謗法払いについて
法華経を読みました。
法華経を求めないもの 他の経を求めるものには 説くなって 書いてありました。悪人と善人という表現でしたが
日蓮聖人は 摂受では 仏国土をつくることができないから ご自分が 謗法を犯して 折伏という法門を 開き 法華経を弘めようとしたことが やっと わかりました。
佐渡流罪で 門弟のための御心配から ご自分を 日本一の悪者だ とか 来世では 念仏者も弟子にするとか 反省されたこともありました。
日蓮聖人を信仰している方は 他宗が 謗法だからっていうから わかりづらかったです。
あとから 破折というスタイルになって 他宗を謗法としていかれたのかもしれないけど
初心が 大事ですね。
お不動さんの 勤行には 破戒者は持戒 けちだった人は 布施をしなさい ってあると思います。
どこかに きちんと 所属して 持戒と 布施をしていけばいい と思いました。
日蓮聖人の信仰をしている人に 大謗法と言われて お題目を おくっていますよ とか 罰が当たる とか 言われると 怖いです。
大丈夫でしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大丈夫です
日蓮宗の僧侶です。
仰るとおり、確かに日蓮聖人は強い口調や折伏など
現代の目線ではかなり激しい布教をされました。
それもこれも法華経を弘めるためです。
当時はマイナーな教えでしたから、それくらいの強さと勢いを作らないと弘まらなかったでしょうし、そのおかげで今日まで日蓮宗が存在できています。
でも、その中の人生では実は弱気な時もありました。
神仏に文句をいうご遺文なんかもあります。
そうした強さと弱さと、そして立ち上がっていく姿が魅力的なんです。
色々な考え方があると思いますが、、、一僧侶として。
例えば、富士山を登るのもルートは様々あります。
このルートはダメで、これはいい!なんておかしな話。
山頂に向かって歩みを進める同士として尊重しあう。
「謗法」「罰が当たる」などという時代はすでに終わってると思います。
法華経は69384文字、その中にたくさん教えはありますが
すべての方の成仏を説く温かいお経です。
ですが、難信難解(信じるのも理解するのも難しい)とされてます。
私も全然まだまだですので、一緒に頑張りましょう!
とりあえず、心配する必要はありませんからね(^^)