子どもの学校生活を見ていて苦しいです
小4の長男がいます。
集団行動にムラがあり、本人は悪気がなくても、「この課題みんないつやったの?僕は気づかなかった」と思っているうちに授業が終わってしまったり、授業中に本が気になって読んでしまったり、着替えが体育に間に合わなかったりしています。
今年度の担任の先生は、50代女性のベテランで、そういうことを逐一連絡帳に書いてくださり、その都度子どもがやり残した課題があれば知らせていただき家でやらせたり、どうしてできなかったのか本人に聞いて連絡帳に私が理由を書いて先生との「通訳」にあたったりしてきました。集団指導がしにくい子の親として、先生と連携するのが当然だと思って気を張ってきました。
でも、学校に呼ばれたり、学校に忘れ物を届けたりするとクラスの児童みんなが見ている前で先生が私を呼び止めてうちの子の注意点を指摘されたり、学校の決められた面談の前に私と子どもとの3者面談を臨時でやろうと言われたりしていて、私の心の疲れが溜まってきました。
最近の虐待の被害者の、「おねがいゆるして」と少し似た気持ちで、完璧に課題をこなせないうちの子と、それを監督しきれないこの母を許してくださいと思うのです。
子どもはやっていない課題を隠したり、高得点が取れそうもないペーパーテストを白紙で出したりするようになりました。子どもが辛くて学校の教室に隠したものを、現場にいた担任の裁量でなく保護者の責任で家庭で仕上げさせ提出させられることにも、「もうゆるしてください」と言いたくなります。
今日は、「どうしてやってこないの」と子どもに詰問し、子どもが黙り込んでからものを投げたのでヘッドロックで止め、お互い擦り傷ができました。もう立派に「教育虐待」だと思います。
去年の担任の先生は、「さぼるところとがんばるところのある子ですね」と受け止めて下さっていました。
それが本人を甘やかしたんじゃ…と思って歯がゆかったこともありました。
でも、今は、「集団生活にムラがある子の親は、ムラを修正するために自分が小4であるかのように課題に向き合わなければならない」という担任の先生に対し、(表面上はかなり合わせつつ)心が悲鳴を上げています。
子どもは、「お母さんごめんなさい」と泣きますが、根本的には直せません。私も、集団でないときの本人の良さ、自主性を見ているので、今年たまたま当たった先生との相性が苦しいのです。
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こんにちは。
なるほど。人には個性がありますので、誰もが全く同じようにできるという事はありえません。ロボットじゃないんだもの。
できる事を大いにほめて伸ばしてあげるようにしましょう。無理に集団に合わせさせたり、勉強をさせる必要はないと思います。
とは言ってもはがゆく、見ていてつらいですよね。
私は専門家ではないので、詳しい事はわかりませんが、もしかしたら、お子様の行動は脳の機能に原因があるのかもしれません。一度お医者さんに相談してみてはいかがでしょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
身内に相談したところ、教師と保護者が最初に
交わした、「厳しい指導でもいいです」という言葉が、エスカレートしているのではないかと言われました。母親以外が学校に行くなど、対策しようと話しています。