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月命日とは?

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有り難し有り難し 24

お世話になります。

月命日はなんのためにあるのでしょう?
命日は命日。一年にその日だけのはず。

故人を忘れないため?
大切な人を、忘れるわけがありません。
忘れるくらいのおつきあいなら、
それも必要ない気もします。

毎月、住職さんが来てくださるので
夫も私も、住職さんによいお話を
聞かせて頂いて、癒される日に
なっています。

彼方の娘にとって、月命日は
どういう日になるのですか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

月命日は仏縁

月命日の意義を確かめたいお気持ちなのですね。大切なご質問であるかと存じます。

月命日には、

①供養のため
②布施のため

という意義があろうかと思います。

①供養のためについて

供養には追善供養と讃嘆供養があります。

追善供養とは、亡き故人はもう仏道修行に励むことができないため、残された者が読経やお供えなどの善行為を追加して、その功徳を故人がよりよい処に赴くために亡き人にふり向ける(回向する)もの。

讃嘆供養とは、亡き方をその命の終わりを通して残された私たちに大事な教えを伝えてくれる仏様と見出し、その徳を讃え、亡き方が用意してくださった仏法聴聞の場としていただいていくものです。

私は浄土真宗ですが浄土真宗においては追善供養はいたしません。故人はもう迷う事のない仏様であるからです。
人間心としては「本当に成仏しただろうか?」「寂しい思いはしていないだろうか?」「こんなことをしたら怒るのではないだろうか?」と、亡き方についてあれこれ心配したり思い計らうことではありますが、それは全部亡き方ご本人ではなく残された私たちが勝手にしていることです。
つまり迷っているのは亡き方ではなく私ということですね。その迷う私こそが亡き方から心配されているのだと目を覚まし、月命日も含めてあらゆる縁を仏縁としていただいて仏法聴聞をしていくのが浄土真宗における仏事です。

続いて

②布施のため

についてですが、けして月命日は勤めなければならないというものではありません。勤めなければ故人が成仏しないというものでもないでしょう。
特に浄土真宗においては上記の様に「故人のため」というよりは「(故人から用意された)私のため」の場としていただいていきます。

そして、その月命日にて頂戴するお布施はお寺にとっても大事な運営をお支えいただくものとなります。通夜葬儀だけで十分という方にとっては必要のないものかもしれません。しかしその時だけお坊さんが来てくれればいいという意識に皆さんがなると運営が破たんしていくお寺は山ほどあります。
自分のお布施がご自身にとっても、他の誰かにとっても、仏教の教えと縁をいただく場の維持のためになっているのだと認識していただければ大変に有難いことです。
(※もちろん個人の経済的事情を無視してまで必ず勤めなければならないものではけしてありません。)

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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お嬢さまにちなんで、あなたが善いことをする日

禅宗のお寺の用語としては月命日を月忌(がっき)、一年にその日だけの命日を正当月忌(しょうとうがっき)や年忌と言います。お檀家さん向けの用語では月命日と祥月命日(しょうつきめいにち)ですね。実は「命日は命日。一年にその日だけ」というわけではありません。
禅のお坊さんたちも両大本山のような修行道場では、朝のお勤めの後に色んな方々のご供養をします。月忌には比較的ライトなご供養を、正当月忌には比較的丁寧なご供養です。

じゃあご供養って何よ?って言うと『供え養うこと』です。献『粥』諷経、献『湯』諷経、献『飯』諷経などなど話せば長くなるのが色々あるのですが、要するにお供え物をして養うんです。それが布施になるわけです。

布施とはパーリ語だかサンスクリット語だかなんだか知りませんけど、アッチの言葉でダーナパーラミター(音写で旦那波羅蜜、意訳で布施)という『修行』です。布施を別名『喜捨』と言いますが、誰かのために喜んで手放すことで自分自身の執着を手放します。

お坊さんに布施をして仏道の支援をすることも大きな功徳のある行いです。今の日本では「金儲け主義だ!」と罵られるからお坊さんの口から言いたくないんですけど、むしろお釈迦さま当時の仏教や今でも南方では常識です。

んで、追善供養の善とは善根(善い結果を育むための善い原因)や善行の善です。つまり善いことをしましょう!ということ。「やらなきゃ故人に悪いからやる」のではなく、「善いことは出来るだけいっぱいやった方がイイよね」という発想です。
仏教的に善いこととは、悟り方面に進むこと。つまり修行です。修行には色々あって、そのうちの1つがお供物だったり、布施だったり、読経だったり、法話を聞いて仏教への理解を深めることだったりするわけです。

そのうえで回向(えこう)と言って、自分が修行を積んだ功徳そのものも、故人さまにお供えして喜捨しちゃいます。

その色んな修行メニューをどうするか?
本山のコースメニューをモデルに『どこまで持続可能なレベルで簡略化するか』という発想で、地方寺院と檀信徒さんとの間で匙加減されているわけです。ご相談の上、無理なく持続可能な範囲でなされば結構ですよ。
実際に地域によって月命日にお坊さんを呼ぶ地域と呼ばない地域があります。ウチの地域はお参りしていません。みのりさんのお寺さん、毎月法話なさるのですか…凄いですね…

