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災害辛いです

回答数回答 2
有り難し有り難し 38

いつもありがとうございます。
この度の豪雨災害、お坊さんに被害はございませんでしたでしょうか。

今日はこの災害について少し友人とトラブルになりました。
私もいけなかったのですが、友人にも非があるのではと思ってます。

私が住んでいる地域でも被害があり、私の家は無事だったものの、勤めている会社と社長およびスタッフの人の家が床上・床下浸水の被害に遭いました。
会社の方は日曜日には水がひいたので、出れる人は出て、後片付けなどをしていました。
そんな最中に、友人のFaceBookの更新がありました。
河川決壊や土砂崩れがあってもおかしくない地域に行って、写真を撮ってアップしていました。
それがカチンときて、ついつい
「二次災害のキケンもあるんだから、おとななんだから、そこは考えて行動して」
と書き込みをしてしまいました。
その書き方がもっときつかったと思うのですが、それに対して
「私がいけなかったのはわかるけど、あんな書き方はしてほしくなかった」
と言われてしまいました。
確かに私も書き方に配慮がなかったし、見境なくなって噛み付いてしまったので反省はしているのですが、友人がとった行動は私としては「あり得ん」行動だったのです。

私は小さい時から短気で、頭に血が上ると見境なく噛み付いてしまうのです。
そのことが嫌で、後からとても後悔してしまいます。
今回のことも、言わなきゃ良かったのかな、、でも、どうしても言いたかった。
そういうおもいで、気持ちがぐちゃぐちゃになりました。
自業自得なんですけど。

頭に血が上りそうな時は、一息ついて、深呼吸して動くようにはしているのですが、今回はどうしてもダメでした。

こういう時、どうやって気持ちを静めたらいいんでしょうか。
自分が本当に嫌になります。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

このたびの水害で被災された方々にお見舞いを申し上げます。
たいへんでしたね。

 危険な場所にわざわざ行って写真を撮るような行為は、あなたのおっしゃる通り、被災者の方々の気持ちを逆撫でするばかりでなく、二次災害となる懸念があります。
 確かに他人を非難する事は良くなかったですが、その友人の行動も大変軽率なものと感じました。またあなたの書き込みに対しての友人の態度も、事の深刻さが全然わかってないなと感じました。怒るときは怒っていいと思いますし、今回の事は怒って良かったと思います。ただもうこれで終わりにしましょう。言ったことは戻らない。いつまでも引きずらず。

 暑いですので、無理せず、水分補給や休憩をしっかり取って後片付けをするようにしてくださいね。
 遠い所からですが、行方不明者の発見と、被災された方々の健康、被災地の復興を心からお祈りしています。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

心理的二次災害だけは避けましょう。

まずは大変な災害でした。本当に大変であろうと思いますが、多くの片づけをいっぺんにやろうとなされずに今やれるところだけを生きてください。
こういう時は正解は無いのだと思いましょう。
みんな困っている。
みんな何かしてあげたい。
でも騒ぐなと人が言う。
本当はそれもおかしい。
火事場泥棒は発生している。
警察はお互いの疑心暗鬼にならないように心理誘導として「ガセガセ」と皆を鎮める。
それでも被災地では火事場泥棒や性暴力や犯罪が起きていることは歴史が語っているから真実。気を付ける、気を付ける。
二次災害には、実際の二次災害と、心理的二次災害の二つがあります。
実際の災害はそこで起こったその出来事です。
人間はついその起こったことに対して、ネガティブな思いかたをしてしまう。
それがここで申し上げるところの心理的二次災害です。
その人もその人なりに助けを求めていたのではないでしょうか。
その人なりに何かしなきゃいけないと思ってとった行動がそれだったのです。
あなたもあなたの読み取り方をした。
その人はその人なりの考えがあって、どこかの誰かにその状況が届くことで何かしらの回復を願ったのかもしれません。
つまり、お互い同じところで共通しているのですから、素直にお詫びして助け合って復興をすすめてまいりましょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

いただいたご回答を読み、すとんと気持ちが落ち着きました。
彼女には私なりの思いとお詫びをしました。
お互いに思うことは同じなので、出来ることをしていこうと話しました。

二次災害は実際の災害と心理的なものとあるのですね。
今回のことで、今までわかったつもりでいたことが、本当にはわかってなかったことがある、ということがわかりました。

まだ行方不明の方も大勢いらっしゃいますし、普段の生活に戻ることのできない方もいらっしゃいます。
行方不明の方が、早くご家族の元に戻られますこと
被害にあわれた方が、心穏やかに過ごせる日が一日も早く訪れますことを
願いつつ、復興をすすめてまいります。

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