hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

あまり良くない恋愛をしています

回答数回答 3
有り難し有り難し 123

わたしは今、あまり良くない恋愛をしています。
彼女がいる男性のことを好きになってしまったのです。

その人は私のサークルの先輩です。とても面白く優しい人で、男女問わず誰からも慕われていて、特に女性からとてもモテます。
私は前の冬にその先輩のことが好きになり、4月に告白しました。

実はその時には先輩に彼女がいるらしいことは、人から聞いて知っていましたが、自分の気持ちに踏ん切りをつけるために告白しました。

その答えは、
「僕も君のことは好きだけれど、自分は、相手と『恋人』という関係になると、冷めてしまうタイプである。今の彼女ともあまり会っていない。だから、お付き合いすることは出来ないけれど、よかったら色々なところに遊びに行きましょう」
というものでした。

私は、もうすぐ20になりますが、今まで恋人ができたことも、異性から告白されたこともありません。ですから、「好き」と言われたことが嬉しくてたまらなくなってしまったのです。

それから、月に一回程度で二人で遊びに行くようになりました。遊びに行くときは毎回私から誘い、あちらから誘われたり、企画してくれたりしたことはありません。

ですが、私のわがままをいつも聞いてくれて、優しい人です。

しかし、あとから、先輩の彼女が誰なのか、また、他にも先輩のことを好きな人が数名いること、その人たちとも友達として仲良くしていることを知ってしまいました。

結局、自分もそのうちの一人なのかな、と思うと悲しいし、彼女さんや他の女性とはどのように接しているのかも全然分からず、不安な気持ちでいっぱいになります。

考えれば考えるほど辛くなるので、いっそのことこの関係を終わりにできればいいかもしれないとも思うのですが、私はどうしても先輩のことは好きで、諦めきれません。

しかし、「恋人になると冷める」と言われているので、これ以上先があるのかどうかも分かりません。怖くて本人に聞くこともできません。

自分でも、これからどうしたらいいのか分からなくなってしまっています。

なにか、アドバイスや、叱咤、説教など、頂きたいです。

最後にひとつ、先輩と私の間に肉体の関係などは、キスも含めありません。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

好きという言葉にみな騙される

以前、知人女子から過去の後悔を語られました。
「高校時代に学年イチのモテ男クンから、こっそり「お前が本当は好きだ」と言われてデートして関係を持ったら即日ポイ捨て、連絡もくれない状態。トラウマになったそうです。モテ男クンと付き合えることで自分の承認欲求やら名誉欲が満たされ、高まった感じがして嬉しかった部分もあったのでしょうが、結果的に安売りした自分に一生自己嫌悪。やさぐれてましたヨ(._.)。昔はイイ子だったのに。
人生は全てが自分の心を作る要素となります。
安売りして人生棒に振れば一生モンの後悔。
後からどうやっても良かったことにできない、消せない過去になってしまう事ってあるんです。
「付き合うと冷める云々…」=(訳)「お前と付き合ってるなんて噂にはなりたくねーから付き合わねーけど、ナイショで体の関係だけは持とう」だと思いますよ。
おそらく本命彼女には内緒にしておきたいのでしょう。
彼女を突き止めて一緒にデートしたことを話してみることです。
人を信じるといういい人であろうとすることで結果的にみな詐欺にひっかかるのです。
「好き」ってことばに気を付けましょう。
「君は僕にとって都合が良くて好きだよ」という好きもあります。
本当に好き=愛していたら、他の女とはとっくにおさらばしてます。
「好き」という言葉を見直しましょう。他人から承認されたことがない寂しさから「好き」という言葉に惹かれてしまっていませんでしたか?欲のままに生きている男に騙されないよう、賢明さを持ちましょう。
彼らの手口は「可哀想な男のふりをして女子の気を引く大作戦です。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

遊ばれています、今すぐその関係をやめましょう

それは、そのもてる先輩のズルさがでています。都合のいいようにあなたを利用しているだけです。
つきあえないけどデートはOK。そんな話ありません。
その先輩と過ごす時間はもったいないです。早く別れ、あなたの新しい出会いに向けてシフトチェンジしたほうがいいです。
世界中に男の人はいます。あなたがいいなと思う人はたくさんいるはずです。視野を広げ、様々な場所に足を運びましょう。彼氏がいなくても充実した生活はあります。気楽に考え、ハッピーライフを。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

もうすぐ成人

もう大人なんだから自分の恋愛に責任を持ちなさい。
責任を持つということは相手が望む関係がどうであれ、自分の意思で進退を決定することです。

{{count}}
有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

丁寧なご回答、ありがとうございます。
あまり他人には言えないでいたことなので、アドバイスや忠告を頂いて少し気持ちが楽になりました。
しっかり今の状況を見つめ直して、自分の行動を決めたいと思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