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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質問者からのお礼

大慈様、ご回答ありがとうございました、
善いことをする日なら
ひとつきに一回ぐらいあっても
いいですよね。
一周忌、三回忌、この辺までで
よいのかなと思いつつ、
娘のためのお経というより
最近は、私達残された家族のため
お力をお借りしている感じです。
娘のお財布に入っていたお金も、
お布施にして、納めて頂いたんですよ。
どうするか考えましたが、ただ寄付するより
私は、表書きに娘の名前を入れたかった。
戒名ではなく、生前の名前を。
小銭もじゃらじゃら入ってましたが
娘も喜んでくれたのではと
思います。

吉武文法様、ご回答ありがとうございました。
供養のため、お布施のため
それなら、今後もずっと続けたら
よいですね。
娘が亡くなった当初は
17才の子に、お経なんか
お線香なんか、チーンなんか
嫌やーーって、そんな事を思いましたが
毎月、来てくださる住職さんに
話を聞かせて頂き
だんだん受け入れる事が
できるようになりました。
当初、後追いしそうな状態の私達夫婦に
「来月の予定はどうですか?」と聞かれる。
私達は、ああ、来月のその日までは
生きとかないと。約束したものって。
そうやって、ひとつきを過ごせたんです、
本当に有難いですね。

「供養の仕方」問答一覧

どのようにご供養したらよいのでしょうか…

精神科の看護師をしています。 ずっと心に引っかかっていること、そう思いたくないですがそれが原因…?かとも思えてしまっているできごとも現在起きていて、でも身近でこのようなことを相談できる専門の方がいないので、悩んでいます。こちらのサイトをみつけ、相談してみようと決意しました。 担当していた患者さんが、治療を始めた矢先に亡くなってしまいました。(原因は医学的に説明できるもの) その患者さんが治療を選択したり、治療を受けられる手配を整えるのを、担当である私は看護師としてできることはしようとその時は全力であったのは、誓ってうそではありません。 ただ、亡くなったあとで、専門的な部分にもなってしまうのですが、私の行った言葉がけや行動でその治療に患者さんが望んだならば、結果的にこの患者さんの寿命を私が短くしてしまったのだと思えます。もっとしっかり日頃から勉強する姿勢を持ち、知識を持ち、情報を集められていたならば、別の選択肢を選ばせてあげられたのではないか、それをできてこその看護師だと思います。精神科であるならばなおさら、なのです。 だから、その患者さんは、そのようなことを思う方だとは思っていない反面、私のことを責めていてもおかしくないと思います。 そしてさらに私は、この仕事をしているにも関わらずご遺体を目の前にするのにはいつも怖さみたいなものがあり、上記の経緯もあり、この患者さんへ最後にあいさつができたであろう霊安室にも、足を運ばなかったのです。最後にごめんなさいと、ちゃんと伝えず、お見送りも避けたのです。 後悔しています。 この患者さんへ、今できるご供養があるならば、どのようにさせてもらえればよいのでしょうか。お墓参りやご自宅に行くことは、難しいです。 教えていただければありがたいです。 よろしくお願いいたします。

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先祖供養について

お世話になっております。 種々の僧侶様が、先祖供養の重要性を説いていらっしゃいます。 「布施」の概念だったり、施餓鬼における「回向」の概念だったり、先祖による「守護」の概念だったり、「滅罪生善」の概念だったり…。 素晴らしいと思います。 祈願が叶わないときには、まずは回向をと言われる方もいらっしゃいます。 それほどまでに供養・回向というものは仏教にとって重要な概念かと思います。 私自身もお寺に供養をお願いしたり、施餓鬼を申し込んだりしております。 ですがその際、少し疑問が生じるのです。 ①「●●家先祖代々の霊位」だけで仏さまに通じるのか?同姓同名がたくさんいるなかで、どこの「●●家」なのか特定する必要はないのか?というものです。 ここには、一応「自身の思いがあれば特定はそれでよい。仏さまはわかってくれる。」と解釈していますが、それでよいのでしょうか。 ②もう1点、上記①がそれでよいとすると、専ら供養の本質は「供養したい」という施主の主観によるものになると思いますが、そうすると、世間を騒がせている霊感商法まがいの「壺を買って先祖供養」などのものも、施主が「供養したい」という思いから出ているため、実際に功徳は生じ、回向されるものなのでしょうか? (もちろん、この結論とは別に、社会悪として霊感商法は駆逐されるべきですが。) 法外な値段をとるかどうか、供養の動機付けが恐怖心に漬け込むものなのかどうかは別として、霊感商法もお寺での供養も「施主の思いをかたちにする」という意味では変わりはないのではないかとも考えてしまいます。 これに関しては、お寺では「如法」という確立した方法論があるという結論になるのでしょうか。 決して先祖供養を否定するつもりはないのですが、どうもそのところが腑に落ちません。

