。楽しい事も多い。 ・家族、友人、職場、恋人に恵まれ、適切で信頼出来る関係を相互で築けており、少なくとも自分は満足している。 ・職や他者への不満は特に無く、基本的に感謝して過ごしている。 ・セクシュアリティや趣味趣向、興味分野でマイノリティだが、周りは皆受け入れてくれており、将来への視野もそこそこ拓けている。 ・自身に不満は無く、性格の悪い所と同じくらい良い所が好き。 他者評価はあまり気にならず、過去のトラウマは火葬くらい。自分には幸福が許されないといった考えも無い。 ・金銭面は過去現在共に苦労していない。 ・死ぬのが怖いので死にたくない。また、「幸せなまま死にたい」という気持ちや、有終の美的な考えは一切持っていない。 ・不幸にはなりたくないが、かといって幸せになりたくて生きている訳ではない。 不幸でも幸せでもない中間または無でも、充分足る。 この環境条件下で何故死にたいとなるのか。その理由の検討がつかず、己と異なる知見を持った方々なら一体どう見るのだろうと相談させて頂く事にしました。 「幸せなのに死にたい」と調べると、多くの方の談を拝読する事が出来ます。 しかし、「周りの人(一般)から見て恵まれている」けど不足を覚えており消えたい……といった内容である場合が多く見受けられ、どうにも自分に近いニュアンスの例を見つけられませんでした。 「今の恵まれた環境を失うのが怖い」という可能性も考えたのですが、物事の変遷は特別でもなく、 極論幸せが抑自分にとって良い事なのか悪い事なのか判断を下せない為、理由としてしっくり来ませんでした。 最近変わった事といえば、 幼少期からの墓執着が遂に睡眠障害を引き起こしたので、初有給を使って添い寝用に墓石1つ目を購入した事くらいです。 墓はかなりポジティブなものとして認識していて、皆さんが一生物のぬいぐるみを買うのと恐らく同じ感触ではないかと思っています。僕より重いけど可愛い竿石が届く予定です。 こういう状態で「死にたい」と考えるに至る理由に検討がつく方、いらっしゃいましたら教えて頂きたいです。

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自分の二面性に苦しんでいます

はじめまして。 私はいつも明るく笑顔で過ごし、年上には可愛がられ年下には頼られ、友人からも頼りにされるように努めております。 体が強くないこともあってよく周りの方々には助けていただいており、その結果様々なご縁に巡り会えました。 しかし、私はいつも人のご厚意を利用して自分の望む結果が手に入るようにしているだけだと物心ついた時から気づいてはおりました。 自分がなぜ人に優しくするのか、それは畢竟自分の為に他なりません。 自分の中には2つの自分が居るように思います。狡い自分とその状態を俯瞰して心を痛める自分。 恩義を売っておけばいずれこういう時に便利だろう、相手が求めているものは何か探って効率的に人望を集めよう。 体が強くないのは事実ですが、それさえも周囲の手助けを引き出せるよう仕込める自分が恐ろしいです。 冷静な時(平常心)は狡い方がいたって普通に活動しています。むしろ心がかき乱されたりする時にこそ、俯瞰して自分の実情を嘆いています。両方とも私であることに変わりはありませんが、余りに乖離しています。 そして生来、私は周りの人の助言が心に入って来ませんでした。私が相談相手になったときに相手にかける言葉の想定解の羅列に見えてしまうのです。 今はおそらく、俯瞰する力が強いのかと思います。神仏に額づいて許しを請いたい気持ち、罪悪感でいっぱいです。 相手が喜んでいる私を演じることが罪滅ぼしならば、後々利用しようとする心があってもそのまま演じていた方が良いのでしょうか...。 何か私を1つに纏める、軸のような言葉をいただけたらと思います。 そしてこんな私ではありますが、少しでも心安らかに暮らしていける方法などはありますでしょうか。 長々と失礼いたしました。何卒よろしくお願いします。

