母が亡くなりました
こんにちは。よろしくお願いします。
先日母が癌で50代で亡くなりました。
今は色々忙しくかなり気が張っていますが
落ち着いた後が怖いです。
治療に関してもっと頼らせてあげたかったこと
悪化するほど怖くなり冷たく当たってしまったこと、家族として病気に向き合ってやれなかったこと
それでも病院に行った時は笑顔で迎えてくれたこと
自分の都合優先で中々側にいてあげられなかったこと
これらによる後悔の念。
独身のため少しずつ虚しさや寂しさが出てきました。母が一番心配していた私の結婚もとうとう今まで出来ませんでした。父は母に何もかも任せきりだったため父のことも乗りかかってきます。
これ以外にも多々ありますが、もっとしっかりして、母を安心して成仏させられるか心配です。
母を亡くした後、どのように生きて自分を保てば良いのでしょうか。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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親を見送れば、多かれ少なかれ「後悔」は残ります
6年前の11月に私の父親は亡くなりました。その4か月後、母親が亡くなりました。実家を離れていたので、入院中なるべくお見舞いに行くように努めましたが、自分の寺の住職としての仕事がありましたので、あまり見舞いに行けませんでした。止むを得ないこととは言え、申し訳なく思っております。
葬式後、「亡くなった両親が喜んでくれるような生き方をしよう。」「亡くなった両親が安心してくれるような生き方をしよう。」という気持ちで、日々精進しなければ、という気持ちでおります。但し、その気持ちの通り100%実行できているかと言うと、残念な結果で終わっているというしかありません。
失礼ながら、「いまじにあ」さんも私と同様の部分があると思います。あまり偉そうなことを言える立場ではありませんが、敢えて私がアドバイスを申し上げるとしたら、「結果など気にしないこと。両親の思いを受け止めて、一生懸命生きていきましょう。」この言葉に尽きます。
この世にいる親は子供に「結果」を求めるかもしれませんが、仏界に居る親は子供に「結果」を求めません。この世では、どうしても「努力する」という行為よりも、「努力した」後の結果が重要視されます。仏教では「因縁」という教えを説きます。ものごとを成し遂げることを「因縁所生」と言います。因(自分の行動)と縁(自分を取り巻く条件)によって、結果は生じます。頑張って婚活に努めたとしても、「出会いが無かった」「出会ったけど、性格が合わない」という縁のために結婚には至らない。それを、この世の価値観では「いつまでたっても、嫁を貰えない。」という非難の的となります。
お母様は亡くなられて、仏様の世界に行かれました。仏様の世界では、通信簿はつけません。「亡き母を思って、一生懸命に生きる。」「亡き母の思いをかなえようと、努力する。」これだけで十分です。仏様の世界では、結果を求めません。精進すること、行動することが大事なんです。御縁に恵まれれば、結果は付いてきます。結果の好悪に関わらず、あなたが頑張って生きる姿を見せ続けるだけでいいんです。
こんにちは、お悔やみ申し上げます。
人は皆、2人います。ドッペルゲンガーではありません。
たとえ話ですが、太陽は光を放ちます。誰にどうされるともなく、黙々と光を放ちます。そしていまじにあ様はその光を受けます。光を受け止めて、太陽の存在をキャッチして、太陽と共に生きます。光を放つのは太陽の職分です。いまじにあ様がどうこう出来ることではありません。でも太陽の光をしっかりと受け止めるのはいまじにあ様の職分です。太陽がどうこうできることではありません。だから太陽は2つあるのです。光を放つ太陽と、いまじにあ様に光を受け止められた太陽。
人間も同じです。その生き様、1日1日の行いとして光を放ち続けたお母様。そしていまじにあ様にその光を受け止めてもらったお母様。2人のお母様がいたわけです。今となっては、お母様は新たに光を発することは無くなってしまいました。でも、いまじにあ様が生き続ける限りずっと、いまじにあ様が受け止めたお母様は生き続けるのですよ。だから人間は何千年も昔から供養、供え養うということを続けています。
軌道に乗るまでには時間が掛かりますが、今度はお母様を供え養うことでいまじにあ様が今日を、明日を生きる活力が湧いてきますよ。
いまじにあ様が病院にいらした時、お母様はお喜びになったとのことですが、何より我が子に会えたのが嬉しかったのではないでしょうか?それなら手を合わせて、お参りしてあげましょう。
我が子の生活を思わない親はいません。お母様は「きっと仕事が忙しいのだろうな、頑張っているのだろうな」と応援してくれていたのではないでしょうか。だから笑顔で迎えてくれたのでしょう。だから目の前のお仕事を1つ1つ丁寧に行いましょう。
昔の人は結婚したいから結婚したというより、する必要があるから結婚していました。それでも良いのですよ。1人では手が回らないからお父様のことも含め、家のことを任せられるパートナーが必要。安心して背中を任せられるから感情や気分ではなく、本当に『掛け替えのない』人なのです。そういう間柄ならそうそう簡単に離婚できませんし、最期まで感謝と敬意が尽きないのではないかなと思っています。そんなつもりでボツボツ探してみてはいかがでしょうか。
これらの1つ1つが何よりの供養であり、成仏への道です。
後悔はしなくてよい
私もガンで母を亡くしました。
あなたの、ひとつひとつのエピソード、私もほぼ同じです。
あとになって失敗に気づくことがありますね。
しかし、後悔は、怒りや悲しみといった負の感情を含みますから、悪い感情なのです。
二度と同じ失敗をしないように教訓にするのは良いのですが、過去は過ぎ去りもう無いのです。
後悔して憂鬱を増幅させたら、今が辛いだけです。
辛い今を重ねたら、結局ずっと辛い時間になってしまいます。
家族や大切な人の病気や別れは、これからもあるでしょう。
次から気を付ければよいのです。
仏教は輪廻転生を前提に考えます。
あなたは、無数の過去世で、数えきれないたくさんの親と別れて、もしかしたらその度に後悔をくりかえしてきたのかも。
今回の人生からは、後悔しない訓練を始めましょう。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
確かに前世、その前、そのまた前と何人もの親がいたわけですよね。
どれだけのことをしてきてもどこかで後悔していたのかもわかりません。
今世以降はどれだけのことをできるか、母からの教訓として生きていきたいと思います。
吉田様
結果では無く精進する姿を見せる
これからは周りに無責任に何を言われようと母だけは結果では無く過程を評価してくれる
そう思うと少し気が晴れたかもしれません。
ありがたいお言葉大変ありがとうございました。
大慈様
先に回答していただいた僧侶様も経験しており
誰もがいつか迎えるとしても悲しいものです
一生懸命生きるのが供養になるとわかっていても
仏教の教えを聞くより楽になります。
ありがとうございました