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どう供養するのが良いのか教えてください

岡山県に住む50代女です。男の子3人の母です。 子どもたちは皆独立、現在は夫と2人暮らしです。 わたしの母の実家(広島)のおじ(母の兄)夫婦のところに子どもがなく、祖父母が亡くなった後、夫とわたしとで、養子に入りました。 兄おじ夫婦と棟続きに住んでいる弟おじ夫婦のところにも子どもがなかったからです。 9年前に弟おじが、7年前に兄おじが亡くなり、残ったおば2人はあまり折り合いがよくありませんで、両家の間には長い歴史の中いろいろなことがありました。 3週間ほど前に養母である兄おじの奥さんである姉おばが、自宅階段の手すりで腰紐を使い首をつり自死しました。発見した妹おばはいまだにその場面がフラッシュバックして眠れないと言いますし、わたしも姉おばの支えになれなかったことが残念で気持ちの整理ができません。 養母である姉おばは3月に転倒し左肩を骨折・手術し、その後肺水腫、さらに心臓にペースメーカーを入れるなど次々と不調が続き、薬の副作用などで先行きが不安になったと思われます。骨折までは1日に一万歩歩くような元気なおばで有名でしたから、どんどん体が衰えていく自分のギャップは苦しかったことと思います。 養子とはいえ隣の県に住んでいたので、おばもわたしが病院に付き添いで広島まで行ったりすることを申し訳ながっており、そばにいる弟おじの奥さん(妹おば)にも、弟おじが膵臓がんで闘病中などでも手を貸すことがなかったからか、助けを求めることはほぼありませんでした。 だから、わたしたちに助けを求めることなく何の遺書もなく、自ら命を絶ったのでしょうか。 やるせない気持ちでいっぱいです。 お尋ねは ・亡くなった時に来ていたパジャマなど(警察から返してもらった)をわたしも、そして妹おばにも見せたくなくて、ゴミで捨ててしまったことがとても気になっています。どうすればよかったのでしょうか。 ・自死した階段に何かすることはありますか。 ・遺品はどう処分したらいいのでしょうか。 ・警察から返された結婚指輪などお骨と一緒にお墓に入れてあげたらよいでしょうか。 姉おばがちゃんと成仏できるように、わたしができる限りのことはしたいと,四十九日までは七日毎の法要を営むことにしておりますが、他にちゃんとしてあげられることがありましたら教えていただきたいと思います。 どうぞよろしくお願いいたします。

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ご供養の仕方について。

ご供養の仕方について質問です。 私はとある新興宗教に以前入っておりました。 今は経済的に厳しいことや、菩提寺のお坊さんの助言もあり、脱退しましたが、過去帳というものを作ったので日めくりにして、毎日般若心経を読んで、お線香をあげています。今年は月命日という習慣があるんだと知り、月命日にはお墓参りをしようと目標をたてたのですが、母が倒れたショックと、家を売却した環境の変化に耐えきれず入院してしまい、お彼岸にも行けなかったので、先月やっと退院してお墓参りできました。以前はお墓が歩いていける距離でしたが自転車で2時間以上かかるので休みにしか行けなくなってしまったので彼岸とお盆と新年には行こうと思いますが、命日や月命日は行けたら行くので良いんでしょうか。それとはまた別なんですが、うちの仏壇は造花が飾られていてまえから気になってはいたのですが、やっぱり生花のほうが良いのではないかと。言っても、生花はお金がかかるからダメだと親がいうので。 仏教を通して、座禅や写経や読経やお地蔵様のお掃除など作務を行ってきましたが、遠くなってしまっては。よく分からない文章になってしまいましたが、宗教嫌いな人は沢山いるけど、私は仏教が大好きです。仏様が墓参りしろと言ったんじゃないことは知ってますが、お墓参りというのはしたほうが良いと私は思ってますが、宗教はいけないことなんでしょうか。

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位牌も遺影もない祖父母の供養

お忙しいところ、失礼いたします。 祖父母の供養方法について心にモヤがあり、相談をさせてください。 当方、結婚を機に実家とは離れた県で暮らしております。 実家で一人暮らしをしている父は片付けができず、家は現在、ゴミ屋敷のようになっています。 恥ずかしながら、祖父母の位牌があるお仏壇も埃を被っており、帰省の際には私が掃除をいたしますが、日頃からお茶やお水、ごはんやお線香などがあげられているわけではありません。 また、私が今パートナーと暮らしているのは賃貸で、お部屋には神棚もお仏壇もございません。 祖父母、特に祖母はお茶がとても好きなひとでしたため、せめてお茶だけでも、と思い、 毎朝窓辺に淹れたてのお茶をお供えし、手を合わせております。 ただ、心の中には 「祖父母が案じるとすればおそらく父のことであるし、 実家の方のお仏壇を綺麗にして、そこに毎日お供えをしなくては意味がないのではないか」 という思いがございます。 頻繁に実家に帰ることも難しいのですが、やはり縁もゆかりもないような場所で、 位牌も遺影も置いていない窓辺に何かをお供えし手を合わせる、という行為だけでは、 故人には届かないものでしょうか? 遠方に暮らしている時の、日々の供養の方法について、何かよりよい方法がございましたら、お教えいただきたく存じます。 なにとぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 10
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