悔い改める方法
はじめまして。ご指導を頂けたらと思っております。
学生時代の友人が先日急逝しました。
当時、その友人に対して酷い扱いをしてしまったことがあります。それでもずっと仲良くしてくれていました。
また会えるだろうと当たり前のように思っていたので、お詫びをしよう等と考えたこともなかったのですが、もう会えない今となって、ものすごく後悔しています。
また、全般的に自分の薄情な性格、軽率な言動が多々思い出され、本当に恥ずかしいです。
今できることといえば、夫、子供、親族、友人を大切にし、軽率な言動を慎むことだと思うのですが、それを実際にどのように実践したらよいか、教えて頂けないでしょうか。
今この瞬間は、大切にしよう、言動を慎もうと思っているのですが、今後、それを継続していく方法を知りたいです。座禅などは役に立ちますでしょうか。友人を思って祈ることでしょうか。
(それとも、簡単に悔い改めようと思うこの言動が軽率なのでしょうか。文字にすると、とても軽薄な感じがして、上記のような反省でよいのかすら、よく分からなくなります。)
なにかヒントを頂けたら幸いです。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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一期一会という言葉の実践に努めましょう
私は曹洞宗の僧侶ですが、永平寺を開いた道元禅師の教えを示す言葉に「只管打坐(しかんたざ)」というものがあります。「ただひたすら坐禅を行ずる」と言う意味の言葉ですが、更に「坐禅という仏行に全身全霊で打ち込む時、おのずから仏となる」という意味に解されております。
通常「打坐」とは、足を組んで坐禅を行うことを言いますが、読経することも掃除することも食事することもすべて修行であり、行住坐臥すべてを仏道修行と心得て精進しなさい。と説かれております。
これと同じ意味の言葉で、茶道の世界でよく用いられる言葉に「一期一会(いちごいちえ)」という言葉があります。御承知かもしれませんが、一期とは一生という意味です。一会とは一回限りの出会いと言う意味です。毎日会っている家族であっても、今日のこの瞬間の出会いは一生の中で一度だけの出会いである。一回一回の出会いを大切に命がけで臨まなければならないというのです。何も茶道だけではありません。私達の人生も同じです。友人を亡くされて、一期一会を実感されていると思います。誰よりも深く実感されていると思います。
親兄弟夫子供友人、今日も出会い、明日も出会うかも知れません。しかし、今この瞬間の出会いは、一生に一度限りの出会いなのです。昨日の出会いと今日の出会いは同じものではありません。今日の出会いと明日の出会いも異なります。今この瞬間の出会いの大切さを心に刻み、心込めて一人一人に接して行く。一期一会を忘れず、今を生き、明日を生きよう。一期一会を忘れず、事に臨み人に接して行きましょう。、
慈悲を育てる。言葉を管理する。
まず、慈悲の心を育てましょう。
皆がニコニコ幸せそうに暮らす世界をイメージしましょう。
相手が誰でも、幸せに暮らせるように念じるのです。
苦しみを抜き、楽を与えるようにイメージしましょう。
他人の成功を嫉妬しないようにしましょう。
次に、自分の言葉をできるだけ管理しましょう。
嘘は言わないように。
悪口は言わないように。無意味におべんちゃらを言わないように。
人と人を仲違いさせるような情報を吹き込まないように。
他人(特に友人)の罪を言いふらさないように。
なお、慈悲については、日本テーラワーダ仏教協会ホームページの「慈悲の冥想」もいいですよ。
質問者からのお礼
ご回答いただきありがとうございます。
願誉浄史様
心に突き刺さりました。
おっしゃる通りだと思います。気をつけます。「慈悲の瞑想」も学んでみます。
(すぐに本を購入します。)
ありがとうございました。
吉田俊英様
まさに、一期一会という言葉の意味を深く考える契機となりました。
これを一時的な契機で済ませるのではなく、常に意識するようにします。
(もちろん、それだけで友人の供養として十分だと思っているわけではありませんが、今はそれしかできないと思っています。)
ありがとうございました。
また、hasunohaのウェブサイト及び運営者様にも感謝申し上げます。