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このまま続けていいのか

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今、1年付き合っている彼氏がいます。
彼氏は2歳年下でバイト先が一緒で付き合いました。

彼氏は大学1回生ですがあまり学校に行ってなく、酷い時は週1日しか学校に行かない時もありました。その原因のほぼ全てが寝坊です。遠いとこの大学に通っているので朝は6時起きで早いです。しかし、彼は実家暮らしなのでお母様が起こすらしいのですが起きても一瞬だけで、すぐ二度寝をしてしまうみたいです。

次の日が学校って分かっているのに朝まで遊んだり、寝ずに携帯でドラマやアニメを見たりして結局寝るのが起きる時間の6時になったりするようです。

わたしもそのことについて厳しく言うのですが、何回言っても変わらないし彼も言われすぎてうざくなったのか、学校に行ってないのに今日学校行ったよと私に嘘をつくようになりました。

また学校だけならまだしも、最近ではバイトも寝坊で無断欠席するようになりました。他のアルバイトの子たちに迷惑がかかるので、一緒のバイト先をやめてしまいました。

彼は、だらしなくしてますが真面目な一面もあり優しくおもしろいので、私はそこに惹かれて付き合いました。

今は好きなので付き合っていて楽しいです。しかし、私はこれから就職活動を迎え社会人になります。彼は20歳という節目を迎えますので、たまに彼から来年は同棲出来るといいなあと言われます。しかし彼のだらしない一面があるので私は同棲をしたくありません。彼との結婚も考えていません。

正直今が楽しければそれでいいやと思い私は付き合っていますが、就職活動という大事な時期を迎えますし、その時期にまた彼がだらしなくしていたら鬱陶しく思ってしまうと思います。彼が2回生になったところで変わる気もしません。

年齢もまだ若いし社会に出ればまだ出会いがあるのはわかってます。

私はこのような彼と付き合ったままでいいでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

寝て暮らしたければご一緒に

彼が仮にあなたにプロポーズしてあなたがOKしたとします。
寝てますよ、その翌日。んごー。
結婚式を挙げたとします。寝てますよ、翌日。
枕を高くして、あなたより長く。くかー
そして目が覚めた時にあなたは気づく。
「寝てる…、ホントだ。」
ほっぺをつねってみる。痛い。夢じゃない。
それで良ければ二人そろって一生寝て暮らせばいいんですよ。(´-ω-`(´-ω-`)zzz スピー
よって彼がピローをHIGHにして寝てる間に荷物まとめて、枕元に別れの手紙を置いて去る事です。
「春眠暁を覚えず オメエのところには孟浩然(もう来ねえ)」で解決です。
彼は今後も待てど暮らせど、果報は寝て待て状態。でも寝る子は育ちます。でも子どもじゃないですから育ちはそこがMAXです。
おまけに、すでに人類の最後の夢すでに「寝て暮らす生活」を手に入れています。
よって、今後も欲はなく怠惰な人生であることが予想されます。
あなたは早起きは三文の徳でせっかく早起きしても結局いつか彼が寝るためのご飯を作っていることに嫌気がさして、いい加減ウンザリしてくる。
環境が変われば真剣になるでしょうが、そのままであろうと思いますよ。
お母さんに代わってあなたが起こす役割を担うだけだと思います。
あなたの心配の通りでしょう。あなたの方が冷静にものを見ているように思います。
環境によって人は変わりますが、頼りないそういうダメ男が一時的にしっかりしても、その後もずっとしっかりし続けることはないと思います。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

付き合うのは良くないと、分かっているのですね。

たか、まだ情が残っているから、
踏ん切りがつかないのでしょう。
でもいずれ理性が逆転します。

彼の良いところと悪いところを挙げて、
多数決で決めてしまうのも一つの方法です。

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

あなたの度量次第

就職という人生の大きな節目。
足をひっぱらないなら続ける。
邪魔なら切る。
どちらを選択してもあなたが責られることはない。
あとはあなた次第。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

お姉ちゃん状態

 こんばんは。50間近のオッサンからの回答です。
 「今が楽しければいいやと思って」であるならば、その通りにやってみるが良いと思います。つまり、詰まらなくなったらポイする。けどね、そういうことができるかは、怪しいものです。その時まで、一緒にいろんな経験を積み重ねて思い出もできるのですから。言い換えれば「きっと、今の思いとか無駄になるんだろうけど、まぁ構わないか」という意味なのですよ。
 お若いのですから、そんな事も人生の肥やしにはなると思います。けれど、読んでいるとどうも「お姉ちゃん」的な視線で見ていて、彼の方もそこに安住している感じがします。あなたのピンチの時に、助けてくれなそう。まぁその時には「楽しくない」になっているので、離れればいいのですけれど。
 ということで…付き合っているようには見えません、私からは。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