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過去の自分が怖いです

過去の嫌な記憶がフラッシュバックしてきて辛いときに、このサイトを見つけて何かのヒントになればと思い、相談させて頂きました。 私には、半年程前に強迫症の症状がありました。主に加害恐怖です。誰かを傷つけてしまった、SNSで誹謗中傷をしてしまった、など誰かに嫌な思いをさせてしまったと感じることがありました。当然そんな事はしてませんし、したいとも思いません。ですが、妄想が鮮明で、本当に自分がしたかのように感じたのです。もしかしたら、無意識のうちに罪を犯しているのかもしれないと考えるときもありました。 そんなことを考えているときはとても辛くてでも、誰かに相談できることではなくて、不安が去るのをじっと待っていました。数日後には不安は消えて、日常を送り、また別の不安で辛くなるという繰り返しの日々を送っていました。 当時、上京をして1人暮らしをしていたのですが、情緒が不安定になったり、うつ気味になったり、専門学校で辛いことがあったりと、色々重なって学校を辞めて実家に帰ることにしました。それからは体調も良くなり、次第に元気がでて回復してきて、新たに、勉強を始めて、いずれは大学か別の学校に行きたいと考えています。 ですが、冒頭にも書いたのですが、当時の辛いことがたまにフラッシュバックしてきす。一度は自分の中で落ち着いたことなので、そのまま流せることもあるのですが、何回かはすごく辛く感じることがあります。本当に罪を犯していると感じるときもあります。分からないので、実際に起きてから考えようとしているですが、私は、間違っていますでしょうか? 長くなってしまい、すみません。返事を頂けたら幸いです。

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「超客観的」な感覚になってしまいます

もし、何か関連するものをご存じであれば教えてください。 まず、現在の私の状況です。 ここ何年かずっと続く感覚があります。それは自分のあらゆる「主体」という感覚が薄れているような感覚です。 自分のあらゆる行動、容姿がさも他人であるかのような感覚になります。 今こうして文章を打っているときも、脳波で動くロボットアームを動かしているみたいです。 飲食は車にガソリンを入れているような感覚だし(味覚はちゃんとあります) 鏡に映る自分を見れば、一瞬「誰だ?」みたいな気分になります。 郵便物の宛名で書かれた自分の名前はたまに誤配送を疑うくらい知らない人の名前に感じます。 などなど、そのように基本的にあらゆる自分の状態を超客観的(?)な視点で見てしまいます。 肉体だけ精神と切り離されたような、逆に言えば私の精神だけが世界から切り離されたようななんとも言えない感覚です。 一部の感覚は他人にも当てはまります。 食事や睡眠をとる他人を見ていると、好きでも嫌いでも気持ち悪いとかそんなものは一切なく「あ、食べてる(寝てる)」と不思議な感覚で、フラットに眺めてしまいます。 思考する自分に対しては「主体」としての意識はあるので、ただ肉体と精神が遠ざかっているようです。 距離としては双方それほど遠ざかっていないと思うので、2重人格とかそういったものにはならないと思います。 そういった状況を受けて、さらに最近変化してきたことがあります。 こういった感覚や状態は、俯瞰しているせいか精神の「凪」みたいな状態を招くことが多くなりました。 怒れば心拍数が上がり頭に血が上る感覚がありますがそれも俯瞰 恥ずかしくなれば顔が赤くなりますがそれも俯瞰 昔よりずっと怒りなどの感情を抑える事ができるようになりました(肉体的反応は制御できませんが) 普段はしばしば瞑想をするくらいですが、特にちゃんとトレーニングを積んだわけではありません。 肉体と精神が離れる。そんな感覚をずっと抱えていただけです。 とにかく自分の中でなぜ、どのようにこうなったのかうまく説明がつかない状況なので、もし「それこういったものでは?」となにか引っかかるもの、ご存じのものがあれば教えていただけないでしょうか? 長くなってしまい恐縮ですが、何卒よろしくお願いいたします。

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